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日本人の金融リテラシーは低過ぎるのか?~「円で普通預金」の読み解き方~

「日本人の金融リテラシーは低過ぎる」と言われて久しいですが、果たしてそれは絶対的に正しい見方でしょうか。確かに1800兆円超(1835兆円、19年3月末時点)におよぶ個人金融資産のうち、10%程度しか株式に配分されていない状況は寂しいものではあります。そして「株への投資が過少である」という事実と合わせて頻繁に指摘されるのが「現預金への配分が過大である」というものです。最新の日銀資金循環統計を元にすれば、株への配分は183兆円でちょうど10%、現預金への配分は977兆円で53.3%というイメージなります。この大小関係は近年、殆ど変わっていません。いわゆる「貯蓄から投資」の動きが全く進展していないと言われる所以ですが、これは本当に金融リテラシーのなさに拠るものでしょうか。

「円で普通預金」は酷い選択肢だったのか

もちろん、金融リテラシーの無さ、というのも一因ではありましょう。大前提として日本人の多くにとって金融教育なるものが必要という事実に異論はありません。今が殆どないのですから、その試み自体に価値はあると思っています。ですが、過去20年余りを振り返ってみた場合、まず為替市場の歴史は疑いようもなく「円高の歴史」でした。そして、「円高の歴史」はそのまま「デフレの歴史」と一致してきたことは周知の通りであり、「デフレの通貨は増価する」は教科書が教える事実そのままであります。この間、アベノミクスが始まった2012年12月(相場的には同年11月半ばから始まっていましたが、第二次安倍政権が発足したのは12月です)以降に株が上がり始めるまでは日本株は圧倒的に1人負けの状況が続いてきました。少なくとも「日本株を選ばずに円の普通預金」はそこまで酷い資産選択ではなかったように思います。

少し脱線しますが、リーマンショック後に株などのリスク資産を購入して運用巧者のように謳う向きがまま見られます。もちろん、それは「底」を拾ったという相場観自体は褒められたものだと思います。「落ちてくるナイフ」を掴む行為は誰にでもできることではありません。しかし、その成功譚をもって万人に対して運用を薦める(「株を買ってホールドしておけば儲かるのだ」のような一般化)事例には慎重さが必要です。リーマンショックは文字通り「100年に1度のショック」であり、当時拾って今実現しているリターンを今後実現するのは相当難渋するはずです。僥倖と運用技術は峻別した上で考えたい所です。

自国通貨も運用先の1つ

脱線しました。円相場の歴史は「円高の歴史」、「円高の歴史」は「デフレの歴史」でした。そして株価は基本的には下落傾向を強めてきました。外貨ではなく円貨、リスク資産ではなく(円の)現預金という選択は、こうした長い目で見た場合のマクロ経済環境に合致した資産選択だったという見方もできないでしょうか。もちろん、この間に得られたであろう外貨からの金利収入もあったでしょうし、外国株式だったら凄く儲かっていた、という見方もあるでしょう。ゆえに、円の現預金が絶対正しかったなどと言うつもり毛頭ありません。しかし、「恒常的に物価が上がらない国」において自国通貨が選好されてきたという事実は、理論的には首肯出来るものだったという考え方もあるのではないでしょうか。最終的には各々の趣味嗜好や相場観に依存してよいとは思いますし、確かに現預金が常時過半を占めている状況が最適ということはないでしょう。一方で「自国通貨も運用先の1つ」という思惑も胸に、資産形成を考えることが大切だと思います。


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