思い出すことなど(8)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

・・・前回の続き。
外注の会社から戻って来た翻訳原稿があまりにお粗末だったことで、私は「これなら自分もプロになれるのかも」と思い始めた。前にも書いたが、私は自分が勤務していた会社の仕事にものすごく興味があったわけではない。ひどい話だが、とにかく誰かに雇って欲しかっただけだ。仕事なのだし、毎日やっていれば、どうにかなるかと思っていたが、少なくとも私はそういうたちではなかったらしい。興味のないことには、どうやっても興味が出ない。興味のないことを毎日やり続けるのはつらい。できることなら会社をやめてしまいたいけれど、ただやめる、ということはできない。何か生計を立てる道が必要だ。給料が入ってこなければたちまち困ることになる。
まだ「転職」というのがあまり普通でなかった時代だ。転職なんて言葉を使うこと自体、珍しかった。いったん就職した会社を辞めることにはどうしてもネガティブなイメージがつきまとっていた。「職を転々としている」という人には悪い印象しかない。ニュースを見ていても、犯罪の容疑者の人物像を紹介するのに「Aは職を転々とし、云々」などと言われることが多かった。会社を一度、辞めると、自分も職を転々とし、やがては犯罪に手を染めてしまうことになるかもしれない。そう思うと恐ろしかった。ただ、正直なことを言えば、入って3日、いや3時間でやめたくなっていた。やめてどうすればいいのかがわからず、しかたなく会社に行き続けていただけだ。その状態が1年半くらい続いた。何か、とにかく、今よりも少しでも状況が良くなる可能性があるやめ方はないだろうか。理想的には、次の仕事がすぐにある状態にしたい。そして、その仕事が自分にとって興味の持てることならいい。
翻訳という仕事にはとても心惹かれていた。定時後に翻訳作業をし始めてからは、明らかにそれ以前よりも楽しい毎日が送れていた。だから余計に昼間の仕事に興味がないことが浮き彫りになっていた。できれば翻訳だけをしていたい。そんなことが可能なのか、まず能力が十分なのか、また報酬はどのくらいなのか。
今回の外注の件で、能力の面は大丈夫な気がした。あとは報酬だ。翻訳ってどのくらいのお金がもらえるのだろう。私にとって手がかりは『太郎物語』という小説だけだった。主人公である太郎のお母さんは翻訳家で、訳した本が2万部くらい売れてマンションを買ったりしている。本を訳せば、結構儲かるらしい、と思ってはいた。だが、今、念頭にあるのは本の翻訳ではなく、それ以外の色々な文書の翻訳だ。不特定多数ではなく、特定の人たちが必要とする文書を訳す仕事、それでいくらもらえるのか。それを調べてみよう。
わからないことがある時に行く場所、それは本屋だ。翻訳にも多分、専門誌というのがあるのだろう。その時、手に取った雑誌が何だったのかは思い出せない。おそらくA社かI社(アルファベット順)のものだったのだとは思う。そこに出ていた数字に私は満足した。残業して翻訳をしていた私は、自分が今、翻訳を一時間やっていくらもらっているか一応、わかっていた。それと比較してみた。どうやらプロの翻訳者の一時間あたりの収入は、今の自分がもらっているものよりずっと多いようだ。うん、これならいける。ただ暮らしていけるだけはない。今よりずっと裕福になる。好きなことをやって裕福に暮らす、こんなに素晴らしいことが他にあるだろうか。

—つづく

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