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めだかボックスで語る表現の自由

皆様は週間少年ジャンプで連載されていた「めだかボックス」という漫画をご存知でしょうか。

最初に言っておきますと、もし私が漫画の批評を偉そうにやってみるとした場合、この漫画の評価は高くありません。回収されてない伏線やインフレの具合、キャラの使い捨てなど粗が気になったからです(それを意図的にやってるというメタファーな話なのですが)
しかしながら「思想の影響」としてはかなり強いものがあり、私が好きな漫画の中にめだかボックスの名前を入れることでしょう。

※作品内容思い切り喋るのでネタバレ要素はふんだんにあります

宗像 形というキャラクター

当作品ではいわゆるバトル漫画における特殊能力を「異常性(アブノーマル)」と表現している。宗像 形というキャラクターは「殺人衝動」という強い異常性を持つキャラクターで、他人を見れば殺すことしか考えられず、全ての思考が殺人衝動になる("全ての道がローマに通ずるように、僕の場合は全ての道が殺人衝動に繋がる"と発言している)。そしてその殺人衝動ゆえからありとあらゆる凶器を使いこなしありとあらゆる殺し方に長ける凶悪な国際指名手配犯……として登場する。

しかし真実は違ったのです……

なんと彼は一度も人を殺したことがなかったのです。

「僕の殺人衝動は本当だよ。人間を見ると殺したくなるのも本当だ。だけど僕はそれをずっと我慢してきたのさ。だって人間は殺したら、死んじゃうじゃないか。だから僕は殺人者を名乗り派手に凶器を振り回し派手に殺意をふりまくんだ。そうすればみんな殺される前に逃げてくれるからね。僕は人殺しにならなくて済む。殺したいほど、大好きな人間を殺さずに済む。だけどそんな生き方は寂しいんだ。僕だって誰かと仲良く遊びたい、仲良く遊べる友達が欲しい

コミックス5巻より

いやもう泣けません??????泣くよね???????

私はこのキャラを知ってから「本能による衝動は罪ではない」という事に気づきました。彼の衝動を消化するには本来は犯罪しかないのですが、しかしながらその衝動があること自体が罪になるわけはなく、彼が責められることがあってはいけない

表現の自由で良く話題に上る一つに、「性的衝動」を特定の対象に持つことは良くない、といった論争があります。
私は思います、性的衝動は決して悪ではない。そしてその衝動が犯罪に向かないようにするために「性的欲求を満たす創作物」が存在しなければいけないと思っています。

そうでなければ罪なき衝動をもった人間が救われないのですから……。

飯塚食人と米良孤呑というキャラクター

登場話の少ない地味なキャラクターです。食育委員長という肩書きの料理人です(12巻登場)

このキャラクターはタッグで登場してくるのですが、雰囲気を見る限りどうも仲が良いように見えません。漫画によくある「軽口を言い合うような仲」とか「明らかに気が合わないのに組まされてる」といった描写でもなく、なんとも言いがたい不思議な雰囲気でした。

このキャラクターは単行本のおまけページで説明がなされています。

「いただきます」という言葉を食材に対して言うのが米良さんで、料理人に対して言うのが飯塚くんというわけだ。食材に敬意を払う米良さんと、食べる人に敬意を払う飯塚くんは、どちらも正しく、どちらも素晴らしい。

コミックス12巻おまけページより

同じ料理人でも主義が違うと全然スタイルが変わるのですね。
この話では、その人が何を重視しているか……何を最も優先すべき価値観としているか……で全く違う人間になるというところです。

私は良く表現の自由を語る際に「私は表現の自由の上にレーティングを置く」という話をします。(創作界におけるレーティングとはいわゆる「法律規制」の類になります。)

論議を行う際に、その人物が「この事柄と、その事柄、どっちを上においているのか」というのは重要になります。というかそれが分からないと意見が噛み合いません。
なにを優先させて考えたいのか、それを示すことで「ああ、あなたはそれを大事だと思っているんだね。でもね」と意見を言ってもらえるし、相手にも意見を言いやすくなります。相手の言葉を精査するときに「価値観を読み解く」という行為は大事だという事ですね。

鶴喰 梟というキャラクター

諸悪の権現です。でも結構好きです。
いきなり台詞を抜粋します

「『凄い事』より『凄い空気』が幅を利かせ、『楽しい』より『楽しそう』がぶいぶい言わせる天才よりも天才のフリが上手いやつが評価される世の中だ。時代が求めているんだよ、合成着色料を。いいじゃないか、俺は好きだぜ。偽者安物粗悪品。気軽に扱えるし、壊れても惜しくないし、無くしても平気だし、何より、飽きたら捨てられるところがイカしてるぜ」

コミックス21巻より

これってまさに真理です。

私が良く問題があると感じること、今の世の中に流行っていること。それがyoutubeの切り抜き動画等にも良く見られる「発言の切り取り」。全体を見ずに一部分を切り取ることで「本来の意図と違う解釈」を見ているものに与え、それが注目を浴びています。
私がフォローしている神崎ゆき様を含め、色んな方がこれに苦悩しています。"発信している内容をちゃんと見ずに(全体を理解せずに)否定してくる人"というのはかなりの困り者なのですが、今の時代そういった事象がどこもかしこも多いです。
逆にこちらも「発言の切り取り」で正しい解釈を見誤らないように気をつけねばなりませんね

もう一つ続いて、彼が死んだ後に息子の鴎から言われた台詞があります。

「その程度の事が分かってなかったんだよ。思い通りにならないことがあったらそれと向き合わず、それっぽいもので妥協し続けてきたこの人は今まで、一度も怒ったことがなかったんだ。だから本気で怒る人間の気持ちが、本気で分からなかったんだよ

コミックス21巻より

世の中思い通りにならないことだらけです、それになんでもかんでも文句を言って、人に迷惑をかけて、我侭に振舞うことが許されてはいけません。そんな行動は反感を買いますし反感を買う理由が分からない状態になってしまってもいけないですね。
これはどんな立場の人間にも言えることです。

球磨川 禊というキャラクター

めだかボックスの一番の人気キャラクターです。ほとんどの台詞に対して噴出し内にも関わらず、括弧(『』)が使われています。

※もし私が急に『』を付けて話し出したら、それは球磨川禊のロールプレイです。

このキャラには大きな魅力があり語りつくせないのですが、ちょっとニッチなところを攻めまして「彼が言った醜悪な台詞」を抜粋します。

「『おいおい逆恨みはよせよ』『僕の方こそ善吉ちゃんに殺されかけたんだぜ?』『僕は被害者だ』」

コミックス9巻

これは球磨川によって視力を奪われ(目を潰されたような状態と思ってください)ピンチとなった善吉が相打ちに持ち込もうとしたところ、善吉は仮死状態になるが球磨川はピンピンしていた場面です。(一応断っておくと漫画的には「球磨川が絶対悪」として描かれている状況です)
確かに、視点を変えれば球磨川が被害者という論理になってしまう。しかしながら決して納得できない、認知的不協和を起こすような……そんな台詞でした(初期の球磨川はとにかく常軌を逸した気味悪いキャラとして描かれています)

「私は被害者だ」という言葉を加害者が使う事に対して納得できず強い不快感を覚えるという話なのですが、しばしば無意識な「加害性」に気づかない事というのはあります。自分が攻撃されたと認識した場合=被害側であると認識した場合、自分自身が相手を攻撃していなかったか……無意識の加害がなかったどうか、というのは常に気をつけなければなりませんね。そうでなければ相手に強い不快感を与え、議論どころではなくなってしまいます。


終わりに

いかがだったでしょうか。正直わたしの言いたいことの9割は宗像形に詰まっています。

このnoteを通じて皆様、お分かりいただけたことかと思います。
そう、私がめだかボックス大好きなことをね

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