岡村靖幸は果たして「こじらせ」ているのか?

 熟女ものAVに登場する女優さんに年下が多くなった事実をどう受け止めれば良いかわからなくなり、幼稚な言葉を吐くことでしか心の均衡を保てなくなってきた。

 ここのnoteに書いた文章を読み返すとずっと「オトナ童貞」について怒り続けているのだけれど、その概念を提唱した本人たちも既に飽きてきてるのに、当初と同じ排気量で怒り続ける完全なる迷惑ジジイと化している。とはいえ、「オトナ童貞」という言葉こそ風化しつつあってもその風潮は薄っすらと浸透しつつある気がする。パリピやウェイwと揶揄し、イケてない自分をマイノリティと位置づけて「弱者」然として仮想マジョリティへの攻撃を正当化する。人によっては「こじらせ男子」という言葉に軟着陸して根付きつつある気もする。

 いい年をして恋人もいないもんで「モテない」と自称することも多いので、自分自身も端から見れば同種であろうて。「違いますよ」と反論したいところだが材料が希薄。別にそれでも良いんですが。とはいえ、ひたすらに違和感があるのだ。いっつまでもフラフラとして、浮ついたことも成功もないので、もう「こじらせてる」とかよりも「学園祭とかの行事で必ず見かける素性不明の無害だけに妖精に近い珍奇オジサン」のフォルダに入りつつあるだけかもしれないが。

 岡村靖幸の新しいアルバムを聞いた。そのちょっと前に岡村靖幸を紹介する番組で彼を称して「こじらせ男子」というワードが使われていた。うぅん、まぁ、そうなのだろう。真っ向から反論するほどに強い論拠があるわけでもないし、「オトナ童貞警察」としての反発故かもしれない。それでも、どうしても違和感があるのだ。

 よく彼の詩作について「童貞男子のような」という形容がされている。その一方で彼の「オトナの色香」みたいなものも大いに称えられている。そのアンビバレントが魅力であるのはオレかて異論はない。でも、ずっとある違和感。「童貞」というと性交体験の有無になってしまうので、思春期的と置き換えることも出来るだろう。

 「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」
この問いは初めて聞いた時から胸の真ん中に居座り続けていて、それは歌詞の部活を思わせる描写から、大いに思春期的であろう。

 そんで、新しいアルバム。一曲目から「成功と挫折」というタイトル。それは積み重ねてきたものを想起させるには十分。めちゃくちゃに素晴らしく、その素晴らしさは「枯れた魅力」とかでは言い表せない熱を帯びていて、熟練と瑞々しさを兼ね備えてるかのよう。「少年サタデー」での「今も少年さ」のラインから「まだ少年の心を持ってる」と主張してるかのようなメッセージ。やっぱり、「こじらせ男子」的なことなのか?

 そんなに強い確信があるわけでもないけど、せっかくだし大きめの声で言うなら、やっぱりそれは違うんじゃないか。「こじらせ男子」とか「非モテ」とかちょっと古い言葉でいうなら「アダルトチルドレン」みたいな自意識とは違うと思うのよ。

 っていうのも「レーザービームガール」という曲。
「小舟のような二人の心 漕ぎ出せば辿り着くのでしょうか?」と歌うのを聞いて、「少年性」や「思春期性」と近似するけど「真っ直ぐに立つ女性への忠誠と懐疑」が連綿と織り込まれていて、その側にずっと居たいと泣いているのではなかろうか、と。

 氏の中ではずっと背筋を伸ばして女性が立っていて、それへの憧れが強くあるけれども、弱さも知っている。駆け引きも。小ズルさも。その鬩ぎ合い。

 大いに自覚しているのは、みんながそれを「こじらせ男子」や「オトナ童貞」と称しているということ。もはやその名称が気に入らないだけなのかもしれない。
 それでも。岡村靖幸は「憧れ」の比重が強いのではないだろうか。「女性らしく」「男性らしく」など無価値に近いご時世。それでも抱く女性への畏怖と理想。それは「自分以外の人みんな」への思いかもしれない。
 言えば言うほど、「こじらせ男子」みたいなもんじゃないかという気がしてくる。

 それでも。

「彼がなさることには注文なんかないんですけど、ただ 『何で僕のことを笑うの』という気持ちは、ずっと持ち続けてほしい。」
 
 ナンシー関が岡村靖幸へ向けた言葉。
岡村靖幸の葛藤を見事に表した言葉だと思う。
 なもんで、この言葉と「こじらせ男子」と自称し共感する態度との距離をとても感じる。「未だオトナになりきれてないけど、オレたち童貞っぽい!純粋!他人の痛みがわかる!」と自称する連中なんざ信用できようか。

 どんどんと「オトナ童貞」への憎悪が増してきて、結論も断言もない着地になってしまうのだけれど。「岡村靖幸」を履修している途上であってまだよくわからない。きっと岡村靖幸氏自身も。そして、「岡村靖幸」という科目から逸れて自分なりの科目を構築せねばならぬのだろうとも。いい年をしてそんな考えに至る事自体が「こじらせている」と言われるのだろうが、それには抗うつもりだ。はっきりと言えるのは「こじらせているのではなく、ずっと混乱しているのだ」ということ。
 岡村ちゃんのアルバムはめちゃくちゃに良いので買って聞くのをオススメしますよ、オレは。



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