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人生に四季あり

最近 50歳になりましてね。

誕生日がうれしい歳でもないですが、10進法に慣れているせいか 10年ごとに節目を感じるのは否定できません。それに、

♪ 十年は~ひと昔

と井上陽水も歌っているように、やはり 10年というのは哀愁とノスタルジーに満ちた時間単位だと思います。

にしても、誰でしたっけ、昔の中国のエラい人いわく、

「四十にして惑わず」

はあ?
バカも休み休み言え。いやいわけ。
そんな大人がどこにいるんだよ。
40歳で惑わなくなったら、残りの人生どうやって生きてくの?

さらに、

「五十にして天命を知る」

知るか阿呆。
50歳で天命を知ったら、以下同文。

じつは、彼が言いたかったのは、
「五十にして店名を知る」
なんじゃないかなあ。
みんな「ドンキ」って呼んでるけど、正しくはドン・キホーテだったんだ、とか。
サーティワンの本当の店名がバスキン・ロビンスだってことくらい、50歳になったからもう知ってるよね、みたいな。
だから、天命じゃなくて「店名」なんでしょう。
中国のエラい人が漢字変換ミスとかやめてほしいですね。

そんなことはさておき、私は「人生四季説」の信者でしてね。
誰が言ったか知りませんが、人生には春夏秋冬がある、という考え方です。
それがいつなのかは、人それぞれみたいですけど、春 ⇒ 夏 ⇒ 秋 ⇒ 冬の順に季節が巡るのはほぼ共通なんだとか。

「春は」と振られると、条件反射的に「あけぼの」と受けてしまう風雅な私ですが、春は 10代と 20代に相当します。
春と聞いて連想するワードは、始まり、出会い、嵐、希望、恋、別れなど。
うきうき、そわそわ、おどおどする季節ですね。

体力と気持ちを持て余し、何をしても満たされずに悶々とし、かっこつけて大人ぶって勘違いしまくって、たくさん恥ずかしい経験をする。
そういう未成熟さ、期待と不安、憂鬱とモヤモヤを抱えているのが春です。
とくに、その最も青い前半部分を “青い春” と呼ぶこともありますね。

夏は 30代。
夏と言えば、アツい、楽しい、忙しい、激しい、そして短い。
30代は遊び盛りです。
体力・知力・気力の 3つの和がピークに達する季節だから。
体力では 20代に劣り、知力では 40代に劣るものの、この 3つが、遊ぶのに最適なバランスを実現するのが 30代なのです。
20代の青い遊びからは卒業しながら、まだムチャもできる稀有な期間。
(40過ぎたらムチャできません、普通の大人は)
人生で一番アツくて愉快な季節。
時間にしたら短いけれど、最も中身が濃くて充実した季節が 30代=夏です。

秋は 40代と 50代です。
30代が遊び盛りなら、40代は働き盛り。
30代より体力は落ちますが、知力は上がっています。
体力・知力・気力の 3つが、働くのに最適なバランスをとるのが 40代。
なので、組織のトップ、社長とか校長とか市長とか首相ってやつは、40代がなればいいと思いますね。
『ローマ人の物語』 (塩野七生) によると、古代ローマの元首であるコンスル(執政官)は、40代前半までになるものでした。カエサルも 41歳でコンスルに就任しています。

50代が劣るというわけではありません。
50代は、知力にさらに磨きがかかっているはずです。ただ、気力が衰え始める人もいます。なので、気力が衰えていない 50代は強いです。
ローマにおいても、過去にコンスルを経験済で 50代の働き盛りが、属州総督として活躍するケースが多く見られます。

実りの秋、と言います。収穫の季節ですね。
人としての成熟がピークに達し、世のため人のために最も貢献するのが 40代と 50代だと言えます。
遊び方も変わってきます。体じゅうで思いっきり遊んだ夏は終わりました。
秋と言えば、読書、芸術、それから・・・食欲? いや、これはほどほどで。

60代から冬、ということらしいですが、未知の領域なのでまだ書けません。
勝手に想像させていただくなら、いろんなものを手放し、余計なものを削ぎ落としながら辿り着く静寂、透き通った空気、潔く枯れてゆく冬の美しさをイメージします。

日本の四季がことさら美しいからでしょうね。人生=四季なんて発想になるのは。
つまり、人生は美しいってことかな。


以上の「説」は、かなり決めつけが過ぎますが、一つのモデルとして紹介しました。
以上を踏まえて、それぞれの季節に一行アドバイスを。

春の人。
たくさん恥をかこう。恥をかいた分だけ、強く魅力的な大人になれるんだ。

夏の人。
30代を遊び倒そう。40以降に悔いを残すな。夏の遊びは一生の宝物になる。

秋の人。
いい季節ですよね。ずっと続いてほしい。一緒に幸せを共有したいですね。

冬の人。
秋の私にアドバイスください。


それにしても。
この人の言葉にはかないません。

桃井4