思い出すことなど(17)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

(前回の続き)

会社を辞め、することもなく(いやあるけど、やる気がなく)、会うべき友達もいなくなった私は、毎日、映画を見続けた。映画を見ていれば、確実に時間が過ぎるし、現実を忘れていられる。少しだけ楽になれたのだ。
ただ、例外もあった。その日は、どうしてだかわからないけれど、渋谷にいた。あてもなくふらふらとでかけたのだと思う。どの映画館か記憶は定かではないが、たぶん、最近閉館になった「渋谷シネパレス」だと思う。ちょうど前を通りかかった時、けたたましいベルの音がした。間もなく上映開始、という合図だ。まったく暇で精神も緩みきっていた私は、中で何の映画が始まるのかも知らず、ただ、ベルの音に急き立てられて、中に入ってしまった。
上映開始。真っ暗な画面。少しだけ明るくなると、真ん中あたりにうごめくものが。人だ。道路に人が倒れているらしい。すぐにそれが浮浪者なのだということがわかった。パリの地面を這うように生きる浮浪者の男と、希望をなくした女の物語。「ポンヌフの恋人」という映画だった。これがこたえた。何しろ主人公が浮浪者だ。いやでも今の自分に重ねてしまう。このままずっと仕事もなく毎日ふらふらしていたら、すぐに住む家もなくなり、ああいうふうに浮浪者になってしまうだろう。なるかもしれない、ではない。絶対になる、それは確実だった。とてつもない恐怖心にかられてしまった。映画は素晴らしかったので、後には何度も見返すお気に入りになったのだが、当時はそんな余裕はなく、ただただ、危機感を煽られただけだった。
そうなのだ。精神的に追い詰められたとか、寂しいとか言っている場合ではなかった。このままでは生きていくこと自体、できなくなる。会社を辞める時には一応、100万円ほど貯金をしていたのだが、すぐにイギリスに行ったために、半分ほどがあっという間になくなり、その後もだらだらと倹約するわけでもなく、外食買い物し放題の適当な暮らしをしていたので、気づけば残金は7万円ほどになっていた。1ヶ月ほどの間に90万円以上使ったことになる。何をしているんだか。大馬鹿者である。
大ピンチだ。本当はもう一生、就職などせず、フリーランスで生きていこうと思っていたのだが、翻訳の仕事はすぐには見つからない(そのあたりのことはまた次回かその次に)。何とか手を打たなくては、本当に早晩、浮浪者に。困り果てた私は、とにかく就職の道を選ぶことにした。どこでもいいというわけではない。やはり翻訳関係だろう。そこで、すでに講座を受けたことがあり、トライアルに受かったこともあったフェローアカデミーに相談することにした。何度かお話をしたことがあった担当の方に電話をする。切羽詰まっていた私は、挨拶もそこそこに単刀直入に言った。「翻訳会社から求人でもあればと思いまして」すると翌日くらいに電話がかかってきた。「翻訳会社から求人が来ています。営業職なんだけど、行ってみませんか?」
....営業か....考えたこともなかった。さあ、どうする?

―つづく―

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