本物になりたい

【はじめに】この記事には何ら得るものはありません。お読みくださる際は予めご了承ください。オチは『生駒ちゃんやばすぎる』です。

 「本物」とは何なんだろうと近頃よく考えます。考えはするのですが、結論は出ません。僕はやっぱり頭が悪いのです。(疑問に対して1つの答えを出すことが極端に苦手です)
 何かを見て「本物」だなぁ、と思ったことはありますか?感情を揺さぶられて、しばらく立ち直れなくなるような、卒倒しそうになるような感覚。僕は、何度もあります。

 例えば、バナナマンのコントを観るとき、僕はいつも泣きそうになりながら笑います。はじめて観たのは【宮沢さんとメシ】というネタなのですが、あまりにもそれまで観てきたコントとバナナマンのコントは違っていました。映画を観ているような気分にもなったし、何故か絶望的な気分になったときもありました。

 あと、「幻の命」を演奏している時のSEKAINOOWARIのSaoriさんには毎度ギクッとさせられます。あの曲は歌詞もすごいですよね。内容もそうだけど、書き方というか、表現することへの覚悟を感じます。

 ここまで書いてみて僕が「本物」と感じるためには自分が激しく「感動」することが必要だと言うことが分かります。よく読むと最初から「感情を揺さぶられる」云々と書いていますね。う、頭が・・・。
 ということは、僕にとっては「本物」でも、他人の視点で見るとそうでないということが起こるわけですよね。Michael Jacksonの話題になったときに、ひたすら整形のことばかり話す人がいるけど、そういう人はゴシップでしかMichaelを見たことがないんだろうなぁ、と反射的に切り捨てていたけれど、もしかしたらパフォーマンスを見た上で、そのような態度を取っている可能性もあるということですよね。信じがたいけど。価値観によって左右する。そうなると「本物」を目指すこと自体、すごく曖昧な目標になってしまう場合があるわけですね。

 うーん。難しい。着地点が見つかりません。書いていたら頭が整理されてそれらしくまとまるかなって少しだけ期待していたけど。カシャン(匙が投げられた音)

 僕が「本物」についてあれこれ考えるきっかけになったのは生駒里奈さんが乃木坂46を卒業するときに残した「本物になりたい」という言葉だったのですが、日本武道館での「Against」のパフォーマンスは僕から見るとまごうことない「本物」でした。

 ソロダンスをする生駒さんを見つめる向井葉月さんの表情が乃木坂工事中のカメラに抜かれていましたが、あの表情がすべてを物語っていた気がします。とんでもないものを見てしまった…!!というあの表情。

 「本物」というのは、人がそれぞれ感性を持っている以上、ひとつの定義でおさめることが難しくて、自分がもし「本物」になった、近づいたと思っても、まわりからは全然理解されないかもしれない。そこのギャップに耐えて、熱量を持ったまま努力し続けられる人だけが「本物」に成る資格を持つのかもしれない。
 後輩とファンにあんなものを見せておいて「本物になりたい」と去っていく生駒ちゃん。やばすぎるでしょ。

#ブログ  #生駒里奈 さん 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?