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旅映画を観て、旅をしない人生を思う

スイスは夏時間になりました。日本との時差は 7時間です。
ここ最近、仕事がヒマなのをいいことに、映画を観まくっていましてね。
観た映画はどれも主人公が旅をするお話です。
ロードムービーというジャンルらしいですが、そのチープな言い方がどうも好きになれません。

映像が辿る土地の風物や風景を楽しむとか、旅気分を味わうみたいな語感にイマイチ共感できないからでしょうか。
まあたしかに、それも映画の見どころのひとつなのはわかりますが、主題は絶対そこじゃないでしょ、と言いたくなるんですね。

今回、なぜそのテの映画ばかり観てしまったかというと、最初に観た映画が中年女性が放浪するお話で、そのあと「あなたが興味のありそうな映画」と称してレコメンされたのを芋づる式に観ているうちに、気づいたら観た映画全部ロードムービーでした。

いい加減飽きないか?

でも飽きなかったんですよね。どれも心に残る佳作で。
私が観たのはアメリカ映画とヨーロッパ映画だったので、旅をする主人公や旅先で出会う人たちは、必ず神とかキリスト教とか死といった観念をもっています。
その感覚は私にはピンときません。
なので、それらの映画をじゅうぶんに理解できていないかもしれません。
なのに、どうしてこんなに感動してしまうのだろう。

私はそれほど旅好きではありません。
基本的にインドア派だし、最も時間と自由があった学生時代に京都からほとんど出なかった人間です。
そんな私が何の因果か海外駐在員になり、嫌々ヨーロッパ中を連れ回され、スイス企業に転職してからは auditor として世界中を放浪する人生を強いられてきました。
旅が好きな人にとってはこんなにおいしい職業はなかったでしょうが、妻と生まれたばかりの娘を家に残して、月のほとんどを出張しなければならない生活は泣きたくなる日々でした。

当時は、食う(食わせる)ためと思って耐えていました。
でも、今になってみると、当時のしんどかった出張旅行の一つひとつが映画のように思い出されます。

旅が好きなわけではない私が、仕事のため否応なく過酷な旅をウンザリするほどさせられた。おかげで、もう旅はしたくないと今は思っています。
旅の記憶だけでお腹いっぱいなのです。

旅をする映画はたいてい人との出会いがあり、旅は道連れ的な展開があり、別れがあるものです。ワンパターンとも言えますが、それらのどれもが同じではなく、人それぞれ抱えている思いは異なります。
何本もの映画を観て、気づきました。
私の旅もそうだったかな。
出張なので映画ほどドラマティックではないけれど、同行者がいて、訪問先で人と会い、レストランや集落で一期一会のふれあいがあったな、てね。

これからは旅をしない人生を生きようと思う。
それってつまらないですかね?
旅の醍醐味である見知らぬ人とふれあう機会が減るから。
日本でも田舎のほうを旅すると、地元の人が「こんにちは~」と声をかけてきたりします。ああいうのいいですよね。
でも実際には、田舎って歩いてる人いなくないですか?クルマが下駄代わりみたいなものなので。
クルマが必需品なのはわかりますが、ちょっとさみしい気もします。
旅映画にしても、ずーっとクルマで旅しているアメリカ映画より、歩いて旅するヨーロッパ映画のほうが好きでした。
飲めるしね(そこかよ)

もう旅はしない。なーんて言いながら、どんな旅がしたいか考えている私がいるようです。
旅というやつもまた、遠きにありて思ふものかもしれませんね。