「からかい上手の高木さん」Cover Song Collection 評

 亀渕昭信の本で紹介されていたリスナーからの手紙に、「カメ、実は俺とてもコウフンしているんだ」という書き出しのものがあった。彼はThe Beach Boysの音楽に対してそういった想いを抱いたようだったが、僕が置かれている状況もまさにそういう感じだろうと思う。正確に言えば、今まで様々なコンテンツで心を昂ぶらせてきたが、今回の感覚は今までに感じたことがない。

ことの始まりはこのツイートだった。

懐かしい曲だなー、とまたそういう手合か、という浅い考え混じりにリンクをクリックした。

 見事にやられてしまった。何度聴いても2018年のサウンドには全く聴こえない。アレンジ、サウンドメイクともに10年前のもの。それが恐ろしい。
中学生を主人公とする物語のED曲集というと、リスナーは否が応でも自分の中学生時代のことを考えるだろうと思う。
ここで考えると、僕の中学時代がちょうど10年ほど前に当たる。
―自分の中学生時代の音、これに心をえぐられない音楽ファンがいるだろうか。
サウンドの傾向としては、典型的なJ-Popアレンジにマキシマイザーを利かせまくったバッツバツの2000年代後半J-Popサウンド。本来ならもっとダイナミクスを確保したサウンドの方が好きということもあり、いつもならば否定気味なバイアスを掛けて聴いてしまうのだけど、このアルバムに対してはそうすることができなかった。
それどころか、心にグッサリ刺さってしまった。

まず、#5「小さな恋のうた」と#6「愛唄」。ひねくれていた中学生当時、こういったいかにもな恋愛ソングの類が嫌いだった。友人との会話の中で、この手合のアーティストを批判したのもよく覚えている。しかし、10年経った今、オーソドックスな2000年代後半サウンドとして改めて提案されると、なぜか泣けてしまうのだ。もちろん、なんか負けた気がするという思いが完全に拭い去りきれたわけではない。でも、なぜが目がうるんでしまう。力まないボーカルトラック、王道アレンジオケトラック、それだけのことにこれだけやられるのはなぜなのか。残念ながら、今のところはノスタルジーという言葉以外では説明できない。

次に、#1「気まぐれロマンティック」、#4「風吹けば恋」。この2曲は2008年にリリースされた楽曲であり、同世代の音楽ファンには馴染み深い曲なのではないかと思う。この原曲たち、今の耳で語ると、決して聞きやすい音とは言えないと思う。どちらも音数が多く、飽和寸前の音圧戦争全盛期ソングである。しかし、中高生時代にリアルタイムで聴いた音を改めて提案されると、えも言われぬほど心をつかまれてしまう。あの頃と同じ手触りの音なのだ。あの頃のKick、こういう音してたな、殴りかかるような歪んだギター、あの頃と変わらない。一体どういうエンジニアリングをしているのか、いい意味でこの時代に出てくるはずのない音。最高。

また、聴き続けるうちに心に沁みていった曲もある。#2「AM11:00」だ。Wurlitzerの転がるようなフレーズから始まるイントロからしてもうたまらないではないか。これもアレンジは原曲準拠なのだが、大きな違いがありキーがAからCへと移調されている。もともと男女ボーカルの曲であり、原曲キーのままでは最低音が低いためであると思われる。しかし、移調するということは、この場合においては最高音が原曲高くなることを意味する。しかし、ボーカルで“高木さん”を務める高橋李依さんの技量、それから彼女の能力を活かすボーカルディレクションとエディットにより、実に絶妙なボーカルトラックに仕上がっている。それでいて、出てくるサウンドは力まずあくまでも「中学生の高木さん」が歌っているということを忘れさせない程度に抑えられている。声が裏返りそうなところや、ラップパートなんか、それっぽさを極めて高いレベルで実現している。

 今回の評は自分がリアルタイムで体験した、見た聴いた曲に重きをおいたものだった。しかし、知らない曲も聴いてみることで、このアルバムのトータルでのコンセプト性、またアニメのエンディングソングとしての美しさを改めて感じた。僕の拙い評だけではその魅力は伝わっているかどうかわからないので、是非聴いて、刺さって、泣いてほしいと思う。きっとこのアニメと原作が気になって仕方がなくなるだろう。僕がそうであるように。




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