キッチン

小学生のころ、母親からいきなり「あなたが女の子だったらねぇ」と言われたことがある。時刻は夕方で、母親は夕食の準備をはじめる前のひと休みをしているところだった。
「なんで?」訝しがって訊ねると、私の顔を見ながらしみじみと「女の子だったら一緒にキッチンに並んで夕食の支度とかしてたのかなぁ、って思って」と言った。

なるほどね、汗くさい男の子で悪かったね、と思いつつ(実際に何と返事したかは忘れた)、母親のちょっとした願望について知ることになった。

それから私は、高校を卒業して実家のある群馬を離れ、埼玉や東京で暮らした。そこで森羅万象・紆余曲折・千辛万苦の出来事があり、再び群馬に戻ることになったのだけど、私としては本当に不本意なことで、悔しい気持ちでいっぱいだったが、母親の願望については、ある程度叶えることができるなぁ、と思った。女の子になることは残念ながらできないけれど、一緒にキッチンに立つことはできる。一人暮らしのおかげである程度の料理はできるし、飲食店でアルバイトをした経験もあった。

最初に一緒に作ったのは野菜スープだった。私は鶏肉や野菜がごろごろ入った野菜スープが大好きだ。とくにレシピがなくても作れるけれど、せっかくなら美味しいものを、ということでインターネットでレシピを検索して、ふたりでスマートフォンの小さな画面を見ながら作ることにした。

まず具材を大きめにカットして、火の通りにくい鶏肉は先に炒めて、軽く塩胡椒した。そして鍋に水を入れて野菜を順々に入れた。そこまでは順調だった。母親は「ひとりで作るときよりスムーズだわ」と嬉しそうだったし、私もそれなりに楽しかった。

しかし、異変はそのあとに起きた。
「鶏ガラスープ〇〇gと塩をひとつまみ入れる」というレシピを見た母親は、ボトルの塩を、手のひらに軽く数回振り、そこから塩をつまんで鍋に入れたのだ。

ちょ、アナタ、待ちなさいよ
私は言った(焦るとオネエ口調になる)。"ひとつまみ"というのは、いっぱいある中からの"ひとつまみ"なのであって、母親はそもそも少ない量の塩から、"ひとつまみ"をしたのである。5粒くらいしか鍋に入っていなかったと思う。
「なに?」と母親は言っていたが、私は「アナタ、これじゃ少ないわよ」と逃さなかった。口調が、もはやデヴィ夫人だった。

「こんなもんじゃない?」
いやアナタ、こんなんじゃ味しないわよ、こんなひとつまみのやり方する人はじめて見たわ
「そうかなぁ、わりと薄味が好きだし」
何のためにレシピ見てるのよ?信じられないわ、今の

こんな調子である。娘とキッチンに立つのが夢だったのに、どういうわけだか、母親はデヴィ夫人とキッチンに立つことになってしまったのだ。かわいそうに。今でも一緒に料理をすると、たびたび私がデヴィ夫人になってしまうので、最近はあまり一緒に料理をしていない。


#日記 #エッセイ

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【エッセイ】

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