思い出すことなど(3)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。 

はじめてお金をもらって翻訳をしたのは、会社員の時だった。最初に就職した会社。ソフトウェアを開発する会社だ。今は、おそらく、早いうちからコンピュータとかプログラミングとか、そういうことを勉強していないと入れないと思う。でも、当時はそもそもコンピュータを持っている人が少なかったし、人手不足で好景気でもあったから、門を叩けば結構、簡単に入れてくれた。私は正直に言って、コンピュータにもプログラミングにもまったく興味がなかった。むしろ嫌っていた。ああいうのはちょっと変わった人(その頃はオタクとかナードとかギークとかそういう言葉はなかったのだ。あったら使っただろう)のやるものだと思っていた。じゃあ、なんでその会社に入ったかというと、簡単に言えば、「ヤケになっていた」からだ。何もしたいことがなかったから。
大学の三年くらいまで、音楽家になりたいと思っていた。中学生の頃から音楽に夢中で、他のことはあまり考えていなかった。しかし、ある日、急に「自分には無理だ」と悟った。自分の作る、奏でる音楽がまったく好きではない、楽しくない。楽しくないから身が入らない、そんなことでプロになれるわけもない。そう気づいて、ぱたりと音楽はやめてしまった。ただ聴くだけの人になった。
突然、目標がなくなり、その状態で就職、ということになったのだ。何をすればいいかわからない。ミーハー的な感覚でマスコミ各社を受けまくったが、箸にも棒にもかからない。バブル期で丙午ということもあり、同級生たちはあっという間に就職先を決めてしまう。自分だけが取り残される。焦った私は、リクルートから送られてきた分厚い冊子をはじめて手に取った。それが大学4年、8月の後半(遅い)。その頃は4年生になってから就職活動を始めるのが普通だった。就活なんて略語はなかった。
冊子を見て、とにかく人手不足の業界を探した。人手不足なら、すぐに入れてくれそうだったからだ。自尊心をなくしていた私は、とにかくどこかから「おいで」と言ってもらいたかった。そして、見つけたのがコンピュータ業界だったというわけだ。この話、次回に続けます…
—つづく

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