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【Essay】日記や思ったこと

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見た目のコンプレックスの話

見た目のコンプレックスの話

自分の顔にコンプレックスを抱えるようになったのはいつからだろう。少なくとも小学生の頃はそんなことはなくて中学生くらいからだろうか。

私は子供の頃アトピーが本当にひどくて。自分でみても鏡に写る自分の顔が汚く思えてしまったことがはじまりかもしれない。あるいは写真に写る自分の姿が嫌だなって思って、行事の時などに自分の顔が写らないように逃げるようになったことがはじまりかもしれない。

とにもかくも理由や

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誰もがきっとたたかっているから

誰もがきっとたたかっているから

週末に岩井俊二監督のキリエのうたを観た。
今日はインタビューを読んで、パンフレットを読んで、余韻に浸っていた。

本作は音楽映画であると同時に震災による喪失を描いた作品だ。

映画から受け取ったメッセージのことを考えながら、街を歩く人に、かつて出会った人に思いをはせた。

あの人も、あの人も、やりきれない喪失感と闘いながら生きているのかもしれない。自分には知り得ない辛さをのりこえて、あるいは、辛さ

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喪失を実感する時とは

喪失を実感する時とは

お盆がすぎ、夏が終わる。そんな日にふと、色んな人との別れが今後増えてくるのかな、と思う。

死や喪失について考えるとき、おばさんのことを思い出す。正確にはおばあちゃんの妹なので叔祖母と呼ぶらしい。」「おおおばさん」なんて呼んだことはないのでここではおばさんと書く。

実家は二世帯でおばあちゃんと共に暮らしていた。おばさんは家から徒歩数分のところに住んでいてよくおばあちゃんとおばさんは互いの家を行き

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心の想うままを、選択できるように

心の想うままを、選択できるように

なんだか久しぶりに自分の頭の中がまっさらにリセットされたような気分だ。

8月に1週間くらい北海道に帰っていた。パソコンも持っていかず、SNSも最低限しか見ず、1週間をすごして帰ってきたら、ものすごく頭の中がすっきりしていた。

北海道では頭も使わず、本当にやりたいことだけをして、会いたい人だけと会う時間をすごせた。

帰ってきたとき、今ならどんな情報も取り入れられるし、なんでもやれるような気が

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自分の中の偏見の話 / 過去の感謝を忘れない話

自分の中の偏見の話 / 過去の感謝を忘れない話

最近考えていることをぽつぽつとつづります。

自分の中の偏見の話今年で30になる。価値観をアップデートし続けていくことの難しさは自分の中で固定観念が占める割合が大きくなっていくからなのかもしれない。

人は自分の見たいように世界を見るというけれど、最近以前にも増して自分の決めつけや偏見で世界を見ているのではないか、と自戒をする機会が増えた。誰かにそう言われたわけではないけれどそんな感覚があるのだ。

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Re:Start

Re:Start

破壊と創造、青春と老後。はじまりとおわり。おわりとはじまり。

約3年前。一度ぶっ壊れて止まって。動き方がわからないまま。目をつぶったまま這うようにして歩んで、かつての自分の心のあり方もわからないまま。過去と比べてなんだかなって嫌になって、だけど少しずつ回復して。今に至る。

振り返ると幼児帰りしてまた自分をもう一度作り直すようなそんな日々だったように思う。

過去と因果。あれがあったから今の自分

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「迷惑をかけてはいけない」という呪い

「迷惑をかけてはいけない」という呪い

仕事は好きなはずなのに仕事にはしんどい気持ちもともなってくる。この辛いような、心がずしんと重くなるような気持ちはなんなのだろうか。
考えた結果たどりついたのが「迷惑をかけてはいけない」という自分に対する強い呪縛だった。

日本人なら多くの人が小さいころから「人に迷惑をかけてはいけない」と何度も何度も言われながら育ったのではないだろうか。

自分自身が嫌なことをされてもあまり気にならず、というか気づ

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想いがこだまするあの瞬間をまた JAPAN JAM 2022

想いがこだまするあの瞬間をまた JAPAN JAM 2022

夢見心地だったRISING SUN2019のELLEGARDEN。野外フェスが本当に夢の時間になってしまった2020年。あれから約3年がたった。

あれから色んなことがあった。ボロボロになりながら働いたこともあった。恋愛からは距離をおいてお休みをしてみることにした。ほとんど鬱になって屍のようになりながら這いつくばったときもあった。

LIVEがない日々の中でも音楽には何度も力をもらった。辛いことも

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コロナ禍での実家帰省と祖母の変化と。

コロナ禍での実家帰省と祖母の変化と。

noteを書こうとするといつも「一定ちゃんとコンテンツにしなければいけない」という意識がはたらき挫折してしまうのだがあまりに更新頻度が減ってしまったのでTwitterの延長のような、あるいはもっと気軽な気持ちで今日はnoteを久しぶりに書いてみようと思う。特にメッセージもないけれどただただ最近のできごとと思ったことを綴っていく。

先日、約2年ぶりに実家に帰りった。新型コロナウイルス流行以降は初め

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2021年のあゆみかた

年が明けた。今年は2018年ぶりに東京で年をこした。年末の東京は普段のにぎやかさが嘘みたいに静かですきだ。今年はいつもより少しばかり人の気配がしたがそれでもやはり静かだった。

東京暮らしも5年。いつの間にか4年の札幌暮らしよりも長い時間を東京ですごしていたようだ。

実家に最後に帰ったのは2020年1月。今、十勝にはどんな空気が流れているのだろう。11月に結婚式で札幌に帰った。かつて生活の中心だ

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心に住んでいる人の分だけ人は人でいられる

心に住んでいる人の分だけ人は人でいられる

「君の心の中が私でいっぱいになればいいのに」

昔そんなことを言われたことがある。

その時ふと考えた。自分の心の中にはだれが住んでいるのだろうか。

何人の人が住んでいて、だれが、どれくらい、自分の心の中を満たしているのか。

思うに自分の心の中が心地いい人で満たされているほど、
そして、その人たちへの気持ちがあたたかなものであるほど、
人は豊かでいられるのではないだろうか。

独りとは、物理的

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手放してしまったのは自分の心なのかもしれないね。

手放してしまったのは自分の心なのかもしれないね。

コロナ禍の世界で、人と人との距離は、前よりもずっと遠くなった。

東京というコロナが蔓延する世界で独り身で生きていると、人との距離を強く強く感じた。

しかし、最近気づいたことがある。
人と人との距離以上に、遠くなっていたのは「自分の心」と「自分自身の距離」なんじゃないかと。

私は自分の心に鈍感だ。自分自身の扱いが丁寧ではない。だから辛いことや嬉しいことがあってもついつい感情を噛みしめることなく

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モノクロの世界にまどろむ

とにかくnoteを書いていない、書いていないのだ。

書いていないのとnoteはどんどん書けなくなる。「久しぶりに書くんだからちゃんと書かなきゃいけない」そんなことを思ってしまうともっと筆が重くなる。(筆じゃないやろというツッコミおいておこう)

自分にとって書くこととはなんなのだろうか、なんだったのだろうか。

言葉に残しておきたい特別な感情を残すこと、
うまく言葉にできない感覚を言葉にしようと

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私は私の人生のテーマを生きていく

私は私の人生のテーマを生きていく

私には昔から「将来の夢」というものがない。

だからいつか何か夢をもたなければいけないのではないか。そう考えていた。しかし、ないものをつくろうとしても卑屈になるだけだ。だから自分自身を尊重するためにこの呪縛を手放すことにした。同様にあらゆる「こうあらねばならない」を手放すことにする。

人はある時を堺に自分の人生のテーマのようなものに強く影響されて生きていくのかもしれない。歳を重ねるごとにこの仮説

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