努力しても報われないこともある-人生は短い-
多くの聡明な方々が言っていた言葉。最近では野球選手のイチローさんが言っていました。わたしはこの言葉をもっと幼い頃に知っておきたかったなーと思うのです。
「努力すれば報われる」とか「正義が勝つ」とか「神様はちゃんと見てる」とか。そうやって育ったわたしは自分は報われるものだと思っていました。ちゃんと正しいことをしていればいつか自分は報われるのだと。
でも、現実は冷たくて"努力しても報われない"ときもあるし、"正義が負ける"ときもある。"神様はちゃんと見てる"かもしれないけど、見ているだけのときもある。
どんなに自分は誠実に嘘をつかずにいたとしてもイジメられることもあるし、社会では正義はけっこう負ける。神様が起こす奇跡はめったに起こさないから奇跡なのだ。
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この言葉の悪いところはすべて"他力本願"だということ。自分が報われないのは"誰かのせい"。
そう思っているといつのまにか悲劇のヒーロー(ヒロイン)ストレスが自分を蝕むようになる。「こんなに努力しているのにどうして評価されないんだ」と。
努力したら努力した分だけ報われるなんていうのは幻想。努力しなくても報われる人もたくさんいる。
だから、「努力」はしなくていいと思う。イチローさんが言うように「努力と感じている状態はまずい」んだと思う。
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好きでもないことに耐え忍ぶことを人は「努力」と表現しがちだけど、報われるか分からないのなら好きなことしまくったほうが良くないでしょうか。
好きなことをし続けるっていうのも今の社会では難しいですよね。「いい年して何やってんの」とか「はやく大人になりなさい」とか「社会人失格」って言われるかもしれない。
耐え忍ぶことを努力と言うならば、わたしは"なんと言われようとも好きなことをし続ける"という努力をしたい。
好きなことのためならきっとイチロー選手の言う"努力してるって思わない状態"が作り出せますしね。
報われるか報われないかなんて誰にも分からない。いつかくる"成功"をひたすら待つような生活はやめて、毎日好きなことして幸せに過ごすほうがいい。
いつかの誰かによる成功を待つには人生は短すぎるから。
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