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モノで永久的に幸せにはなれないんだ

人間はもうモノを購入すること(物欲を満たすこと)では幸せになれない段階にきている。

美味しいものを食べても、お気に入りの服を買っても、素敵なホテルに泊まってもその瞬間とそのあと3日間くらいは満たされた気持ちでいられるけどすぐに冷めてしまいます。大人になるにつれてそのハードルはどんどん上がっていって、その度にクリアしてきたけれど結局そのあともさらに上を求めるだけでした。

お金をかけるレベルがどんなに上がっていっても結局は同じ。このままじゃ貪欲さによって幸せだと思えない日々が満足できない日々が続いてしまう。わたしは周りや環境によって苦しめられているんじゃない、自分で自分のことを苦しめているんだということに気がついた。

美味しいものを食べて新しい服を買って自分のどの部分が満足していたのか、また満足していない部分はなにかを考え始めました。

美味しいものを食べたときまずは単純にその美味しさに幸せを感じます。それは1人で食べたときにも感じることができますし、安いものだったとしても感じることができます。でも、食べたときに感じる幸せはほんの一瞬。食べ終わってしまえば数分でそのときの感動は消えていきます。

一瞬で終わってしまわないように人間はある工夫をします。それは友人や家族に報告をすることでさらなる満足を得るというもの。食欲を満たした満足だけでは長期間良い気持ちでいられないので、今度は相手に新しい話題を提供したことの満足や他人の凄い・羨ましいなどの言葉によって得られる承認欲求を満たします。

これで美味しいものを食べて得られる幸せ感は1週間程度つづきます。お気に入りの服を買ったときもだいたい同じです。まず手に入ったことに幸せを感じます。家に帰りどれだけ自分に似合うかファッションショーをし、いつどこに着ていこうかと想像を膨らませることで楽しみます。

そして友人や恋人や家族にその服を褒められることでさらなる満足感を得ることができます。これによって服を買ったことで得られる幸せ感は購入したことだけで得られる幸せ感よりも長時間保たれます。けれどいつか服は古くなりその気持ちも時間とともに廃れてしまいます。

人間は気持ちのいいことを求めます。長続きしない幸福感はクセになり、その一瞬のためにわたしたちはまた美味しいものを求め新しい服を買うのです。幸せが長続きしない限り無限に続く負のループのよう。

そこでもう少し自分を探ってみることにします。なぜ美味しいものを食べるのか、なぜ新しい服を買うのか。逆から考えてみました。この世に誰もいなかったらわたしはわざわざ美味しいものを食べに行くだろうか、新しい服を買うだろうかと。

答えはおそらくNOで、わたし以外に誰もいなければわたしは有名なスイーツを食べたり、話題のレストランに行ったり、穴場を探したりなんかおそらくしません。着ている服が古くならない限り新しい洋服なんて買わないでしょう。これによってわたしの行動にいつも結びついていたのは「他人」だということが分かったんです。

わたしは物欲を満たしていたのではなくて「承認欲求」というものを満たそうと美味しいものを食べ、新しい洋服を買っていたんです。このことを認めるまでとても時間がかかりました。でも、「この世界に自分以外いなかったら」という問いがわたしを丸裸にしてくれたのです。

物欲の裏に隠された本当の欲求。承認欲求という自分の本当の欲求に気づくことができました。けれどこの承認欲求というものは物欲を満たそうとすることと同じでいつまでたっても満たされるものではありません。100人の人間がいたら100人全員から良い評価を得られるなんてことは絶対にないからです。

どんなに素晴らしい人にも必ず否定する人間が現れます。否定のパワーはとても強いです。100人中99人が肯定派だったとしても1人の否定派のことを気にしてしまうものなのです。

物欲も承認欲求も満たされることのない欲求。どうやったらわたしはこれらの欲求から解放されるだろうか。きっとわたしはまだ知らないことが多くて、この頭で考えられることが少ないから答えが出ないのかもしれない。とにかく物欲と承認欲求がうずまく日本にいたらわたしは一生抜け出せない気がする。

そうして旅することを選択しました。旅の中で出会った新しい考え方や気づきはこのnoteに残していきます。







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