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櫻井敦司さんの訃報によせて

書き残しておきたいな、と思ったので書きます。

10月24日13時ぐらいだったと思う。
ジムから帰って、『不滅のあなたへ』というアニメを見ながらご飯を食べて、ふとスマホを見た。
BUCK-TICKの公式LINEから「親愛なるファンの皆さまへ」というリンクが届いていた。
瞬間、ものすごく嫌な予感がしてなかなか開かない公式ページに飛んだ。
文書を見た瞬間、嘘だとやっぱりと何をそこまで、とやっぱり嘘だが一緒に来て、動揺して、血の気が引くというか足元が揺らぐってこういうことなんだって初めて知った。
そのあと友達のLINEグループに「あっちゃん嘘だろ」とメッセージを打ち込んだ。
みんなからの言葉を待てばよかったのか、どうしようか、ただひとりで抱えきれなくてそうしてしまった。
そのあと、うーだかあーだかうめき声のようなものが出て、気がついたら子供みたいに泣いてしまった。泣くことで現実に負けたような気がした。信じたくないけど認めてしまったような。
もう一度、お知らせを読んだ。
メンバーはじめ、スタッフさん、BUCK-TICKに関わる人の櫻井さん…あっちゃんのお人柄を知るゆえの深い深い悲しみと、優しさとを感じて泣いた。
こんなに悲しいことがこの世にあるのか、という気持ちになったことを覚えている。

数日前、10月ツアー初日に行った友達から「3曲で終わった」と連絡が来た。
あっちゃんの調子が悪く、公演中止になったらしい。数年前にもライブ1本やりきってその後入院して延期になったツアーがあったものだから、早めに切り上げてくれて逆に良かったなって呑気にも思っていた。
あのときも心配だったけど、元気に戻ってきてくれて安心したし。
中止になった日、今井さんのインスタには公演中止の写真と「絶対やるから待っててね」という記事と、それからビールの写真が上がった。
今井さんの待っててねの言葉と、ビール飲めるぐらいなんだ、そこまで悪くなかったのかも、なんて安心してた。
次の日には今井さんのお誕生日ケーキの写真が上がってて、EC用のお祝いのケーキ上げてくれたんだなー今井さんは本当にファン思いだな、とこれまた呑気に思っていた。
今思えば特別にファン思いすぎたような気もするけど、今井さんはライブ中、無表情対応しながらもファンへの愛情がめちゃくちゃに深い方だし、公演中に中止することは私が知る限りでは初めてだったしお誕生日も近かったから、ということで納得したと思う。
次の日だったか、モバイルサイトのユータさんのブログがこわい、と友達がSNSで呟いてた。
出演予定だったトークショー辞退のお知らせと、暫くブログが更新できないというお知らせだった。何があったんだろう、妙だな、怖いなと確かに思った。でもその頃は仕事がまあまあ忙しかったのでそこまで深く考えてなかった気がする。
妙だなと思いながら、なるべくいいように考えようとはしてたと思う。
どなたかがSNSで呟いた「実はユータさんが社長業を引き継ぐのでは」という推測のポストを見たよ、と友達が教えてくれて、あーそうか、それなら忙しいよな(?)なんて無理やり納得してた。社長のユータかっこよすぎんか?とか、ギター隊は絶対社長やらなさそう、なんて楽しく考えたりもした。
でも正直なところ、出演辞退なんてよっぽどのことだし、ユータさんに何かあったんだろうか、もしくはあっちゃんの具合が本当に悪いのかもしれない、とは一瞬よぎった。
でも休暇や入院、もしくは手術とかで良くなって元気に戻ってきてくれるならいつまでも待つよ、という覚悟はしていた。それでもまさかのことだけは全く考えてなくて、ずっとのんびりした気持ちだったと思う。

35周年、ファンになってからは多分30年ぐらいだけど、待ってた結果、いつでも新たな驚きと最高を見せ続けていてくれたのでいつまでも待つことは全然苦じゃなかった。すごいバンドだよ。信頼しかない。

メンバーが何かしらの媒体で心配させまいとしてくれてたおかげだったのかもしれない、このお知らせが届くまで、事実が確定するまで、本当にのんびりとした気持ちだったと思う。

青天の霹靂とか、そういうの、知ってたけど本当にあるんですね。

まさか、そんな、そうか。そんなことあるのか。

いろんな情報やら感情が頭の中を駆け巡って気が動転してたと思う。
信じたくない気持ちと、冗談でもそんなこと発表しないだろうという気持ちと。
でもとりあえず今取れてるチケットのツアーは中止になってしまうんだな、今年の武道館はなくなってしまうんだな、ということだけは確定したんだと思った。

今井さんのインスタが更新され、ユータさんのブログも更新された。
2人共本当におつらいだろうに、ご自身の言葉で伝えてくれて、すごく救われたと同時にとんでもない悲しみが襲ってきた。

あっちゃん死んじゃったのか。そんなことあるのか。

ユータさんのブログには「ご冥福をお祈りしてください」と綴られていた。
どんな気持ちで書かれたんだろう、想像しても及びもしないぐらい悲しくて優しい言葉しかなかった。
でもそうか、冥福を祈ればいいのか、と何度か読み返して思い至った。

公式のお知らせを見たあと、またたく間にネットニュースが流れた。

お知らせがちょうど届いた日は仕事の締切の前日だった。
担当さんから「明日締切ですけど」って進捗状況を問う連絡が届いてた。
多分できるなという進行だったけど、突然にこんなことがあって返事を返せないでいたら、追い打ちをかけるように「とくにお返事がない…ですが、大丈夫そうということで(以下省略)」なんて連絡がきて、全然大丈夫じゃないよ!今返事できる状態じゃねーのわかるだろ!ニュース見ろ!!人の心はないのか!なんて大人げなくワアワア思ってた。そんなことさすがに書かなかったけど。
お仕事なので担当さんだけじゃなくて、窓口になってるだけで後ろには制作進行の方とか、製版所さんとか、他にもお仕事をされている方が控えていらっしゃる、それはそう。
今読み返したら全然棘のない優しい文章だった。申し訳ない。

けれどこのときばかりは大丈夫なんて言葉は目にしたくなかった。
この世界に櫻井敦司がいなくなってしまったのに大丈夫なわけないだろう。まじで。
自分にとっては背骨を抜かれたような気持ちなんだから。

でも、この日にどうしてもやらなくちゃいけないことがあるって逆に良かったとは思う。締切が明日じゃなければ何もできなくなってた気がする。
もうニュースになってトレンドに上がっていたので、仕事に向かうために頭を切り替えたかった。
その話知っていますよ、という意味を込めてご冥福をお祈りするポストを投稿した。

ご冥福をお祈りします、と書いたもののその後あまりに悲しくなって一旦消したけど。
知ってますよ。知らないはずないじゃないですか。
ニュースや伝聞じゃなくて公式のお知らせをいちばんに見れたのは心底よかったと思う。

そのあと、長年好きだと言ってたせいか、何人かの友達や読者さんが私を気にかけてくれたりした。みんな本当に優しいなあ。その度に泣いた。
あっちゃんを言い訳にして仕事しないっていうのは絶対嫌だと思ったから絶対明日納品しようと思った。自分のやることに向き合わないのは、あっちゃんに対して失礼だと思った。
あっちゃんならこんなときでも仕事してたと思う、言うてただのファンだから実際は知らないけど。そういう人だと勝手に思っている。でないと35年も続けられないと思う。それを励みにした。

そういえば、今回か、前回だったかのツアーで、あっちゃんがMCで「締切は待ってくれません!」って叫んでて、あっちゃんにも締切あるんだーって笑った記憶がある、いつの公演だったかちゃんとメモっとけばよかったな。

どうにかこうにか、事情に詳しくない友達に付き合ってもらったり、『呪術廻戦』のアニメとかをずっと流してなんとか仕上げた。ひとりになると感情の波が込み上げてきて、鼻が詰まって何度か呼吸困難にもなった。目も腫れていたので、ちゃんとできてたかどうかはわからないけれど。
結局まあまあ遅くなってしまって迷惑はかけた気はする……
在宅仕事なので、ひとりで泣けただけまだ全然マシだったと思う。

アニメを流しながら、この時にエンタメの存在ってすごいな、と改めて思った。全然頭には入ってこなかったけど、それでも現実を切り離して知らない世界に連れて行ってくれる。
自分もいつか誰かの何かの時に寄り添えるような仕事ができたらなと思った。

ファンになったきっかけのアルバム、『狂った太陽』に『さくら』と『JUPITER』という、櫻井さんのお母様の死をもとに書かれた歌詞がある。
当時中学生だった私は、身近な人の死をこうして歌詞にして、歌って、衆目に晒す、というと言い方は悪いけど、作品にして、演出して、装飾して、エンターテイメントにして、何かしらの評価の対象にしてしまうことに対して疑問があった。というか、今まで、櫻井さんが亡くなるまで、それってどうなんだろう、とずっと疑問だった。
自分の感情が、人の手に渡ることによって歪んだり濁ったりしないんだろうか。
それが怖くなかったんだろうか。
悲しみとかそういうのはプライベートなもので、誰かに教えるべきではない、という謎の思い込みもあったんだと思う。
けど今櫻井さんを失って、このときの感情って自分のためにも残しておかないといけないんだな、とようやく気づいたような気がしている。悲しみだけじゃなく、喜びとか怒りとか、何でもそうだけど、発露して、それが色んな人の手に渡って、少しずつ軽くなって、誰かのもとに届くことによっていつしか昇華されて救済されるものなんだと思う。自分のためなんだと思った。
長年BUCK-TICK聴いてて、そんなことも気づかなかったのか、って思うんですけど。
あっちゃんがどんな気持ちであの言葉たちを選んで、歌ってたかなんて真にわかり得ないんですけど。
それでも長年、愛と生と死に、時にシリアスに時にユーモラスに、向き合って歌い続けてきた人の作品だからこそ自分を始め、大勢の人に寄り添ってくれる存在になったんじゃないかなと思う。

BUCK-TICKの死をテーマにした歌はその後、『Die』をはじめ妙に明るい曲が多くて、死ぬことは決して悲しいだけのことじゃないんだよ、というメッセージのように勝手に受け取っていた。
ライブで『memento mori』の演奏中、手拍子が揃う客席を見ては、自分の葬式にかけてくれたら嬉しいな、なんて考えたりもした。贅沢に今井さんとあっちゃんに歌い上げられながら手拍子で出棺されてみたい。別に葬式は全然なくてもいいけれど。

最新作の『異空』の先行シングルの『太陽とイカロス』なんて、そのままギリシャ神話のイカロスの逸話をベースにしているけど、死の意識が見える歌詞なのに、なんて爽やかで軽やかに歌い上げる楽曲なんだろうな、と改めて思う。
この明るくて爽やかで寂しくて優しい死生観を、いつか必ず来るお別れのために伝えられてきたのかな、という気もしている。

なので、ずっと覚悟はしていたけど、思った以上に早くて早すぎて、勝手にあと10年は見れるつもりでいたし、これから全員おじいちゃんになっていくBUCK-TICKを楽しみにしていたのでこの現実はとても受け入れ難かった。

若い頃は、BUCK-TICKは南総里見八犬伝の八犬士みたいに仙人になって全員この世から仙界へ旅立つのではぐらいファンタジーなことを考えたりしていた。人間だぞ、そんなことあるわけないのにな。

少しずつ冷静になって、毎年この時期にはBUCK-TICKのツアーがあるなとか、日程出たらどこ行こうと友達と相談し合うこととか、12月29日は武道館があるから絶対このあたりは空けておくとか、そういうことがもしかしたら自分の今後の人生から失われていくのかな、と思って更に寂しくなった。
いや別に解散したわけじゃないから毎年12月29日に何かしら予定入れてくれるのかもしれない。どうなんだろう。でも何があっても全員姿を見せてくれなくなるまで見守り続けたい気持ちは変わらないです。というか、見守らせてほしい。お願いだから。
今井さんが「続けるからね」とファンに向けて書いてくれたことが救いです。
アニイの誕生日も、できたらこれからも毎年祝わせてほしい。

原稿を納品したあと、友達と会って献杯した。
献杯って上に掲げるだけなんだね、身近な死に触れたのがだいぶ前だったからどうだったかすっかり忘れていた。
自分がいかに物を知らないか、ということだけはわかった。

ライブ中のエピソードやツアーの思い出とか、BUCK-TICKの話をした。あっちゃんが可愛くて、優しくて、面白かった話しか思い出せないな、なんて笑って言い合った。
だいぶ紛れて救われた。こういうときのためににお葬式って、やっぱり必要なんだなと思った。


とにかく存在感と表現力が凄まじくて、たまにMCで訳のわからないことを(失礼)叫んだりするのも面白くて、笑った顔が可愛くて、猫アレルギーな(らしい)のに猫が好きで、最近ではステージ衣装で太ももを見せつけ過ぎでは…?って思ってたあっちゃん。
中学生の頃に知ってから、いちファンは多分勝手に長年の友達のような気持ちだったんだと思う。超勝手に。向こうはこっちをしらんけど。すみません、ファンの中の一人です。
とてつもない影響力を持った表現者なのにそう思わせてくれる謎の親しみやすさがあった。
発表から一晩経って、国内外のファンの方や、櫻井さんと直接交流のあった方々が思い出を語られている言葉がどれもこれも優しくて、愛しさと悲しみに満ちていて、それを見てはとても慰められた。
柔らかい内面を開いて教えてくれて、本当に感謝しかない。みんななんて優しいんだろう。
みんな絶対好きになっちゃうよな。わかるよ。櫻井敦司はこの世の宝ですからね。
何目線かわからないけど思うよ。何度でも言う、太文字でお願いする。

櫻井敦司はこの世の宝です。

あっちゃんがあまりに優しい人だったので、メンバーも交流があった方々もやっぱり優しいんだと思う。周りも優しいからあっちゃんも優しかったのかもしれない。わからないけど。
あんなふうになりたいなと思った。何回人間やり直せばいいかわからないけど。
生きる指針にしたい。

告知があってから、寝て、起きると、今後は5人のBUCK-TICKじゃないのか、と思う。
ひとりで外を歩いていると、この空の下にはあっちゃんの肉体がもう存在しない世界なのか、と思う。
不思議な気持ちになる。
すうっと胸の下から冷めるような。焦って、心臓が締め付けられるような、鼓動と呼吸が早くなるような。
友達と分かれたあと、誰もいない暗い道で涙が止まらなくなったりもした。ステージの上と下の関係でしかないのに。
直接交流があるわけでもないひとの死がこんなにも悲しく身を切られるほどの気持ちになるのか全然予想してなかった。

ファンになって30年ほど。与えてもらったことがたくさんあるし、BUCK-TICKをきっかけに好きになったものや、出会いも別れもいいことも悪いことも恥ずかしいことも情けないことも書き出すと止まらないぐらい、思い出がいっぱいある。
大袈裟じゃなく人生を作ってもらったなと思う。そういう人、大勢いると思う。そのうちのひとりです。

まだ1週間。訃報を目にして、まだ数日。
日付の感覚と情が薄い人間なので、あっという間に忘れてしまうかもしれない。
泣くこともそのうちなくなると思う。
それも寂しいなと思って、あのときのことと、今の気持ちを全部書いて残しておこうと思った。正直書き足りないぐらいの気持ちはあるし恥ずかしくなって消すかもしれない。それでも書いておこうと思った。

最後に見たのは9月の群馬音楽センター2Days。
異空ツアーの集大成のような、この日は櫻井さんの気迫が凄まじくていつも以上に圧倒された。恐ろしいぐらいの完成度のステージだった。
BUCK-TICKのアルバムは、やっぱりライブ込みで完成してるんだと思う。
最新作が一番好きだ。
今まで見た中で、最高のBUCK-TICKだった。
会場を出ても特別な演出があって、ファンでいてよかったと心の底から思った。
メンバーも、スタッフも、BUCK-TICKに関わってくれてる人みんな愛に満ちた仕事をしている。そのことにとても励まされる。大好きだ。

好きになってから、概ね行きたいライブにも行けていて、幸運なことに満足なファン生活をさせてもらえているので、後悔は殆どないけど、でもやっぱりあと10年は5人揃ったBUCK-TICKを見続けていたかったよーーー!!!
心残りといえばやっぱりそうなってしまうな。本当に寂しいし悲しいし悲しいです。

悲しいけど、BUCK-TICKと出会えて、生きている間に彼と彼らが作る世界に触れられて本当に良かったなと思っています。


櫻井敦司さんのご冥福を心からお祈りします。
どうか幸福で、安らかでありますように。

そして4人のBUCK-TICKのメンバーも、スタッフさん方もどうかどうか健やかでありますように。
中止になったツアーもそのまま会場で企画を続けてくださること、ツアートラックが全国を駆け抜けてくださっていること、感謝の念が絶えません。
ファンを本当に大切にしてくれて本当にありがとう。
BUCK-TICKは生涯の宝です。


いちファンより。


【追記】
仕事中、自分は櫻井さんを励みになんとか一晩乗り越えましたが、切羽詰まってなければ何もしなかったと思います。本文には書きませんでしたが当日歯医者の予定はキャンセルしましたし、できないタスクは切り捨てました。
このことが誰かを追い立てるような言葉になっていませんように。
情動的にただ書き連ねたものでしたが、思いの外多くの方に目にしてもらったので言い回しがおかしかったところや言葉が足りなかったところ、BUCK-TICK公式の活動への感謝など、一部加筆修正をしています。

読んでくださり、ありがとうございました。

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