思い出すことなど(13)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

(前回の続き)

課長はもう引き止めなかった。ついに私の退職が承認された。あとは時期だ。

「(ボーナスの入る)6月には、と思っているんですが」
「いや、それはないよ。今のプロジェクトが終わってからにしてもらわないと。7月。〆が20日だから、7月20日退職ということだな」

7月20日までの日々はあまり覚えていない。気が抜けていたんじゃないかと思う。同僚や先輩にも私が退職するという話はすぐに知れ渡った。

「やめるやめると言っていたけど、本当はやめないんじゃないかと思っていた」と言う人もいた。羨ましがる人、心配する人、反応はさまざまだ。

寄せ書きをもらった。

「がんばって、常盤新平さんのようになってください」
と書いた人。常盤新平さんの『遠いアメリカ』という本に感銘を受け、それが翻訳を志すきっかけになったという話を何人かにしていたからだろう。きっかけは一つではない。他にもいくつかあった。『太郎物語』の主人公、太郎のお母さんが翻訳家だったことも、影響しただろう。読んだのは中学生の時だけれど、長い時間が経って、翻訳家っていいな、と心のどこかで思っていた気持ちが表面に出たのかもしれない。

「人生、やりたいようにやった者の勝ちです」
と書かれたすぐ横に、
「私はそうは思いません」
書いてあって、ちょっと笑った。その時は私も、「やりたいようにやればいい」と思っていたし、なんでそう思わない人がいるのか疑問だった。今は「そう思いません」と言った人の気持ちもわからなくない。賛成はしないけれど。ただ、実際にやりたいように四半世紀以上、生きてきて、間違っていたとは思わないが、「勝った」とはまったく思わない。負けたとも思わないけれど。成功とも失敗とも感じてはいない。思うのは、

「まあ、こんなもんだよなあ」

ということだけである。大した能力もないのに、よくここまでやってきたと思う半面、やっぱり大した能力がないからこの程度のことしかできないんだ、仕方ない。とも思う。他にもっとましなことができたとはまったく思わないから後悔しているということもない。

出し切った、けど、やっぱり大したことはなかった。

ということだ。いや、これからまだ先はあるので、わからない。

―つづく

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