続編の難しさ〜なぜ結婚できない男なのか〜

最初に明記しておきたいのは、これから書くのは何の専門性も知識もない私が、勝手にドラマについてベラベラ語っているだけ、心のモヤモヤを言語化したいと思っただけで、この世の中にある全ての「続編」をディスったり、ダメって言ったりしているわけではないということだ。
何より続編って嬉しいし、相当に期待していることもある。
1クールかけて愛を募らせていったストーリーやキャラクターが、その後どうなったかは妄想せずにいられない性質だし、何ならそれを公式でやってもらえるなんてご褒美以外の何物でもないと思っている。
だが、今季個人的にかなり期待していた続編モノドラマ「まだ結婚できない男」を見て私は続編の難しさ、触りがたさを痛感している。
私の個人的な感想なので、「あ、これ読んだらドラマ楽しくなくなりそう」とか「サチコのこと嫌いになりそう」と思ったら即座に読むのを辞め、暖かいココアを飲み、銘菓「白い恋人」を食べて北海道の悠久の大地に思いを馳せて欲しい。
北海道を思う時、草刈正雄さんの顔が浮かべばもう大丈夫。あとは広瀬すずちゃん、ないしは松嶋菜々子さんの顔を思い出して「サチコってこんな顔だったっけ?」と思ってくれれば完璧だ。正気を保てる。

あの完結は何だったのか

いきなり核心に触れよう。私が言いたいのはこの一点である。
前作「結婚できない男」で阿部寛さん扮する桑野さんは夏川結衣さん演じる早坂先生と完全にくっついた(と私は認識している)。最終回を見て私は「ロールキャベツ婚」を思った。なんなら二人の結婚披露宴は有名シェフが作ったロールキャベツがメインディッシュだろうな、引き出物はロールキャベツを載せるのにちょうどいい大きさの絵皿(深皿)かな、ケーキ入刀ならぬロールキャベツ入刀かなくらい想像して結局夕飯がロールキャベツになったりした。ロールキャベツ食べたい。
なのに今作ではロールキャベツはおろか早坂先生の影すらなく(なんかお金持ちと結婚したっぽいこと言ってたけど)、桑野さんは相変わらず独りぼっちだ。ロールキャベツ食べたい……
チェインストーリーとか言ってギャオで配信しているちょこっとしたサイドドラマ(?)みたいなのも見たけど、巧妙に早坂先生の話をしていない。いや桑野さんの結婚を語るんだったら絶対出てこになきゃおかしい名前だろ。しかも桑野の義弟は早坂先生の上司だ。名前出てこないのおかしい。

「続編の難しさ」を思わずにいられない。
すなわち「最終回の盛り上がりは何処へやら」問題である。
前作の時に私たちは一人の「結婚できない男」が結婚への道を歩み始めたのを目撃したではないか。人に何かをやってもらいたい時でも、「お願いします」と言えなくて「あなたがどうしてもと言うならやってもいいですよ」みたいなドラマ内の阿部寛だから許されるものの会社の上司や先輩が言おうものなら各種SNSや女子会などで血祭りにあげられるようなセリフしか言えなかった桑野さんが、早坂先生に「どうしても(ロールキャベツを作りに来て欲しい)」と言ったのだ。
ちなみには私はあのラストシーンは日本の恋愛ドラマ史上に残る名シーンだと思っている。一位はそのシーンで二位は早坂先生の「ボールは投げました」シーン。
それほどの名シーンで盛り上がっておきながら何事もなかったように始まった「まだ結婚できない男」に、私は少なからず置いてきぼりを食らった気分だ。
そう、続編は前作のファンを置いてきぼりにする可能性があるのだ。

「まだ結婚できない男」の感想をネットでさらってみると、「桑野さん全然変わってなくて良かった」という意見が散見されるが、変わっていないなんてそんなことあるわけがない。
だって人は、恋をしたら変わるもの。失恋をしたらもっと変わるもの。
恋をしたら、恋をする前の私になんて戻れない、というのが持論だ。
誰しも経験があるだろう。好きな人と同じアーティストのファンになったり、同じ本を読んでみたり、同じ映画にハマってみたり。好きな人のことを思いすぎてその人の真似をし始めて行き過ぎてコスプレみたいになったり。挙句コスプレが普段着になり、好きな人よりそのアーティストに詳しくなって、本や映画の二次創作を読み漁って結局沼にはまって振られるのだ。
早坂先生のロールキャベツを食べた桑野さんが、もうキャベツで巻いてない肉を口にするなんてできないはずなのだ。
桑野さんが変わってなくて良かったという感想は私の中では二つの意味で起こりえない。
一つ、桑野さんは早坂先生との関係構築(そして崩壊)を経て変わっていないわけがない。
二つ、仮に変わっていないとして、早坂先生を無かったことにしておいて「良かった」なんてありえない。
私の感想としては「桑野さんは大きく変わったし、早坂先生いないの寂しい」である。

桑野さんの変化とドラマのテーマの変化

では前作の桑野さんと今作の桑野さんの違いについて私の考えを記そう。
前作の桑野さんは「自分の結婚への気持ちに(敢えて)気づいていない」「プライドが高く拗らせている」「己の充実と満足への固執がある」といった性質の男として描かれていた。
結婚そのものや結婚している人間をことごとく否定しているのが一つ目、それなりに優しい・思いやりのある行動が取れ、周囲の人の感情の機微をそれなりに受け取ることができるにも拘らず呼吸するように憎まれ口を叩いてしまうところが二つ目、自宅に絶対他人を入れない、一人の時間を満喫しそれを死守しようとするところなどが三つ目である。
その一つ一つは全て誰でもある程度持ち合わせている性質であり、「私もそうかもしれない」と思ってしまうところにシンパシーを感じて桑野という人が嫌いになれない、むしろ「結婚できない男」が魅力的だった所以である。

一方今作は「自身の結婚への興味は認めているが拗らせている」「プライドが高く拗らせている」「充実していない・満足を感じられないで拗らせている」ように見える。
第2話までしか見ていないので断定はできないが、今作の桑野さんは「結婚に対して前向きな人、憧れている人」に対しての否定的な言動に人生観が感じられない。前作は自分の人生観を根拠に結婚を否定していたが、今作では人生観より自身のプライドが際立っているように見える。要するに否定的な態度の根拠が稚拙な気がする。だから拗らせている感が強い。また、エゴサーチをするところや一人の趣味を楽しんでいる描写が少ないところも桑野という男の寂しさが強調されているような気がする。
結婚していないことをコンプレックスにしてしまい、自身の生活に充実感がなく、拗らせまくって憎まれ口を叩く男は、果たして魅力的だろうか。
前作は「結婚できない(しない)」ことにポジティブな輝きがあったが、今作はそれにネガティブな、言い過ぎを恐れずにいえば卑屈さが見える。

全ての原因は13年という年月の経過だ。
ドラマの中でも相当な時間が経っている。その経過した時間を思わせる描写は、前作のファンにとっては垂涎の出来だ。英治くんが立派な建築家になっていることや妹の娘(姪)が大きく成長し反抗期に入っているところなんて最高だ。これまで各キャラクターが歩んできた人生やイベントなどを思うとそれだけでご飯が進む。
そしてもう一つ、13年の間に世の中の雰囲気も大きく変わった。
結婚へのアプローチの仕方も、親戚が持ってくるお見合い写真から婚活アプリになり、「結婚して男女のつがいで生きていくのがスタンダード」という価値観はもはや古い(と言わなければならない)という雰囲気さえある。
そもそも「結婚なんてしなくても、気の合う同性とルームシェアして生きていくのもありじゃない?」とか「つがいが異性同士である必然性はない」とか「一人でも生きていけるならそれで良い」とか、とにかく結婚に関して多様な価値観・雰囲気のある現代で「結婚できる・できない」を云々し、視聴者と制作者、さらに視聴者同士で心の動きをある程度共有しようというのは結構ヘヴィではないかと思う。

結婚に関する価値観が多様であるからこそ、主人公・桑野さんの人物像にある種の卑屈さを加えなければ話が成立しないのかなと思うと、ちょっと切ない。
(念の為言っておくと、私は価値観が多様になることに関しては良いことだと思っている。人は全く同じ思考をするわけないし、それでも人は世間や社会を形成して生きていく。ならばよりたくさんの人が生きやすいようになる方がいい。結婚しないこと、友人同士で生きていくこと、同性パートナーと生きていくこと、いわゆる結婚が幸せだと信じることなど、全ての考え方・価値観が認められてしかるべきだ)

なぜ結婚できない男なのか

ここまで書くともはや私は「結婚できない男」の続編をとても否定的に見ているように思われるだろうが、実際はそれほどでもない。
第一話の桑野さんの「セカンドステージの幸せに〜」の話には共感したし、なんだかんだ岡野さんの離婚話をほっとけなくなってしまったり、岡野さんのお店に通ったりしている姿は愛おしいと思うし、楽しんではいるのだ。
ただやはりまだ「なんで早坂先生とうまくいかなかったんだろう」という気持ちが拭えないので、ドラマの中で回収してもらいたいような、でももうそっとしておいてほしいような。乙女心は複雑である。
ただ、さっきも触れたように世の中の変化のことを考えると、今「結婚できない男」の続編を作ることにどんな意図があったのだろう思ってしまう。どうしてこのドラマの続編が作られたのか。

この疑問は、単純なる疑問としてだけでなく、もう一つの意図を持って私はここに書いている。
すなわち「13年越しの続編が可能なら、他の作品もあるいは続編ありってことですよね?」ということである。
私はかねてよりこれの続編まだかな〜と思っている作品がある。
奇しくも阿部寛さん主演作品。それは「最後の弁護人」だ。

最後の弁護人を見ていた人がこの文章をここまで読んでくれている確率は相当低いと思うけど。
大好きだったんだよ、最後の弁護人。しかもあれ、OPで思わせぶりな車椅子の女の子とか出てきてたけど本編には登場しなかった。
絶対続編を目論んでた作品だと思う。
今調べたらおよそ16年前。結婚できない男より3年前。いいじゃん、3年くらい。すぐ乗り越えられるさ。
というわけで「まだ結婚できない男」を楽しみつつ、心から「最後の弁護人」を願いましてこの駄文を閉めたいと思います。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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