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笹塚と若林さんとわたし

東京の笹塚に10年間住んでいた。

アパートから歩いて2分でコンビニに行けたし(2店舗あった。でも2つともセブンイレブンだった)3分歩けば格安料金で入れる音楽スタジオとファミレスに行けた。新宿の夥しいビル群がすぐ近くに見えていたけど、笹塚自体は商店と住宅で構成された静かで暮らしやすい街だった。

ちいさな公園がすぐ裏にあって、休みの日になると近所の子どもたちがよく集まって遊んでいた。わたしも気分のいい日は日陰のベンチに座って鈴の音みたいな子どもたちの声を聴きながら本を読んだりした。

外で本を読むのは気持ちがいい。
ドロドロした内容の物語だと現実世界とのギャップを楽しめてよりいい。 息子の同級生と不倫してしまう話とか、ぬか漬けから謎の生命体が生まれる話とか。

笹塚にはオードリーの若林さんが住んでいる、と思う。ラジオで「笹塚のカフェで」とか「笹塚のキャバクラで」とか「寝坊してヒルナンデスの入り時間にまだ笹塚に居た」とか話しているのをよく聞くから。

あの若林さんと同じ街に住んでいるんだなぁ、と1日に1回は考えた。夜遅くに仕事から帰ってシャワーを浴びているときや、眠れずにHuluで「オドぜひ」を観ているときに、このアパートからそう遠くない距離で若林さんがわたしと同じように呼吸をしていると思うと胸がどきどきした。

遠い存在なのに、こんなに近い。


よくオードリーはリトルトゥースのことを「ロングスカートのおばさんたち」と称するのだけど、わたしももれなくその中のひとりだ。実際にはロングスカートは履かないけれど、こころの中では野暮ったくて何色と表現すればいいか分からない(少なくとも茶系)ロングスカートを履いている。

不思議なのだけど、心が不安定になると、より若林さんのことをよく考える。わたしのようなおばさんを引き寄せる何かを若林さんが備えているということだと思う。にくいねぇ。
(実際にはおじさんとおじさんなのだけど)

前にもここで話したけれど、わたしは若林さんの「人生の童貞感」が好きだ。流れていく日々の仔細を見落とさずに感動し、失望する目を持っていれば、わたしの書く詩はきっと今とは違うものになっていただろう。ないものねだりをしても仕方ないのだけど「惚れたもん負け」という言葉がある通り、わたしも色々なひとに惚れて影響されながら生きている。

10年も住んでいたのに、笹塚で若林さんを見かけたことは結局一度もなかった。ラジオでよく名前が出る仲のいい芸人さんであれば何人か見かけたのだけど。それともわたしが気づかなかっただけだろうか。


#エッセイ #オードリー #若林 さん #ラジオ

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