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宇宙に投げ出されたような時間だった

ランチの予定がリスケになって、さあ何をしてすごそうか。というところから土曜日が始まった。

仕事の対応をしながら、ふと美術館に行こうと思い立つ。その前に近所のお弁当屋さんで腹ごしらえをする。あのお弁当屋さんの味つけがたまらなくすきなんだ。なんなんだろな。あの絶妙な味。もやしのナムルすらも美味しい。今度おばちゃんに料理のルーツを聞いてみようと思う。

清澄白河へと自転車を走らせる。なんだか道がくさい。ああそうか、銀杏か。北海道にいた頃は秋に銀杏くせえなって思うことはなかった気がする。銀杏は動物の糞みたいな匂いに感じてどうしても不愉快だ。よーく嗅ぐとちゃんと甘い匂いもするんだけどね、嫌な臭いが前に出ちゃう。

Art Book Fairの時とは対称的に東京都現代美術館はスカスカだった。そう、美術館といえばこういう感じだ。見るスピードとか気にしないで作品と向き合える感じ。

僕はずっと現代アートを避けてきた。きっと理解できないものを観ても仕方がないと思っていたからだ。ところがどうだろう。なるほど。わからない。

わからない、が感覚が宇宙へと解放されたような気持ちになる。明確に意味がわかるものを見つめる時、必然的に脳は反射的に思考という行動を初めてしまう。

何を考えていいかわからない、何を感じていいかわかるない。自由であることの不自由さ、この感覚がなんとも心地がいい。

普段の自分はなんとなく事象が発生した時に反射的に決まったレールを走るように思考をしている気がする。社会模範やビジネスマナー、セオリーといったものたちが勝手に思考のレールを引いているのだ。ああ、僕も金太郎飴のようにサラリーマンというやつになったのだな、と実感する。自分はけっこう自由な方だと思っていたがそうでもないようだ。

だからこそ、こういう時間は貴重なのだと思う。凝り固まった思考を解放することで新鮮な気持ちで人と向き合うができる。もしかしたら今まで見えていなかったプラスαを誰かに提供できるかもしれない。まぁ実際の現実は規定されたことを完璧に100%やり遂げるだけでも難しいわけで現実はなかなか甘くはない。かといって地獄でもない、といったところだ。


美術館を出た後、水出しコーヒーが飲みたくて気になっていたカフェへと足を運ぶ。水出しコーヒーが1番高いんだね。600円。もはやお酒である。席が空いていないので奥のスタンド席へ。水出しコーヒーが運ばれてきた。絶品だ。これはまさに酒だ。酔ってしまいそうになる。コーヒーはやはり嗜好品だ。

体調管理の観点から平日にカフェインを取らないようにするというルールを自分に課していることもありコーヒー解禁時の解放感たるやたまらない。

美味しいコーヒー屋を巡ってコレクションするように記録していこう。うまいコーヒーが飲みたいと思った時にサッと寄れたら嬉しいし、紹介できるおじさんになれたら素敵だと思うのでそれを目指したい。


さて、10月の土日は予定がたくさんで楽しみなのだけれど明日も予定のない休日だ。午前中は例によって仕事からはじめる。最近休日も夜も関係なく常に仕事が共にあるので逆に仕事から離れると不自然さすら感じるようになってしまった。

明日はうまく1日の中でメリハリをつけてすごしたいものである。器用な大人になるのは、むずかしい。

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