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別れは一瞬、出会いは永遠。

僕は小学生の頃、隣の隣の家に住んでいるクロという犬が大好きだった。クロは柴犬、なのかな。ちょっと雑種だったかなって思う。拾った犬だったのかもしれない。

学校から帰ってくる時と行ってくる時、いっつもクロに挨拶をして決まってクロの頭をなでた。

家で鳥の手羽先を食べたときは、骨をクロにおすそ分けしに行った。小学生の時僕は犬が大好きだった。保育園でもほとんど泣いたことがない僕の3回くらいの泣いた記憶のうち1つは盲導犬のドキュメンタリーを観たことだと今でも覚えている。というか小学生までで感動した唯一の記憶かもしれない。
犬が好きだったし、人が好きじゃなかったような気がする。とにかくクロが好きで癒やしだった。

ある時からクロがうちに来てしまうようになった。僕を探して僕の家に会いにきてくれていた。嬉しさと、人の恋人をうばったかのような複雑さとを僕は感じていた。
あの頃からクロは元気がなくなってきていた気がする。

具体的な時期は思い出せないんだけど、それから1年くらいたった時のこと。僕は7時過ぎに家を出て学校に向かった。確か肌寒い秋の日だった。飼い主のおばちゃんがおいでって言って家にいれてくれた。

「クロ、死んじゃったんだ。」

僕にとって身近な存在が死ぬのは初めての経験だった。悲しみ、とは少し違っていた。あたりまえのようにそこにあったものがぽっかりなくなった感じ。
クロがいたその穴は、他の誰かが入ることはなくてぽっかり空いてる。ただいない。って感じだ。
不思議と涙は出なかった。自分の人生や生活の彩りがワントーン落ちたような感じがした。だけど辛くはなかった。心の中で「ありがとう」って思った。今まで生きていてくれてありがとう。遊んでくれてありがとう。優しい気持ちにさせてくれてありがとう。

それからは毎日空っぽの犬小屋を眺めながら通学をした。
クロが死んでからあの家のおばちゃんと話した記憶はない。

クロがいなくなったのは寂しかったけど、僕はなんとなく人生が季節を超えるように彩りを変えて、コロコロと転がっていく感覚をあそこで覚えた気がする。
別れがあって、その別れの穴は他の何かで埋めることはできないけど、サイコロの面を変えるように、今度は違う自分が顔を出して、新たな面を新たな色で彩っていく。

人は生まれた時、やわらかな一枚の布だけど、生きるごとに多面体になっていって最後は円にでもなるのかもしれない。そんなことを教えてくれたきっかけの、小さくて優しい出会い。

ありがとう。クロ。別れは一瞬でも、出会いは永遠だ。僕の心の中にちゃんと今でもクロはいる。きっとこれからも。

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