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詩と写真と

私は写真詩が好きです。
絵本みたいで。ページをめくるのが楽しい。
ちいさな物語詩だとより楽しい。 

以前、donor(ドナー)という写真詩のプロジェクトをやったことがあって、私は今でもdonorで書いた写真詩をわりと気に入っているのだけど、また写真と詩で何かやりたいなぁ、とぼんやり考えています。

【donorとは?】TwitterのリプライやDMで写真を送っていただき、Sunano Radioが詩を書いてnoteで発表するというもの。写真を送ってくれた人のことをdonor(提供者)と呼んでいた。送られた写真を何日も眺めて、自分の思い出のようにして詩を書いた。

でも、いくつか問題があって、いちばん大きいのは「自分で詩に相応しい写真を撮れない」というところです。機材が…とか、フィルムのほうが雰囲気が…とか、そういうことではなくて、単純にセンスがない。ヘタ。不器用。詩しか書けない。

いやいや、詩もそんなにうまく書けてないだろ、と思う方もいらっしゃるでしょうけど、詩はまだ書けてます。というか、詩に対しては「いつかいいものが書ける」という根拠のない自信があるのだけど、写真にはそれがありません。ちょっと、写真見てみますか?

どうですか。なんか、惜しいんですよね。一見すると悪くない気もするのだけど、いまいち惹かれないというか、無理矢理どうにか形にしてやろうという卑しさを写真から感じます。 

となると誰かと組んで、写真はその人に任せて…とかも考えるのだけど、共作の難しさもありますよね。相性もあるだろうし、かといって、人を選べるような立場に今はいないし。 

…などと考えていたら、今日noteに何を書くか全然決めていなかったので、脳内をそのまま晒しました。


#エッセイ  #donor

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