3月10日~12日
3月10日
「茶日の詩」を書きたいなぁ、と思い立つ。
エッセイよりも詩のほうが胸のうちを伝えやすそうだと考える。「茶日」という空間には詩がよく似合う。よし、詩だ。
しかし、その前に「茶日」が何たるかを知らない人のために『笹塚駅近くの商店街の一角にあるカフェ』であることを説明したほうがいいな、と考える。
まずは「笹塚」について書きはじめる。
ふと、noteでお互いフォローしている人に「笹塚」という苗字?筆名?の人がいることを思い出し、いきなり「笹塚が好きだ」みたいなことを書いたら気分を害すかも…と一瞬心配になるが、そんなわけはない。
・・・
書いているうちに、笹塚にオードリーの若林さんが住んでいることを思い出してそのまま書く。だらだらと書く。
話題を「若林さん」から「茶日」にシームレスに移行する方法が浮かばず2時間ほど手が止まる。
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茶日に若林さんと風貌がよく似た店員さんが働いていたことを思い出し『この人が若林さんの弟さんだったりしてね』みたいなオチがつけられるのではないかと思い立つ。
イケるかも…
しかし、若林さんを笹塚で見かけたことはないけど、似た人ならば見たことがある、という文脈で「茶日」を紹介するのは本意ではないな、とかぐだくだ考えているうちに今日は茶日のことはいいやと諦める。
3月10日のエッセイのタイトル
「笹塚と若林さんとわたし」
なんの捻りもなくそのままである。
音楽を作っていた頃からそうだし、詩を書いている今もそうなのだけど、タイトルを決めるセンスが全くない。本当は誰かに決めてもらいたいくらいだ。
実際に歌詞をLINEで友達に送りつけてタイトルを決めてもらったこともある。
頼むくせに文句は言う。「それはダサいね」とか平気で言う。なんだこいつと自分でも思う。結局「まぁ、それでいいかぁ」とか言う。人としてどうかと思う。
3月11日
「茶日の詩」を書く。
茶日で食べた数々の美味しい料理のことを考えるうち、無性に美味しいものが食べたくなる。今すぐ茶日に行ければいいのだけど、わたしはいま群馬の人里離れた広大なジャングルに住んでいるので、近所に外食できるレストランやカフェなどない。
(どうでもいいのだけど「翔んで埼玉」という映画は群馬県民はどういう感情で観ればいいのでしょうか?群馬から見たら埼玉は都会の部類だ)
美味しいものが食べたければ自分で作るしかない、ということで翌日なにかしら作ろうと思いながら眠る。
3月12日
冷蔵庫を開けてみたら豆腐とひき肉とえのきがあったので、クックパッドで良さげなレシピを探す。クックパッドは素人さんのレシピなので、美味しいかどうかはこっちで写真とレシピを見て判断しなくてはならない。調味料や具材を頭の中で調理して、どんな味になるのかを想像するのは結構楽しくて好きだ。
「塩麻婆豆腐」というものを作って、家族に振舞う。「珍しいわね、地震がくるんじゃないの?」と母親に言われる。3.11の翌日なのに物騒なことを言うなとゾッとする。
・・・
わたしは普段ほとんど料理をしない。
東京から群馬に出戻ってきたころは結構作っていたのだけど、両親と自分の食の好みが全く違うことが判明してから一気に台所から遠ざかった。
味付けの仕方も全然違う。
母親と一緒に台所に立つと、わたしのほうがババアみたいにガミガミうるさくなってしまう。母親が半笑いで「うるさいわねぇ」と言ってくれるので無事で済んでいるけれど、もしお互いの正当性を戦わせるようなことになれば戦争は不可避だろう。
「おいババア!文句言うなら毎日自分で作れよババア!」と母親に言われるようなことがあると困る。毎日自分の分だけ用意するのは面倒だし非効率だ。政治的判断においてわたしは身を引いたつもりだ。
何か?
なんにせよ「塩麻婆豆腐」は美味しく完成し、家族にもわりと評判が良かった。
美味しいものは正義だ。
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