流産しました

あれから腹痛は一向に治らずさすがに辛かったので病院へ。ゴールデンウィークまっただ中で普通診療はしていませんと書いてあったので電話しました。

要件を話そうと「検査薬で陽性反応が出たのですが…」と途中まで話したところで「妊娠の判定は今日はやれません」とスパッと切られそうに。半分泣きそうな気分になりながら出血と腹痛があることを伝えると「症状が出ているのなら予約は取れませんが来てください。待つかもしれませんが」と。

なんとなく嫌な印象を感じながらもとにかく行くことにしました。受付でも電話を受けた方とは別の女性が同じような問答を繰り返しそうだったので、一呼吸おかずに要件を伝え、かつ先ほど電話した者ですと伝えました。受付の方は別の女性に通すんですか?と割と大きめの声で聞いていました。なんだか不安。

血圧を測り、採尿して呼ばれるのを待ちました。待合室は落ち着くようになのか薄暗くてお洒落なボサノヴァが流れていました。血液がぐにゅぐにゅと波打つような感覚。眩暈とは違う貧血とも違う。下腹部の鈍痛と先の見えない不安でクラクラしていました。

早く診断して欲しい気持ちと結果を知りたくない気持ちがせめぎ合っています。もうここまで来たら結果から逃げる事はできないのに、まだ逃げてしまいたい気持ちが浮き上がってくる。もしかしたら大丈夫かもしれないと期待してしまう気持ちを打ち消すように別のことを考えたりして。この時間が1番辛かった。

名前が呼ばれ診察室に入り席に着くと、少し太ったおじさんのお医者さんが仏頂面で「何週だと思ってるの?」と。最初は何を言われてるのか理解できず「え?」となっていると、「もう4週だよ?今時ここまで放置することありえない」と。思わずすみませんと謝ると今度は「体重60キロもあるの?」と。問診票に記載した多分それくらいになっているだろうと予想して書いた体重。「おそらく」と言うと「太り過ぎ」と。「妊娠したいならあと5〜6キロは落として」と。

「たぶん流産だと思うよ。はい、となり」とカーテンに囲まれた診察台へ行けと言わんばかり。突然の出血と朝4時からの腹痛で心身ボロボロな気分にだったわたしはいきなりのお説教とぶっきらぼうな物言いに呆然としていました。

そして診察しながら一言。「流産」と。そのまま流産処置に入ったようなのですが、股間に何かしら尖った処置具があたったりして「雑」な感じで処置されたような気がしました。なぜこんなめにあわなきゃいけないのか、そう思った瞬間涙が溢れ出てきました。

泣いているわたしに再度説教と薬を処方すること、一週間後にもう一度妊娠反応を見るからと言い、エコー写真をぽいっと渡されました。そして「終わり」と言いながら次の人のカルテを広げ始めました。

受付で待っていた夫を見たときまた涙が溢れてきました。流産したことが悲しいから泣いていたわけじゃありません。早い段階の流産は子供の染色体異常などが原因だそうです。わたしは親孝行な子だったのだなと思っています。下手に流れる子を止められないほうがいいとさえ思っています。そうじゃなくて、流産したくてしたわけじゃないのに何故あんな言い方をされなきゃいけないのかと悔しかったからです。

受付で薬が処方されましたが、その薬の説明書もありませんでした。最初から最後まであまり親切さを感じない病院でした。すぐに帰宅してしまうと両親の前でも泣いてしまいそうだったので、夫にお願いして落ち着くまで公園で時間を潰しました。一週間後の再検診だけはあそこの病院へ行くけど、絶対にあそこで産みたくないと愚痴りながら強く夫に訴えました。

いろいろな主義主張があることは分かりますが、流産したくてしたわけじゃないのですから、流産したその日に説教して欲しくなかったなと思います。

気分もようやく落ち着いてきたので帰宅。おかげで両親には涙を見せずに報告できました。お医者さんのことを話し、今後出産する病院は費用は少し高いけれど総合病院にすることにしました。

再度妊活できるのは2〜3回生理が来たあとだそうです。また7月くらいに再開ということになります。

これはあくまでわたしたちの見解ですが、自然流産は決して隠すようなことじゃないと思っています。その後、再度妊活してもできなかったり、検査の結果わたしたちに疾患が見つかったとしてもわたしたちは決して自分たちを責めたりしません。自然にできないのであれば諦めようと思っています。

まだまだ子供が産めないと自己嫌悪に陥るような社会ではありますが、しょうがないことはしょうがないと割り切って生きたい。ありのままの自分に嘘をつかず胸を張って生きたいと思います。

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