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広島の平和祈念公園にて。

平和祈念公園は僕にとって特別な場所だ。

今日、3度目の平和祈念公園に行った。夜、広島の平和祈念公園を訪れた。1度目は2010年の高校での修学旅行で広島へ。2度目は2016年に卒業旅行で沖縄へ。そして今回出張の際に広島の夜の平和記念公園に訪れた。

幼少期と戦争と

僕は戦争を知らない。だけど小さい頃から強く、戦争のことを知りたいと思っていた。それは義務感でもあり興味でもあった。無意識に、本能的に、僕の心は戦争というものについて知る必要があると訴えていたような気がする。だから戦争のことを知るのは僕にとって必然であったように思う。

小学校の図書館にはたくさんの戦争関連の図鑑があり、昼休みに図書館に通ってはそれをほとんど全部読んだ。中学校でもそうだ。小学校には「はだしのゲン」が全巻あったし、作者である中沢啓治さんの漫画が全部あった。戦争の話から野球漫画まで中沢さんの漫画は全て読んだ。

きっかけは小学生らしい無邪気で恥ずかしいもので、グロいもの好きの友達がふざけて勧めてきたのだ。その作品が中沢さんの作品だったからだろう。そんなきっかけにも関わらず僕の心のベクトルは大きく変化した。

中学生・高校生の頃は近所の図書館で戦争関連のパネル展がやっていると足を運んだ。

中学生の時に平和学習で見た明石家さんまさんが主演の「さとうきび畑の歌」はとても印象に残っている。

初めての平和祈念公園

初めて平和祈念公園を訪れたのは高校の修学旅行だ。広島の滞在時間約3時間、大阪からの弾丸移動という強行スケジュールに多くの人は悲鳴を上げたと思うが旅行ではなかなか行かない広島に行ける基調な機会だと思った。

かなりの資料に目を通していたので原爆ドームにはじめていって見た資料館のメインの展示はほぼ全て見たことのあるものだった。唯一初めて見たものは被爆された方の爪など生でしか見れないものたちだった。唯一だからこそのリアリティがあったように思う。

ただ、当時の僕にとって何より印象的だったのは平和祈念公園の「空気」だ。緑が生い茂り綺麗に整備された公園。静寂が流れる場所。被爆の中心地だったこの場所がまるで真逆の状態になっている現状。その不自然さが不気味に思えた。

消えようようのない現実、残された人の祈り、悲しみ、後悔、怒り。

この場所でたくさんの人が何かを思って帰っていった。その思い。そして被爆された人たちの行き場のない思い。その全てがここに集まって渦巻いているような気がした。霊感などを超越した圧倒的な気。それに僕は圧倒された。

2度目の平和祈念公園

2度目の平和祈念公園は沖縄だった。

MONGOL800のhimeyuri ~ひめゆりの詩~ という曲があまりにも素晴らしくて、MVが本当によくて、絶対にいつか沖縄の平和記念公園に行きたいと思った。

僕は普段旅行に行く時、あまり意思表明をしないのだがこのときだけは平和記念公園に行きたい!と沖縄での卒業旅行が決まった時に提案をした。

約6年ぶりの平和祈念公園。不思議なことに沖縄でも広島の平和祈念公園と同じように大きな気の力を感じた。沖縄は土地の空気感もあってか、広島の平和祈念公園よりも優しさがあったような気がした。

そして、沖縄の資料館で見た資料たちには驚かされた。沖縄の戦争観は沖縄以外の戦争観とは大きく異なる。沖縄にとって戦争は海外との戦争であると同時に日本軍との戦争でもあったのだと感じた。日本軍の沖縄への扱いは相当ひどいものだったそうで、むしろアメリカ兵の方が親切だったと記している人すらもいた。戦争はなんて悲しいんだろう。戦いだけじゃない辛いことが周辺でたくさん怒るのだ。とても憤りを感じた。

平和祈念公園という場所

この2回の経験をしたことで、僕の中で平和祈念公園という場所は特別な場所になった。

僕は考えないという行為が苦手で、常に頭の中で言葉がとびかっている。でも平和祈念公園という場所にいる時は不思議と頭の中からすーっと言葉が消えていって「今ここ」に意識を集中することができるのだ。そういう数少ない場所が平和祈念公園だ。

それは思考を上回るほどの気が押し寄せてくるからなのだと思う。スピリチュアルなことは基本信じていない僕だが、今日平和祈念公園にいたとき、たくさんの人の想いが渦巻いて全部集まってフラットになっているような大きな沈黙の気を、ただただ感じていた。

何度も無心で手を合わせた。

昔とはまた違う、怒りでも悲しみでもない想いがこみ上げていた。昔は戦争=怒りだった。なんて愚かなことをするやつがいたんだろうか。そんな思いでいっぱいになり怒りがこみ上げて仕方がなかった。悲しくて仕方がなかった。

pray.

でも今日は違った。ただただ真っ直ぐな祈りだった。

無信仰の僕だが祈りには特別な力があるように思う。ただただ祈る。その行為は見返りを求めない。期待とも違う。ただ祈る気持ちはとても尊いもので自分の中に安らなきもちが満ちていく。僕はただただ、祈っていた。

この世界の片隅に

「この世界の片隅に」は本当に素晴らしい作品なのでたくさんの人に観てほしい。この作品は戦争の悲惨さを描くのではなく日常を描いており、戦争ととの距離感がぐっと縮まる映画だった。この作品なくして今の僕の心境変化はなかったかもしれない。

声優がのんさんなのも本当にいい。

最後に今日撮影した写真たち。平和祈念公園を人生の中でゆっくりと巡っていきたいと決心した日だった。


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