10号までの翻訳日記まとめ

 Webマガジン10号到達記念企画第三弾。10号までの翻訳日記をまとめました。よろしければ。

2017年12月30日(土曜日)晴れ
 柏書房の竹田純氏、来訪。打ち合わせ。竹田氏はいつも最寄りのファミレスまで来てくれる。「そういえば、最近、夏目さん、Webマガジン始められたんですよね・・・」と言われる。申し訳ないが、これは竹田氏にとっては地雷を踏んだようなものだ。何しろ、創刊したばかり。こちらは話したくてしょうがない。喜んであれこれ話す。なぜ始めたのか、どうしていきたいのか、云々。話すうち、竹田氏からこういう発言が出た。

「そうそう、今、お願いしているTime Travelですけど。あの本の翻訳日記とか書いていただいて、まったく構いませんよ。むしろ書いてください。どういうことが書いてあって、翻訳するのに、どういうことを勉強している、とか、そういういことを」
「え、いいんですか。竹田さんの実名とかバンバン出しますけど、それでも大丈夫でしょうか」
「はい、是非、お願いします」

 というわけで、この第2号から、James Gleick著”Time Travel”の翻訳日記を連載することになった。柏書房から刊行予定。日々の翻訳作業について(可能な範囲で)リアルタイムで書いていきたい。もちろん、早く連載が終了する方が喜ばれるわけなので、ジレンマであるが・・・。
 “Time Travel”、これはタイトルどおり、簡単に言えば、時間についての本である。時間とは何か、タイムトラベルは果たして可能か。もし可能だとすればどういう問題が起きるか、といったことが書かれている。科学、哲学、両方のアプローチがあって大変興味深い。しかし、まあ、予想できると思うが、もちろん、翻訳は簡単ではない(簡単な本はないけど)。

・・・あれは、フリーで翻訳の仕事をするようになって間もない頃だ。まだ本の翻訳はしていない頃。神保町でポール・デイヴィスという人の書いた『時間について(About Time 林一訳、早川書房、1997年)』という本に出会った。

そして、それがきっかけでアウグスティヌスの

時間とは何か、誰にも問われなければ私はそれを知っている。しかし、誰かに時間とは何かと問われたら、それは私にはわからなくなる。

 という言葉を知った。以来、時間に強い興味を持つようになり、時間についての本を訳してみたい、という思いをずっと抱えていた。だから、この本の依頼が来た時には、来るべき時がついに来たという気持ちだった。個人的には「来るだろう」という予感が当たった感じ。まあ、他人にとってはどうでもいいことなのだけれども。待っていると来る、ということが私には結構ある。

2018年1月5日(金曜日)曇り
 いよいよ第6章。「時間の矢」というタイトルがついている。いきなりアインシュタインとか、ニールス・ボーアとか、リチャード・ファインマンとか、すごい名前が次々に出てくる。こういう名前を見ているだけで、どきどきわくわくするのはなぜだろう。難しいけれど、やはり楽しい。しかし、量子力学というワードが出てくると身構えるな、やっぱり。なになに・・・「ミクロの目で見た時、時間の進む方向は定まっていない。『こちらに進むのが正しい』ということはないのである・・・」一方、「私たちが普段、生活をしているマクロの世界では、時間の進む方向は決まっている・・・」うーん、そうなのか。そうなんだねえ。なんのこっちゃ。
 余談:くだらないけれど、どの本でも6章を訳す時には、決まって同じダジャレを言ってしまう癖がある。「ろくしょう(6章)と言っても、銅のサビではない…」ごめんなさい…。
進捗115/313ページ。

2018年1月7日(日曜日)晴れ
 ついに来た、エントロピーの話。
 そういえば、日々、掃除している時にはいつも、エントロピーという言葉が思い浮かぶ。エントロピーは常に増大し続ける。エントロピーが増大する、とはつまり、乱雑さが増す、ということ。ただ、毎日ほとんど座って過ごしているのに、怪獣が暴れまわったのか、というくらい散らかっていく部屋を見ていると、「うん、確かに増大しているね」と言いたくなる。いや、まあここはそういう話ではないよな。
 エントロピーが何で時間に関係あるんだろう。と思っていたら、どうやら、そこには「偶然」、「確率」が関係するらしい。物事の変化に偶然が作用する時、その変化がどう起きるかは正確には予想できなくなる。わかるのは確率だけだ。そして変化は不可逆になる。つまり、元へ戻せない、ということ。これは、時間が一方向にしか進まないことを意味する・・・まあ、わかるような気はするけどねえ。なんか騙されてるみたいな。
 そういえば、量子力学の話が出たので、ジャン=フィリップ・トゥーサンの『ムッシュー』という小説を思い出した。主人公のムッシューは、あの有名な「シュレディンガーの猫」の話をして、女の子を口説くのだった。あれで量子力学という言葉を覚えた。しかし、量子力学の話をする男を見て、「ステキ」とか思う女の子がいるのかねえ。まあ、いるかもしれないなあ。
追記:あとで『ムッシュー』を調べてみたら、量子力学のくだりは記憶よりずっとあっさりしていた。シュレディンガーの猫の話をするのは映画の方だったらしい。あらあら。
進捗:118/313ページ

2018年1月8日(月曜日)曇り
「コップの水を海に注いで、再び同じコップで海の水をすくったとする。すくった水と注いだ水がまったく同じである確率はどのくらいか。0ではないだろうが、極めて低いだろう・・・」なるほど。そういうことか。それが不可逆か。コップの水を海にぶちまけるのは簡単でも、水をコップに戻すのは大変。ハンプティダンプティが塀から落っこちたら、王様の馬と家来が皆でがんばっても、もう元へは戻せないってこと。だから、時間の進む向きは一つで、二つではない。わかったような気がする。え、それでわかった、でいいの? たぶん違うな。まだ半分終わってないから。とりあえず、第6章は訳し終わったぞ。14章あるから、次で半分・・・。
進捗:121/313ページ

2018年1月17日(水曜日)雨
 第7章、なんだかいきなりボルヘスの言葉の引用から始まっている。「時間は川の流れのようなもの」なのか否か、というのが話のテーマらしい。何となく著者はこの考え方に否定的のようにも見えるが果たして。
 ヘラクレイトスの言葉。「人は、同じ川に二度入ることはできない」古代ギリシャの哲学者、紀元前六世紀から五世紀の人だけど、これ、方丈記やん。鴨長明。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」ってやつ。鴨長明は1155年生まれで1216年没か。平安時代に生まれて鎌倉時代まで生きた。ヘラクレイトスとは、1600年くらい開きがある。時代も、場所もまったく違うけど、同じようなことを考えていたんだね。鴨長明、まさかヘラクレイトス知らないよねえ。ギリシャの存在も知っていたかどうか。いや、意外に知っているのか。正倉院には、ギリシャから伝わった宝物もあったはず。どうかな。正倉院は関係ないかな・・・
進捗:128/313
本書を含む総作業量10枚(1枚 = 400字)

2018年1月18日(木)曇時々晴
 びっくりした。マルセル・プルーストが出てきた。しばらく進むと、T.S.エリオット。そして、もしや、と嫌な予感がしたのだが、見事、的中! 出たー、ジェイムズ・ジョイスだ。一部とはいえ、ジェイムズ・ジョイスの文章を訳すことになるとは。最初は『若い藝術家の肖像』でほっとしていたら、やっぱり出てきた『ユリシーズ』。逃れられないな。長年、買おうかどうしようか迷っていた『ユリシーズ』の訳書、買いました。集英社文庫四巻セット。丸谷才一訳。しかたない。いやいや、もちろん嫌ではないですよ。
 何を勘違いしたのか、よく「理系の方なんですか」と尋ねられるが、私は文学部出身だ。でも、アインシュタインから話がジョイスに移って、「自分の土俵だ」とほっとするかというと、全然、そんなことはない。こっちも難しい。結局、私は文系というよりも、単なる「勉強できない系」なのだと思う。勉強できたら学者になっとるわい、と開き直ってがんばることにする。
 おや、ジョイスの話をしているかと思ったら、予知夢だって・・・怪しい話かな。
進捗:131/313
本書を含む総作業量12枚(1枚 = 400字)

2018年1月19日(金)曇
 やたらにT.S.エリオットの引用が多い。本名、トマス・スターンズ・エリオット。大学の英文科にいた時に名前を知った。なんとなくかっこいいからすぐに覚えた。結局、かっこいいのは、T.S.という略称だよなあ。J.D.サリンジャーのJ.D.と同じくらいかっこいい。こういうのって、やっぱり本人が、「俺は略した方がかっこいい」と思って決めるのだろうか。そう思うと、決める時、恥ずかしくなかったのかなあ、とも想像したりする。ペンネームとか、うまく考えられる人はすごいと思う。ラジオに投稿する時のペンネームとか、面白いの多いよね。今は、ラジオネームって言うらしいけど。よく考えたら、ペンを使って投稿する人はほとんどいないだろうから、当然か。高校の時、よく聴いていたラジオ番組で、よく覚えているのは「ハイヤー&タクシー」というペンネームの人。毎週のように読まれていた。「では、ハイヤー&タクシー君からのお便り…」という具合に。あ、関係ない話だねえ。この章はどうやら、時間は本当に流れているのか、それとも過去、現在、未来は、はじめから同時に存在しているのか、ということを論じたいみたい…難しい。
進捗:134/313
本書を含む総作業量11枚(1枚 = 400字)

2018年1月22日(月)曇後雨後雪
 大雪だ。積もった。引き込もっていたが、朝は起きるのがいつもより遅かったので作業量は少なめ。やはり5時起きでないと勢いが出ないところがある。今日のところの展開は地味。未来がすでにどこかに存在していて、私たちはただそこへ向かって移動していくのだとしたら、未来はあらかじめ決定していることになる。私たちの自由意志は本当にあるのか、未来は変えられるのか、その問題に果たして答えはあるのだろうか。ということを、しばらく例をあげながら書いている感じ。おそらく本書の中で答えは出ないのだろうけど、このあとどうなっていくかは気になる。
 次から次へと色々な話が展開される時は、こちらも乗っていきやすくて、ある意味、楽なのだが、そういう時ばかりではない。本は長いので、時には一つのことをじっくり書いていて、停滞しているように見える時もある。そこでだれてしまうと、読者にも伝わるかもしれない。気をつけなくては。
進捗:136/313
本書を含む総作業量8枚(1枚 = 400字)

2018年1月23日(火)晴
 打って変わって今日は上天気。積もっていた雪もあっという間に溶けた。ちょっとつまらない気もするが、外に出られたからよしとする。3日間くらいこもることも覚悟していたから。こもっていても、案外、仕事って進まないものだ。昨日の進捗は実際、良くなかった。
 色々な人がいる。いつまでも家にいられる人。というか、何か必要がない限りできるだけ家の中にいたい、という人もいるし、いつでもすぐ、外に出たいという人もいる。私はどちらでもない。うちの中にいるのがどちらかと言えば好きだが、ずっとこもっていると息が詰まる。ちょっと外に出て違う空気を吸うだけで良い考えが浮かぶこともある。外で気持ちが明るくなると発想がガラリと変わったりする。今日は少し出歩いたのに、一日中うちの中にいた昨日よりもはるかに仕事が進んだ。
 今日訳したところで印象に残ったのは、言語によって、現在、過去、未来の位置関係が異なるということ。英語などヨーロッパ言語は、過去は後方、未来は前方にあると表現される。日本語もそうだろう。これが逆になる言語もあるらしい。また、中国語(マンダリン)では、過去が上、未来が下になるという。時間は上から下に進むということ。面白いねえ。
進捗:139/313
本書を含む総作業量14枚(1枚 = 400字)

2018年1月24日(水)晴時々曇
 今日は今週はじめて5時に起きて仕事。最近、基本的には5時に起きることにしているのだが、そうなると前の日、10時前に寝ないといけない。無理をして、睡眠時間を削ってまで、ということはしない。睡眠を減らせば、その日一日は確かに仕事が進むかもしれないが長い目で見ていいことはない。何しろゴールの見えないマラソンだから、一時的に速くなっても仕方がない。とにかく一定以上のペースをキープすること。その「一定」が自分の場合、どのくらいなのかようやくわかってきた。20年以上やってわかるとは、遅すぎる。
 今日は「シュレディンガーの猫」という言葉がついに本文中に出てきた。量子力学の話だ。「特定のタイミングで生きているとも死んでいるとも言える、あるいはどちらとも言えない猫だ。人によっては、猫は生きていると同時に死んでいる、という言い方を好むかもしれない」とある。観察するまで、状態がどうなっているかは予測できない。わかるのは確率だけ。シュレディンガーの猫の場合は、生きている確率と死んでいる確率がどちらも50%ということになる。アインシュタインは「アホか! 神がサイコロ遊びをするなんて!」と怒ったのだよなあ。
 これに対し、「どちらの場合もあり得る」のではなく、「どちらの世界も存在している」という考え方もあるという。つまり、猫が生きている世界と、猫が死んでいる世界が同時に存在している。どちらも現実。並行宇宙というやつだ。パラレルワールド。何しろ、「そうではない」と証明するのはとても難しい。もちろん、日常の感覚では、「あるか、そんなこと!」となるのだけれども。
進捗:143/313
本書を含む総作業量13枚(1枚 = 400字)

2018年1月25日(水)晴
 氷点下の朝だったが、午前5時(正確には4時45分)に起床。いったん4時に目が覚めて、「ああ、まだ早い、まだかなり眠れるな・・・」と思ったが、実はあと45分しか眠れないことに気づき、絶望。まだ5時起きをし始めて日が浅いので、午前4時は夜中、という観念が抜けない。違う、4時はもうすぐ朝、なのだ。幸い、うちは暖かいので、歌のように、ふとんの中から出たくないー♪ という事態にはならない。ぱっと起きる(えらい)。
 今日は、エヴェレットの「量子力学の多世界解釈」の話。エヴェレットによれば、可能性の数だけ世界は存在することになる。たとえば、目の前にドーナツがあるとする。そのドーナツを食べるか食べないか、二つに一つ。どちらを選ぶかでその後の展開は変わる。食べてしまえば、食べなかった世界にいることはできない。食べなければ、食べた世界にはいられない。つまり、どちらかを選択すると、他の可能性をすべて消すことになる。それが普通の人の考え方だ。私たちの日常的な感覚ではそうだろう。毎日、仕事をするけれども、たとえば、10枚翻訳が進んだとして、進んだことは嬉しいけれど、その時間で20枚進む可能性もあったのに(ほとんど無理だが、可能性はゼロではない)、10枚やったことでその可能性を消してしまった、などと考えて辛くなることもある。ある時間、がんばって何かをすることは、それ以外の可能性を消すこと。無数の可能性を消さない限り、何もできない。私はそういうものだと思っていた。
 ところが、エヴェレットの考えでは違う。私が10枚翻訳したとしても、20枚翻訳した世界は同時に存在している。何をしても、可能性は消えない。ただ、世界の数が増えていくだけだ。んなこと言われてもなあ…別の世界に自由に行ければいいけど、行けないからねえ。
 第7章は今日で終わり。これでだいたい半分。残り7章、がんばろう。
進捗:144/313
本書を含む総作業量12枚(1枚 = 400字)

注文していたユリシーズ、第3号の発売直前にようやく届いた。外が寒かったので、本がとても冷たかった。クール宅急便やな、と思った。

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