思い出すことなど(14)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

(前回の続き)

ついに退職の時が来た。3年半ほどとはいえ、毎日通った職場をあとにするのは、そう簡単なことではなかった。とにかく、荷物が多いのだ。置いていくもの、処分すべきもの、持って帰るもの、この三つにまず分けなくてはいけない。置いていくものをしかるべき場所に移す。これは割にすぐに終わった。具体的な作業の記憶がほとんどないくらいだから、きっと楽だったのだろう。最も大変だったのは、不要なものの処分だ。主に書類。今はどうかわからないが、当時のソフトウェア会社では、とにかく紙を大量に使っていた。何かというとプリントアウトをする。報告書、仕様書、フローチャート、ソースコード、などなど。配布するために、自分が見るために、いちいちプリントアウトする。一人一台、コンピュータを使えない時期が長かったせいもある。一台のコンピュータを自分専用として使い、その画面上で書類の内容を見て、確認するということがなかなかできない。コンピュータの使用は必要最低限にとどめ、一刻も早く、次の順番を待っている人に明け渡さなくてはいけない。ネットワークも未発達で、社員どうしメールで連絡し合うなんてこともできないから、全部、紙の書類でということになるのだ。だから、辞める時には恐ろしい量の書類がデスクには蓄積されていた。普段からまめに整理していればよかったのだが、生来そういうことのできない人間である。

会社の書類は、そのほとんどが社外秘なので、ゴミ箱に捨てて、はい、さようならというわけにもいかない。どうするか。シュレッダーにかけるのだ。退職の何日も前からシュレッダーのお守りをすることになってしまった。いくらやっても終わらない。少しの間は、かつて重要だった書類が次々に破壊されていくことに爽やかさを感じることもできたが、あんまり続くとさすがに飽きてくる。

私物を持ち帰るのも重労働だった。何をそんなに置いていたのか、細かいことはもう忘れたが、そういえば、コーヒーを飲むのに使っていたドリッパーやサーバーもあったんじゃないかと思う。毎日のように、自分と同僚にコーヒーを淹れていたから。何してたのかなあ、ほんと。インスタント飲むのが辛すぎて、だんだんエスカレートしたんだと思う。最後は本格的に挽きたてのコーヒーを淹れるようになってしまった。確か、うちで豆を挽いて持って行ったんじゃないかな、記憶は定かではないが。

送別会もしてもらったと思うのだが、その記憶がまったくない。送別会、なかったのかな、いや、そんなことはないはずだ。しかし忘れるなんて自分でもひどいと思う。ただただ早く離れたい、その一心だったのだろう。名残惜しさを感じていないから、記憶もないのだろう。

さて、これでいよいよ、人生の新しい幕が開くことになった。前途洋々と思っていたし、心は希望に満ち溢れていた。ただ、皆さん、ご存知のように、世の中そう思い通りにいくものではない。

―つづく

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