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これまでの人生を洋楽とともに振り返る ~自己紹介を添えて~


はじめに

 皆さん、こんにちは。「てんてい」と申します。
 初めてのnoteですので読みにくい箇所があるかも知れませんが、どうぞお付き合いいただければ幸いです。

 そう、初めてのnote。今この文章を書いている際も、noteをどうやって使うのか思案しながら、何をどう書こうか悩んでいます。しかし悩みつつも、「時には歩くよりも先に走り出すことの方が大事だ」と自分に言い聞かせ、早々と本題に入りたいと思います。
 
 ちなみに先に申し上げますと、本noteは約10000文字ありますので、読まれる方はご注意を。

私こと「てんてい」について

 まず、最初のnoteということで自己紹介からはじめましょう。
 皆さん、こんにちは。「てんてい」と申します。埼玉生まれ埼玉育ち。

 次に生い立ちについて。
 まず、地元の小学校から中学受験を経て、東京都にある"C"大学附属の中高一貫校に進学します。元々、エスカレートでC大学に進学するつもりでしたが、高校在学中に気が変わり、C大学とは別の京都市内にある"K"大学に進学します。この大胆な大学受験に関しては、それを許し、支えてくれた家族(特に母親)に感謝を述べる他ありません。
 2023年11月現在、K大学の3回生になりました。そして、埼玉の実家で生活しています。

 …そう、K大学の学生ながら埼玉で生活しているのです。
 一読すると不思議ですが、そのわけは単純明快で、休学しているからに過ぎません。そう、私は2023年5月より休学しているのです。なお、休学理由は心の問題とだけ記しておきます。
 また、この休学が私の「ミュージック・エクスペリエンス」の小さな種となり、今となっては大きな実を実らせていることは、きっとこの先を読めば分かるはずです。

 ひとまず自己紹介はこれくらいにします。次に記すのは、私の洋楽遍歴についてです。

洋楽との出会い

 私の洋楽遍歴におけるキーワードは2つあります。
 それは「ジョジョの奇妙な冒険」と「休学」です。それでは、これら2つのキーワードに従って、どのようにして私が毎日洋楽を聴くようになるに至ったのかを見ていくことにします。

1.「ジョジョの奇妙な冒険」とクイーン

 「ジョジョの奇妙な冒険」。名前を知らないという方は少ないと思います。
 「ジョジョの奇妙な冒険」とは、荒木飛呂彦による漫画、さらにはそれを原作とするアニメのことを指します(以降「ジョジョ」と呼称)。ジョジョは、第1部、第2部、第3部、…のように連綿とした物語が描かれていて、2023年11月現在では第9部まで物語が進んでいます。
 
 特筆すべきは、第3部から登場する「スタンド」という概念。このスタンドとは、キャラクターが使役する、そのキャラ固有の守護霊のようなもので、時を止めたり、壊れた物を修復したり、…といったスタンド固有の特殊能力を持っています。まあ、説明が難しいのですが、とにかく「守護霊のようなもの」だと理解していただければ大丈夫です。
 
 さて、ご存じの方は多いと思いますが、ジョジョという漫画、実は洋楽と密接に関係しています。というのも、ジョジョに登場するキャラクターや、そのスタンドの名前は、洋楽のミュージシャンやアルバム、曲の名前がそのまま付けられていることが往々にしてあるからです。

 幾つか例を挙げますと、例えば第5部に登場するスタンドには「エアロスミス」や、「スティッキー・フィンガーズ」、また「パープル・ヘイズ」といった名前があります。それぞれ解説すると、

エアロスミス:1970年代から活躍するアメリカの世界的バンドで、アルマゲドンの主題歌である「I Don't Want to Miss a Thing」が特に有名。

スティッキー・フィンガーズ:イギリスの、こちらも世界的バンドのザ・ローリング・ストーンズがリリースした、ストーンズ黄金期を象徴する1971年のアルバム。

パープル・ヘイズ:「世界最高のギタリスト」の称号を恣にするジミ・ヘンドリックスのバンド「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」の代表曲(1967)。

のように、しっかりと元ネタとなる洋楽が存在するのです。何でも、作者の荒木先生が洋楽好きなのだとか。

 とにかく、ジョジョには随所に洋楽のエッセンスが散りばめられています。そして、ジョジョから洋楽の「有名どころ」を知り、ジョジョが洋楽の入り口になる、というのは珍しい話ではなく、私もその例外ではありませんでした。
 
 かく言う私がジョジョに出会ったのは、中学生のときでした。当時の友人がジョジョ好きで、そこから興味を持ったのです。

 そして、日々ジョジョに触れていく中で、ある一人のキャラを好きになりました。それが、ジョジョ第4部に登場する吉良吉影(きらよしかげ)というキャラ。
 吉良は「キラー・クイーン」というスタンドを有しており、さらにこのキラー・クイーンは「バイツァ・ダスト」という特殊能力を持ちます。
 
 そう、これらの名前にも元ネタとなる洋楽があり、実はどちらも、イギリスの世界的バンドであるクイーンの楽曲の名前なのです! 正確には、「バイツァ・ダスト」の元ネタは「Another One Bites the Dust(アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト)」という楽曲です。
 
 何を隠そう、この「Another One Bites the Dust」こそが、クイーンの入り口であり、これまでの洋楽ライフにおける最初のターニングポイントといっても過言ではないのです!
 
 具体的に説明すると、中学生だった自分は、YouTubeにてある動画に出会いました。それは、ジョジョに登場する名前の元ネタとなった洋楽を紹介する、というシリーズのうちの一本の動画。サムネイルには吉良吉影がいる。そこで何の気なしに見たのです。
 それこそが「Another One Bites the Dust」との出会いでした。
 クリックして再生。最初に耳に飛び込んできたのは、あのフレーズです。

 デデデンデン、デデンデンデンデデン♪
 デデデンデン、デデンデンデンデデン♪

 このイントロの破壊力たるや。その特徴的なベースラインは、洋楽の「よ」の字も知らない私を興奮させるには十分すぎるものでした。
 そう、私はこの「Another One Bites the Dust」に魅せられ、次第にクイーンという大きな沼に飲み込まれていったのです。

 ちょうど高校1年生のときに大ヒット映画『Bohemian Rhapsody』が公開されましたから、それも相まって高校生の時にはクイーン熱が否応なく高まっていきました。その頃には既に、音楽を聴く媒体がYouTubeからApple Musicへと移り、Apple Musicでも当然クイーンの曲ばかりを聞いていました。
 
 ちなみに特に好きだったのは「Don't Stop Me Now」です。大学受験の際、塾から家に帰るときに、母が家の最寄り駅まで車で迎えに来てくれていたのですが、母が車の中で流す星野源の「アイデア」そっちのけで、イヤホンで「Don't Stop Me Now」を毎回毎回飽きずに聴いていました。

 クイーンの「Another One Bites the Dust」、さらに立ち返れば「ジョジョの奇妙な冒険」、それこそが私の音楽体験、ミュージック・エクスペリエンスの確かな土壌を形成してくれていたのでした。

 以上が一つ目のキーワード「ジョジョの奇妙な冒険」についてになります。

 時は移り、K大学に入学した私は精神状態が不安定になり、音楽を聴くことは減っていきます。そして、二つ目のキーワードである「休学」へとつながります。

2.「休学」とヨルシカ

 前述したように、私は2023年5月よりK大学を休学中の、同大学3回生になります。ただ、2021年の1回生前期の時分から既に大学から足が遠のいていき、何度か授業に出ようと挑戦したもののうまくいかず、最後に授業に出たのは2021年10月のことで、実質そこから今まで休学していることになります。

 ここで、2021年11月30日に書いた日記を紹介します。昔の私が吐き出したありのままの心情です――。

2021年11月30日

(本名)

 この文章を読んでいるのは、この私、(本名)自身でしょうか。そのように仮定して話を進めます。
 いま私がこの文章を書いているのは、他でもない、将来に不安を抱いているためです。その不安というのは、大学生活およびその後の人生についてです。まず、私はいわゆる「不登校」状態であり、大学にはもう1か月ほど行っていません。また、この1回生後期だけでなく1回生前期も「不登校」状態に陥りました。それでは、その経緯についてお話します。
 1回生前期の「不登校」が始まったのは、大学生活が始まって1か月が経った5月6日のことです。その日はちょうどゴールデン・ウィーク明けの日でしたから、大学へ行くのが少し憂鬱だったのだと思います。また、4月22日からオンライン授業に移行し、GW中はほとんど自室に引きこもっていました。それに加えて、GW中は私の母が京都まで来てくれて身の回りの世話をやってくれたため、1週間ほど引きこもりが続いていました。そうしたことを理由に、私は5月6日1限目の(英語の授業)および2限目の(線形代数学の授業)(確かこの授業だったはずです)を欠席したのです。さらにその後も欠席を続け、オンライン授業期間はめっきり大学に行かなくなりました。
 私は、この「不登校」中のほとんどの時間を、三大欲求を満たすことおよびYouTubeで動画を見ることに費やしました。特にYouTubeについてお話します。まず、5月6日1限目に(英語の授業)があったのですが、その授業に出たくなかったので(というより大学に行きたくすらなかったのですが)、その夜は出来る限り寝たくなかったわけです。こういった考えに至ったことは、私以外にもあるのではないでしょうか。その夜はまさしく、大学に行きたくない、しかし行かなければならないという二律背反に悩まされ、寝たら明日が来てしまうから寝たくなかったと。そこで私は部屋が暗いまま、枕元でアラームをセットしておいたiPhoneの画面を開き、YouTubeでラジオ形式の動画の音声を聞くことにしました。こうすることで、少しでも寝ることから逃げたかったのです。その時の動画はたしか、top4(キヨ、レトルト、牛沢、ガッチマン)の「ウミガメのスープ」シリーズと、全身組(キヨ、レトルト)の「全身ラジオ」シリーズ等でした。彼らの掛け合いを聞いて笑ったり、「ウミガメのスープ」の問題を自分で考えたりしているうちに夜が明けて、その頃になるともう大学に行かないという方向に固まっていたのです。そして無事に昼夜逆転の生活が始まります。
 オンライン授業期間は大学に行きませんでしたが、対面授業が再開してからは大学に行っていたこともありました。しかし、オンライン授業期間に全く授業を受けていなかったので授業に追いつくのが大変で、また周りに話す人が誇張なしに誰もいなかったため、結局再び「不登校」になりました。いくつかテストを受けましたが、受けなかった科目の方が多く、最終的には前期に取得した単位はたったの7単位です。私ごときが笑ってはいけないですが、これにはさすがに笑うしかないです。
 先ほど、「「不登校」中のほとんどの時間を、三大欲求を満たすことおよびYouTubeで動画を見ることに費やし」たと書きましたが、それ以外にやったことは講義に関する勉強くらいです。特に数学だけは、講義で扱われた部分に該当する教科書の一部を熱心に読んでいました。また、対面授業が再開した後の講義についていくためにそれまでの講義動画を見ていたこともあります。まあ、そういった講義はいつしか捨てて、ほとんどのテストは欠席しましたが。
 以上が前期の「不登校」の概要になります。その後8月4日から9月19日までは実家にまたもや引きこもっていました。ただし、その間は前期で扱われた数学の復習ばかりをやっていて、母に言われたこともあって教職免許を取得しようと意気込んでいました。特に、もう前期と同じ失敗はするまい、「不登校」にはなるまいと意気込んでいました。しかし、人間がそう簡単に変わることはないのでしょうか、現在進行形で後期にも同じ失敗を犯しているのです。
 1回生後期の「不登校」が始まったのは、対面授業が再開した10月21日のことです。その日、二つの出来事で私の心が折れた結果、「不登校」が始まりました。
 一つ目は1限目の(英語の授業)。この日、担任の先生から英語で「あなたの出身地と趣味を教えてください」とクラス全体に向けて尋ねられ、名前の順番から私が最初に発言することになりました。しかし、私は完全には英語を聞き取れなかったので、単に「あなたの出身地を教えてください」と質問を誤解し、無愛想に(他者からはそう聞こえたであろうという憶測)「Saitama」とだけ答えました。その後先生は「あなたの趣味は?」と私に尋ね、その後たしか「My hobby is reading books.(「フィクションですか?」と再度尋ねられ)Fiction, mystery.」と、英語苦手をクラスメイトに晒しながら私は答えたのです。その時は恥ずかしさを隠すのに必死でした。他にも、一人立った状態で「I heard that you are a Queen fan.」と言って(しかも聞き返された)、「Which Queen song do you like?」を言わずして質問を打ち切られたことや、クラスメイトは友達がいたのに私は孤独だったこと、左後ろのクラスメイト((クラスメイトA)さんかな?)が私を気遣ってか「I’m from Ishikawa.」と言っていたこと、誰も手を挙げたペアの人が見えなかったこと、おならのことなど、とにかく授業が辛かった。正直なところ、これを書いているときも苦しみに襲われたので、文字に起こしたくもないし思い出したくもないことです。まず、この1限目の出来事で心が大打撃を受けました。
 二つ目の出来事は、2限目の(微分積分学の授業)でのこと。私はその日教室の窓際に座ったのですが、後ろに座ったクラスメイトが走らせるペンの音が大きく、時々大きな咳もするので、私は問題を解くことにほとんど集中できませんでした。また、そのクラスメイトは(クラスメイトB)という名で(憶測ではあるが)、この男は大学数学をすでに3回生レベルまで勉強していることもあり、問題を解くのが早く、先生に「問題が解けた」と伝える声が真後ろから聞こえる。私はこいつのせいで集中できないというのに、とか思いながらです。まあ、私の実力不足もありますが。
 これらの出来事により、1限目の時点ですでに打ちに打たれていた精神がさらに傷を負い、2限目終了後にすぐ自室に帰り、こもりきりになりました。帰り道、泣いていたと思います。ベッドで横になり、考えます。なぜ友達もいない孤独な私がさらに辛い思いをしなければならないのか、なぜ周りの気持ちも考えない(クラスメイトB)は数学ができて、私は周りのことも考えているのに数学ができないのか。そもそも、こんな他者から見れば些細なことで精神が荒むなんて、私はなんて弱い人間なのだ、と。その後、(実験の授業)等に出席していましたが、じきに大学から足が遠のき、いまでは「不登校」状態です。
 以上が後期の「不登校」の概要になります。ちなみに、今のところ家族や大学以前の知人・友人は私が正常に大学生活を送っていると思っています。ただし、家族だけは私に大学で友人がいない、「ぼっち」であることを知っています。
 さて、私が思うに私の「不登校」の原因は、恐怖と怠惰にあります。恐怖とは、失敗により他者からネガティブな評価を受けることの恐怖、そしてそれにより他者から見られる、他者と関わることの恐怖です。これは、私の声が低くて小さいこと、会話が苦手であること、および服装といった外見を異様に(異様であることは確信できないが)気にすることにも関係しています。この恐怖から、他者と関わらなければよいと結論付け、結果的に自室に引きこもり、大学に行かなくなるのです。また怠惰とは、単に私が主体的に勉強する意思も、勉強に向かうための知的好奇心や未来設計図も持っていないという怠惰です。前期の頃には意気込んで勉強していた数学もいまでは勉強することはなく、惰性でYouTubeの動画を見るだけの毎日と化しています。食事はカップ焼きそばで済ませる始末で(いまは改善しようとしていますが)、定期的に自慰行為にふけり、睡眠は不規則というように、着々と廃人化が進んでいます。
 以上の現状説明を踏まえて私が未来の私に問いたいのは、いまあなたはどうしているか、ということです。「不登校」は家族にバレているか、留年しているか、K大学に在籍しているか、大学を卒業できているか、大学院に進学しているか、就職しているか、教育の道に進んでいるか、私が想像もできない仕事に就いているか、実家で自宅警備員しているか、この世にいるか。家族は増えているか、家族は減っているか、「不登校」について家族は悲しんでいるか、家族とけんかしているか、家族と仲直りしているか(主に私と兄についてだが)、友達は増えているか、恋人はいるか、結婚しているか、子供はいるか。いまの私には将来に対する不安が尽きません。
 その大きな原因は、いまの私は未熟だからです。料理できないし、掃除と洗濯はサボるし、他者と上手く会話できないし、引きこもり体質だし、家族や知人がいなければ全く勉強しないし、家族に主に経済面で迷惑かけているし、一人では何もできない無力な人間です。夏目漱石の『こころ』の言葉を借りれば、私は「精神的に向上心のない者」すなわち「馬鹿」です。一人暮らしして、「不登校」状態になってそれに気づいたのです。かつて私は、K大学に入学して数学をたくさん勉強すると意気込んでいましたが、いまの私は「不登校」で、しかもそれを家族に隠す屑です。むしろ今の私が私の本質だと思うようになりました。
 さて、これを読んでいるあなたはどうしているのでしょうか。将来私は幸せになれるのか、その答えだけでもいまの私に耳打ちしてほしいものです。

(本名)

2021年11月30日の日記

 ――このようなプライベートにも程がある文章を、あまりインターネットを通じて世界にお披露目したくないのですが、しかしこれが当時のありのままです(本名や大学名など一部は編集しております)。

 当時の私は、他責と自責が入り混じり、そのような思考に陥る自分すら嫌になってしまう自己嫌悪を繰り返していました。ひたすらネガティブな思考が続いた結果、引きこもりのような状況に陥り、精神状態は不安定、また昼夜逆転は当然のこと、ただYouTubeでゲーム実況動画を見る生活。そのような心身ともに不健康な状態になってしまいました。

 現在はメンタルクリニックに定期的に通いつつ(なお「適応障害」と診断されました)、薬を処方していただき、心身ともに健康な状態にあるのですが、当時はかなり危険な状況にあったのかも知れないと、日記を読み直して感じました。

 さて、日記によれば、この日記を書いている当時は家族に「不登校」であることを隠していますが、書いたのちの数日後に、実家あてに学業成績表が送られました。そして、私が不登校の大学生であることをもはや隠すことは出来なくなりました。これが2021年12月の話です。

 そして、2022年。それは私が二十歳を迎えた年。同時に、私にとっての「洋楽との真の出会い」の年になりました。

 この「洋楽との真の出会い」を語る上で、避けては通れない存在が「ヨルシカ」です。
 
 「ヨルシカ」とは、n-bunaが作曲、suisがボーカルを務める邦ロックバンドです。高校生の時にクイーンにハマっていたことはキーワード1のところで既に書きましたが、その時にはYOASOBIや星野源、King Gnuといった邦楽アーティストの楽曲もある程度聴いていました。そのうちの一つがヨルシカでした。

 「洋楽」ではなく「邦楽」なの? そう思われるかも知れませんが、少々お時間を頂きたく思います。

 さて、ヨルシカの音楽性の特徴として挙げられるのは、アルバムのトータリティーです。一つ一つのアルバムが軸となる物語を持っており、その物語を通じて音楽を奏でるのがヨルシカです。つまりは一つの物語を基にした「コンセプト」がヨルシカの一つの特徴と言えるでしょう。例えば、2020年発表の3rdフルアルバム『盗作』。これはタイトルが示す通り、音楽を盗む男を主人公にしたコンセプトアルバムです。

 それは去る2022年1月のこと。ヨルシカの特徴が「コンセプトアルバム」であると知った私は、この『盗作』を通して聴いてみることにしました。幸か不幸か、大学に行っておらず時間が有り余っていた私は、何の気なしに(そう、あの時の「Another One Bites the Dust」と同じく「何の気なしに」)、世界に数あるアルバムの中から『盗作』を選び、聴いたのでした。 
 いつもと同じApple Music。辺りに広がる静寂の中で耳を澄ませつつ、再生ボタンを押します――。

 1曲目は、物語の始まりである「音楽泥棒の自白」。どこかで聞いたことのある印象的なピアノのフレーズと共に物語は幕を開けます。
 落ち着いた雰囲気は束の間、2曲目の「昼鳶」。疾走感のある曲調に興奮する私。やっぱりいいなあ、ヨルシカ。
 そして4曲目の「爆弾魔(Re-Recording)」。初めて聴いたけれども、この曲が好き。サビのボーカルのメロディが癖になります。
 聴いていくと、やはり6曲目「レプリカント」と9曲目「盗作」が突出していることに気が付きます。この2曲は既に聴いたことがありました。
 7曲目の「花人局」で、リラックスした雰囲気になりつつ、気づけばラストの14曲目「花に亡霊」。この曲も既に聴いたことがあり、やはり良い曲だなあと思います。

 ――アルバムが終わると、あたりは再び静寂に包まれます。しかし、アルバムを聴く前の静寂とは決定的に違います。何かは分からないけれども異なる種類の静寂が自分を支配していることに気が付きます。そして私はこう思いました。

 「もっとアルバムを聴きたい」

 このアルバム初体験の後、色々なアルバムを聴きました。
 マイケル・ジャクソンの『Off the Wall』、『Thriller』、ビリー・ジョエル『52nd Street』、ビートルズ『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』、プリンス『Purple Rain』、エルトン・ジョン『Goodbye Yellow Brick Road』。特に、のちに大いにのめり込むビートルズとの出会いが、私の場合はこの『サージェント・ペパー』でした。

 私は基本的には洋楽をアルバムで聴きます。アルバムで聴くことによって、曲の流れを楽しんだり、そのアーティストの音楽性をより深く知れたり、アルバムのコンセプトを楽しんだりできます。また、とにかくアルバムを聴くことは楽しく、私のライフワークになりつつあります。

 ちなみに、どうやってこれらのアルバムに出会ったのかというと、主に3つの情報源からになります。

みのミュージック:音楽を専門に扱うYouTubeチャンネル。アーティストの入門動画を多数挙げていたり、各方面の名盤を紹介したり、ローリング・ストーン誌が発表するランキングを紹介したり、様々な企画を行う。初級者から上級者まで楽しめる音楽チャンネル。

各年のグラミー賞最優秀アルバム賞作品、およびノミネート作品

ローリング・ストーン誌が選ぶ史上最も偉大なアルバム500

 大学に行っていなかった分、時間は余るほどあったので、本当にたくさんアルバムを聴きました。また、邦楽ではなく洋楽のアルバムだけを聴いていました。ビートルズから英ロックにハマったり、ピンク・フロイドからプログレにハマったり。とにかく洋楽のアルバムだけ。

#私を構成する42枚

 これまでアルバムを聴いてきた集大成として、好きなアルバムをまとめてみました。あまり面白みのない42枚かも知れません。ですが、正真正銘私の短い洋楽遍歴の集大成になります。なお、どうしてもビートルズとピンク・フロイドのアルバムは複数入れたかったので、どちらとも複数枚入れてしまいました笑。

 ちなみに、邦楽を聴かないのは、決して否定的な理由からではなく、単に興味がないからです。いずれ聴こうとは思っていますが、洋楽を楽しみたい気分だからであり、それは今も変わりません。

 また、「たくさんアルバムを聴きました」と書きましたが、洋楽ファンからすれば大したことない量かも知れません。上に挙げた42枚も「なーんだ、そんなアルバムとっくの昔に何度も聴いたよ」と一蹴されるようなアルバムばかりなのかも。けれども、私からすれば一枚一枚が、大切で思い出のこもったアルバムなのです。

 とにかく、まとめます。

 大学の実質的な休学に際して、私は多くの自由な時間を持ったため、ヨルシカの『盗作』に始まり、たくさんのアルバム(洋楽のみ)を聴くようになりました。
 これこそが、私の「洋楽との真の出会い」であり、ミュージック・エクスペリエンスの始まりだったのです。

 これが二つ目のキーワード「休学」についてになります。

終わりに

 いよいよ終わりが近づいてきました。あと少しでお別れです。
 
 本noteでは、私の自己紹介にはじまり、どのようにして洋楽と出会ったのかについて書いてきました。
 
 書いていて思ったことは、人間、時には自らの人生について振り返ることが大事なのではないか、ということです。日々は当たり前のように過ぎていきますが、たまにはこうして言葉を紡ぎながら自分の人生について思考を巡らせ、過去に思いを馳せるのも悪くはないと思いました。私が休学中で、あまりにもすることが無さすぎるのかも知れませんが…。

 そして果たして、この拙文を全て読みきる人はいるのでしょうか。
 でも、私のこの記録を誰かが、世界のどこかにいる誰かが読んでくれる、そう信じてペンを置くことにします。

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