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#27【日記】きらきらひかる

わたしの部屋の本棚には、古本屋で買った本がたくさん並んでいます。ほとんどが東京に住んでいた頃に買った本ですが、発売されたばかりの新刊本以外は、いつも古本屋で買っていました。その古本屋を贔屓にしている見知らぬ誰かが売りに出した本が並んでいる棚を、ゆっくり時間をかけて見て回り、気に入ったものを"連れて帰る"のです。この"連れて帰る"という感覚がなんとも好きです。ペットショップで動物を買って、はじめて自分の家へ連れていく気持ちと似ていると思う。(ペットショップで動物を買ったことはないけど)同じ理由で古着も好きなのですが、古本はなんといってもお安いです。まぁ、冷静に考えれば、わたしが古本屋で買った本も、普通に新刊で売っている場合がほとんどなのですが、とにかく古本が好きです。表紙がちょっと破れていたり、中のページが多少折れていてもいいのです。珈琲の茶色いシミがこびり付いていたり、10年前くらいのレシートが栞代わりに挟まっていたりするのも趣があって、また良しです。

なんでこんなことを急に言い出したかと言うと、今日自分の本棚の前でぼーっとしていた時に(整理をしたり、読む本を選んでいたわけではなく、ただ、ぼーっとしていました)他の本より明らかに状態の悪い本が目についたのです。背表紙もタイトルを読むのがやっと、というくらいにカバーも剥げかけていて、表紙も真ん中から折れ曲がっていました。「こんなひどい状態の本、買ったかなぁ?」と思ったのですが、なんてことはない、この本は古本屋で買ったものではなく、普通の書店で新刊本として買った本でした。

買ったのは、わたしが19歳の頃。今から11年前です。江國香織さんの「きらきらひかる」。こんなぼろぼろになるまで読んだのか、と少し感動してしまいました。たぶん、10回20回は余裕で読んでいると思います。わたしはこの小説に出てくる登場人物がみんな好きです。笑子も、睦月も、紺君も、少しずつ、わたしの中にいる気がします。笑子の衝動的な性質も、睦月のそれを受け止める底なし沼みたいな優しさも、紺君の飄々とした愛情表現も、わたしはどれも身近なものとして感じることができます。今でも、きらきらひかるを読むと、自分が物語にすっぽりとフィットしていくのが分かります。読んだ時期も良かったんだろうなぁ、と思います。19歳というのは、スガシカオさんも言うように、宙ぶらりんで、ほんの一瞬でも、本気で愛したり愛されたいって強く思う年齢ですから。時には、お互いに惹かれあい、時には、お互いを吸い尽くしてしまうからと後ずさりしたり。いいですねぇ。わたしも、当時は今より5万倍くらいピュアでしたからね。だけど、いちばんわたしに近いのはきっと笑子です。笑子は女性で、わたしは男性なので、おかしな話なのかもしれないけど、わたしに睦月がいたらなぁ、って、年に何度か思います。どうしようもなく悲しい日とか、泣き出したい日に、(ほとんど)何も理解はしていないのに、ただ、優しい睦月がそばにいたら、救われるだろうなぁ、と思うのです。誰かに自分のことを理解してもらおう、なんておこがましいことは思いません。ただ、好きな人がそばにいて、通じ合えてる、とお互いに感じられることが重要な気がします。

きらきらひかるをはじめて読んだのは19歳の頃でしたが、あの頃しか書けないものもたくさんあったんだろうなぁ、と思います。でも、今、過去詩リマスターをやっていて思うのは、圧倒的に技術が足りなかったなぁ、ということばかりで。今が技術的に優れてるとは全く思わないですが、良くも悪くも自分の能力は積み上げ型で、やった分しか上達しないんだなぁ、と。過去詩リマスターの元になる詩を書いていた頃(2013〜2014)は、30歳になるまでに詩集を出したい!と思って頑張っていたのですが、今となると、ちょっと生意気な目標だったのかもしれません。かと言って、今が優れてるとも思わないから、このままだとずるずる後ろにずれていくことになってしまうのだけど。

…どうしよう、50歳を超えてから最初の詩集を出版していたら。人によってはそれでもいいのだろうけど、わたしはそれはとても嫌なのですけど。あれ?なんの話をしているのだろう?古本と、きらきらひかるが好き、という話ですね。いつもにも増して、とりとめもなく書いてしまいました。

では、今日はこの辺で。
ありがとうございました。
おやすミッフィちゃん。


#日記
#江國香織 さん
#きらきらひかる

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