コーヒーショップにて

 亜希子は壁際に座ってトン子を待っていた。

 通路を挟んだ向かいにも似た席が並んでおり、髪の長い学生風の男が座っている。

 彼は体を斜めに向けて、近くでコーヒーを啜る主婦と、手に持ったノートをかわるがわる見つめ、せわしなく右手を動かしている。
 亜希子は席に座る時に覗き見ていた。男は他の客をスケッチしている。友人を待ちながら、亜希子はスケッチの男を眺めていた。

 何を考えながら、デッサンしてるんだろう? 正確に風景を切り取る? 表情の裏に見えるその人の人生を思いながら?
 階段から足音がしたが、上がって来たのはトン子ではなく三人の男子高校生だった。窓際の席に着くと間もなくダベり始める。その隣には新聞を読むサラリーマンとも無職ともつかない男。見なれた当たり前の風景だ。見なれた、当たり前の毎日。こんなチェーン店のコーヒーショップでは、トン子のいつも言っている「運命的な恋」になんて、出会えないのかもしれない。

 スケッチの男に目を戻そうとして、彼がこちらを向いていることに気づく。亜希子はとっさに眼鏡をはずして置き、横を向いた。

 私を描いている? 亜希子は身を硬くした。胸から頭へと血が急激に波打って、うまく呼吸できない。亜希子、落ち着いて。彼が自分を描いているとは限らないじゃない。それに私を描いていたからどうだって言うの? でも動いたら描きづらいかしら? 髪の毛、変じゃない? ううん、こんなふうにお行儀してたらそれこそ赤面ものだ。
 それにしても、どうして私、眼鏡をはずしたんだろう。正面だってぼんやりして良く見えないのに、目の端にひっかかった男がスケッチしているかどうかなんて、わかるわけもない。

 ようやくトン子が現れると、亜希子は呪文が解けたように動き出した。あわてて眼鏡をかけると、ゴメンと舌を出してトン子が目の前に座り、スケッチの男は見えなくなっていた。どのくらい時間が経ったのだろう。トン子が小声でささやく。

「亜希子、私の後ろの人、スケッチしてるね」
「そ、そうなの」亜希子は思わず声を上ずった声をあげた。
「うん、横の壁の造花、すごく上手に描いてる」
「ぞ、造花?」

 亜希子はさっきよりもずっと体が熱くなるのを感じた。横の壁に造花が飾られているのを確認した後、トン子をよけてスケッチの男を見る。

 こちらに見えるように開かれたノートの中に、亜希子が、いた。隣のページには壁の造花。 ていねいに描かれた、物憂げな亜希子の横顔。スケッチの下に「メガネも似合うよ」とのコメントがある。男はノートを掲げながら、「どう?」といわんばかりに亜希子に笑いかけていた。


(1998年の9月に書いたシロモノです。これまで紹介したのは1000文字以内って制約の中で書いたわけですが、これはもう少しあるんじゃないかな? 数えてないけど)

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