思い出すことなど(32)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1993年頃の話です...

(前回の続き)

しかし、クビはいいけど、どうするかな。せっかくここまでがんばったからできれば翻訳はやめたくないな。フリーでやれればいいんだけど、あいにく給料安くて蓄えもない。あ、そうだ。会社都合で辞めた場合は失業保険すぐに出るんだよね。いいや、それでしばらく食いつなごう。雇ってくれる会社あるかもしれないし。フリーでやれるかもしれないし。ただ、よそで力を認めてくれるかは不安だなあ。何しろ一度、失敗してるし。その頃と大きく実力が違うわけじゃない。やっぱり面と向かって会って話したことのある人でないと、わかってもらえない気がする。ほんとは今の会社でどうにか続けていければよかったんだけど、それもねえ...つくづく残念...

その日はともかく家に帰った。明日はどうすればいいのだろう。正式に退職手続きを始めろ、とか言われるのかな。あの、辞表とかいうやつ書いたりするのかな。筆で書かないとだめ、とかあるのかなあ。めんどくさいな。もうこのまま行くのやめるとかじゃだめなのかな。退職のためだけに出社するのばからしいな。あーあ。しかたないか...

あれこれ考えながら寝てしまい、翌朝はいつもどおり出社した。やる気ゼロで足取りも重かったが、なんとか会社まではたどり着いた。

会社に来てしばらくして、コーディネーターのお姉さんに呼ばれた。

「夏目君、Hさんが呼んでるよ」

なんだ、営業部長じゃなくて、3階から呼び出しだよ。意味ないのになあ、まあ、お世話になったし挨拶をしなくちゃな...そう思いながら階段を上がる。

翻訳部に着くと、Hさんがこう言った。

「あ、夏目さん、営業部がいらないと言うので、翻訳部がもらうことにしましたから。今日からよろしくお願いします。しばらくしたら名刺もできるから」

え、どういうこと? 何を言っているのか、すぐにはわからなかったが、だんだん飲み込めてきた。クビと言われたけど、会社じゃなくて、営業部クビ、ということで収まったらしい。野球にたとえると(たとえんなよ)、営業部を戦力外になった私を、翻訳部が獲得することにした、というわけか。

なんか、変な気分だが、結局、私にとっては一番良い結果になった。今日から翻訳の仕事だけしていればいい。ありがたいけど、こんなことって、あるのだろうか。大きな失敗をして、それで結果的に望みがかなうなんて。まんが日本昔ばなしなんかにはそういう話、絶対ないよなあ。普通はない筋書きだ。営業の仕事をきっちりこなせばいつか翻訳をさせてもらえる、と信じてがんばっている営業部の先輩たちに申し訳ない気もした。営業の仕事でまったく使えず、害にさえなったから厄介払いされ、そのおかげで希望の仕事ができるようになったなんてね。まったく妙な人生だ。まっすぐに進めないのだねえ、どうにも。でも、こういうことはめったにないから、良い子はまねしないようにね。くれぐれもわざと仕事失敗したりしないように。余計、状況悪くなるに違いないから。

Hさんには感謝してもしきれない。今にいたるまでそう思っている。よく「あの人に拾ってもらったから」というセリフを聞くけれど、まさに「拾ってもらった」ということだ。自分にそういうことがあるとは思いもしなかった。

恩返しのためにも、必死で働こうと思った。

―つづく―

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