思い出すことなど(33)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1993年頃の話です...

(前回の続き)

前回までで、一応、初期の話はだいたい書いたことになる。日本の歴史で言えば、奈良時代の前あたりだろうか。そのくらいまでは書いた。乱暴にまとめれば、今も、あの翻訳部に拾われた日の延長線上に生きているのだと思う。もちろん、色々な変化はあったけれど。最初に勤めた会社を辞める。無職になる。思いがけず営業職に就く。翻訳との掛け持ちをする。大失敗をする。営業部をクビになって翻訳部に拾われる...というようなジェットコースターのような展開はさすがになくなったと思う。これからも、そのあとの時代のことを思い出すままにつらつら書いていきたい。

特にこの数回くらいを読んで、何らかの教訓めいたものを読み取る人はいるかもしれない。それは自由だ。ただ、私自身は大した教訓を得たわけでもないし、得られるような体験でもないと思っている。あれは私だけの特異な体験だ。他人にまねはできないし、私自身、もう一度やれといってもできないし、もう二度といやだ。次はもっと山も谷もないスムーズなのがいい。

私がもし、あの体験で何かを学んだとすれば、それは「人間、結局、運だな」ということと、「一人では何もできない」ということくらいか。

精進してスキルを身につければ...なんてことをよく言うけれど、精進やスキルと、望んだ成果を得ることとの間に直接の関係はない。そんなに甘いものではない。成果というのはもっと気まぐれに得られるものだ。精進していない人が成果を上げることもあるし、精進だけで終わる人もきっといる。精進というのは何か見返りを求めてやってはいけない。言葉は悪いけれど、「趣味」みたいなものだ。下手よりうまい方が自分が楽しいから腕を磨くのだ。人に褒められたいから、金を儲けたいから、という気持ちで精進などしてもきっと当てが外れるだろう。精進は精進、金儲けは金儲けである。両者は無関係。

そして、たとえ力があったとしても、その力を認め、引き上げてくれる人がいなくては、力はまったく発揮されない。私もHさんがいなかったら、翻訳の力を見てもらうことすらできなかった。Hさんに会ったのは単なる偶然である。狙ってそういう人に会えるわけではない。これも結局、運、ということか。そう思うと背筋が寒くなる。

とりあえず、この先も、特に何かをあてにせずに、ただ自分のためにできるだけ良い仕事をしたいとは思っている。褒められもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたい。いや、褒められたいことは褒められたいけど。褒めてください。遠慮なく。

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