NFTをどう捉えるかはデジタル版「テセウスの船」問題である

こんにちは!ゲームを中心としたNFTの設計・開発・運用を行っている double jump.tokyo株式会社 CEO上野です。少し前にもTweetしましたが、NFTと「テセウスの船」の小話をようやく書く気になったので書いてみます。テレビドラマになった方ではなくて、テセウスパラドックスの方の「テセウスの船」です。

NFTはご存知の通り、デジタル資産(アート、ファッション、キャラ、アイテム等)の所有者を取り扱うものではありますが、それ以上にどのデジタルデータの唯一性や本物の証明(どれがオリジナルデータか)を表現するものだ、とよく言われます。しかし、1バイトの違いもないデジタルデータを区別することにどれほどの意味があるのか?と思ったことありますよね。実はこの捉え方に「テセウスの船」問題が潜んでいるのです。


NFTによる本物の証明

ところで「テセウスの船」とは、どういう内容なのでしょう?Wikipedia を見てみると、このようなことが書かれています。テセウスの功績を称えるために残されたテセウスの船。補修のために部品が置き換えられていき、やがて全てが置き換わった時、それは「テセウスの船」なのか?元の部品を集めて作った船があるとしたら、それこそ「テセウスの船」ではないのか?

テセウスの船

何が「テセウスの船」かは主に2つの流派があります。

  1. そもそも「テセウスの船」はテセウスを称えるための象徴であり、部品はそれを構成する要素に過ぎない

  2. 「テセウスの船」はその歴史的造形物に価値があり、テセウスの逸話はそのエッセンスに過ぎない

これをNFT流に言い換えると以下のようになります。

  1. 簡単にコピー可能なデジタルデータに価値があるというよりも、そのデジタルデータにどんなバックグラウンドやコンテキストが存在しているかに意味も価値もあり、それはコピーできないものである

  2. 機能(主に閲覧)の観点ではデジタルデータそのものに意味があり、バックグラウンドやコンテキストはそのエッセンスに過ぎない

どちらの捉え方も一理あり、ゼロヒャクの話ではないとは思いますが、NFTが価値基準として軸足を置いているのは 1. の方になります。

ここで改めて、現在の高度情報社会における「価値」とは何か?を考えたいですが、個人的にはこのように考えています。

生活必需品が容易に手に入るようになり、インターネットで低コストに情報流通する社会においては、実は既に多くの人が 1. の価値観を持っているのではないかと考えています。とはいえ、デジタル上での生活必需品という意味で機能としての意味(つまり2.)はゼロにはなりません。そうすると、以下のような結論になるかもしれません。

  1. バックグラウンドやコンテキスト(メタ情報)にこそ価値がある「デジタルアセット」はNFTに向いている

  2. デジタル機能性に意味がある「デジタルコモディティ」は必ずしもNFTにする必要はなく、もっとライトな仕組みで扱っても良い

みなさんは、デジタル版「テセウスの船」にどんな見解を出しますか?
面白い議論ですし、このような考察がより深くNFTを理解することになりますね。

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