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「茶日の詩」について

茶日の詩』という詩を書きました。

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茶日(ちゃび)は、笹塚にあるカフェの名前で、駅から少し歩いた人通りの多い商店街の一角にあります。

わたしの家から笹塚駅までのルートに茶日が含まれていたので、通勤で目の前を通るたびに「オープンしたのね」とか「外観が素敵ね」とか「店名は何と読むのかしら?チャニチ?サジツ?」と気にしてはいたものの、当時はカフェに入るという文化がわたしの中にそれほどなかったので「でもお高いんでしょ?」とスルーしていました。

(茶日がオープンしたのは9年前で、わたしは22歳でした。当時はコーラばかり飲んでいた気がする)

なんやかんや時間が経ってコーラよりも珈琲を好んで飲むようになり、東京の至るところのカフェや喫茶店を巡るようになってから、ようやく茶日に足を踏み入れました。

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「灯台下暗し」とはこのことでした。
家から徒歩たった5分の場所にこんなにいいお店があったなんて。外からただ眺めていた日々が勿体なかったと後悔しました。料理も飲み物も音響も照明も接客も最高でした。

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さて、なぜ「茶日」を詩にしたかと言うと、茶日が3月25日をもって閉店してしまうからです。あと10日くらいですね。閉店のお知らせをfacebookで見つけたとき、わたしは一瞬声を失いました。それほど大切な場所でした。わたしはいま群馬に住んでいて、閉店の日までに茶日に行くことはおそらく叶いません。

記憶から流れて消えないように自分なりに何か形にしたいと思いました。

「あんなに近くにいたのに…」と昔の恋人との思い出をしみじみと振り返るみたいに、茶日のことを考えながら詩を書きました。茶日ファンの方にも届くかしら。

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最後に。これはどうでもいい話なのですが、いまも居るかは分かりませんが、茶日の店員さんにオードリーの若林さんの首元をすっきりさせたようなひとが居て、わたしはこっそり「正恭」と呼んでいました。
かわいい男の子だった。


#エッセイ #詩 #茶日 #笹塚

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