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あのころの京の都にあったもの

ルクセンブルクに住んでいた頃、ケルンに住む日本人女性と知り合った。
彼女「あや姐」は、ドイツでピアノの教師をしている人だった。
生粋の京都人。大学までは京都から出たことがなく、卒業後ドイツに渡り、ケルンに住んで 10数年になる、という変人だ。

あや姐はドイツ語・英語堪能。ピアノ演奏会の前日に日本酒を一升呑もうかという豪快な姐御だった。
彼女はケルンのまちを愛していたが、お家の事情により日本(京都)に帰ることになり、そのまま私たちは疎遠となった。

それから数年後、発令を受けて私も帰国し、東京に住んだ。
2007年のことである。


東京の会社でろくな仕事が与えられなかった私は、日々をほぼ遊んで過ごしていた。
東京で遊ぶのにもすぐに飽き、ふと京都にでも行こうかな、と思った。
京都は、学生時代と無職時代の都合 6年ほど住んだまちだ。
第二の故郷と言っていい。青春のかけらをおき忘れたまちでもある。

そのとき、あや姐のことを思い出した。
(たしか、京都に帰ったんだよな・・・)

数年ぶりに、あや姐にメールしてみた。
普通に返事がきた。

あや姐によると、京都の桜はあと数日ほどで開花するらしい。
「来るなら、花が咲く前に来たら?」
と、あや姐は書いてきた。

なるほど。
花が開けば、京都へは観光客が大挙して押し寄せる。
そうなる前に行くのがよい。

旅のテーマが「観光客のいない京都」に決まった。
翌朝、私は手ぶら同然で京都行きの新幹線に乗った。


数年ぶりの再会だった。
近況もそこそこに「ほな行こか」と、あや姐はすたすた先を歩く。

私「どこに行くん?」
あや姐「嵯峨のほうや」

ちょっと待て。
いくら桜の開花前でも、嵯峨なんて観光客だらけじゃないのか?

あや姐のプランは、誰も行かないような無名のお寺をまわるものらしい。

はたして、あや姐の引率で訪れたお寺には、本当に誰もいない。
そりゃそうだろう。
聞いたことのないお寺ばかりだ。
どのお寺も庭が荘厳である。

なるほど、まだまだ私の知らない京都があるわけか。
嵯峨野の竹林道でもほとんど観光客を見かけない。
京都はいま、花が開く前のしばしの小休止なのかもしれない。


午後になって。
「休憩しよか」と、あや姐はふらりと小体なおそば屋さんに入っていく。

あや姐がにしんそばを注文すると、中年の店主はごくふつうに言う。
店主「おねぇはん、一本おつけしましょか」
あや姐「そうやなぁ。ほな熱いのもらおか」

毎日交わしているかのような、自然な会話だ。

私「あや姐、このお店の常連なん?」
あや姐「ううん。一見や」

一見(いちげん)・・・。
初めて入る店、という意味だ。

なんなんだこの人たちは。
京都人どうし、テレパシーでも使っているのだろうか。


「熱いの」でちょっといい気分になったところで、嵯峨から嵐山へ。
観光客のいる渡月橋付近を素通りし、桂川沿いを少し歩いたあと、人けのない山道をずんずん登っていく。
石段を登りきった山の中腹に、小さな小さなお寺があった。
なんと、6畳一間くらいのお寺。

てゆーか、お寺なのかこれ?
こんなとこ誰も来ないだろう。
と思いきや、先客がいた。
一人旅ふうの若い女性が、6畳ほどの仏間に正座し、黙々と写経している。

そんな絵がエキセントリックに感じられないのも、京都マジックなのか。


夜は二条城を訪れるそうだ。
あや姐「暗くなるまでうちでゆっくりしときぃ。お抹茶ぐらい点てるし」

ほう。京風のオモテナシか。ふふ。

あや姐の家は、西陣にあった。
こんなところが日本にまだあったのか、という下町。

あや姐「うなぎの寝床や」

うわー。
京の町家・・・。

あや姐、家に鍵をかけていない。
ご近所はみな顔見知り。料理しててお塩が切れたら隣の家にもらいにいく。たくさん作ったらおすそ分けする。いまでもそんな土地柄らしい。

巨大なグランドピアノを除いて、部屋のつくりや調度品のすべてが京の町家ふうだ。
時代劇でしか見たことのない空間に私は座っている。
いったいどんな茶道具が出てくるのか(汗)

あや姐が台所からポットをもってきた。

え? ポット?

缶のお抹茶をとんとんっと茶器に入れ、ポットからお湯をしゃー注ぎ、茶筅でテキトーにしゃこしゃこかき回して、
あや姐「できたでぇ」

インスタントコーヒーかっ!

あや姐が ”点てた” お抹茶をありがたくいただいているうちに、外は暗くなってくる。


二条城へ行くため、タクシーに乗る。
 
京都名物、タクシーの運ちゃん、である。
こっちが話を振ってもいないのにしゃべるしゃべる。

運ちゃん「二条城はもうライトアップしてはるんでっか?」
あや姐「たぶんしてはる思うねんけど知ったはる?」
運ちゃん「二条城入ったことないさかいわかりまへんな~」
あや姐「住んでると行かへんもんなぁ」
運ちゃん「ほんまですわ~私なんか東本願寺しか行ったことおまへんわ」
あや姐「うち本願寺さん行ったことないなぁ」
運ちゃん「そら私かて祖父のお骨あずけてへんかったらあんなとこ行きまっかいな~」

丸太町通りを走りながら、前を教習車が超ノロノロ走っている。

運ちゃん「こいつさっきから遅すぎやわ~すんまへんな~お客さん」
あや姐「路上教習の 1時間目なんやろ」
運ちゃん「路上出てくんのまだ早いわボケ。ギアが 2速で止まっとるがな」


夜の二条城は、まばらながら観光客がいた。
運ちゃん「お~人おったで~二条城開いてるで~よかったわぁお客さ~ん」
あや姐がふんだんにチップをはずんでタクシーを降りる。

着物でくると入場無料になるためか、着物姿の客がけっこういる。
城内であるイベントに遭遇した。
若い男子 3人組による三味線、尺八、和太鼓のすばらしい演奏だ。
思いがけない馳走があるものだ。


さて、京都の夜である。
河原町にやってきた。
いかにも京都らしさを売りにした町家づくりの割烹屋の前を通り過ぎる。
あや姐「こうゆう東京の人が喜びそうなお店はなぁ、高いばっかでおいしないねん。まがいもんや」

三条大橋にほど近いところにある京おばんざいのお店に入る。
ここには観光客も外国人も若者もいない。
地元人にしかできないチョイスであろう。
むうん。これはよい。
お出汁のきいたやさしい味付けだ。


おばんざいのお店を出て、木屋町方面へ。
スターバックス、コンビニ、キャバクラが増えたなあ、と興ざめする。

ふと思った。
私が知っているのはせいぜい 15年前の京都だが、あや姐は 30年前の京都を知っているのだ。
京都のまちの変わりようについて、あや姐の態度は意外に淡々としている。
あや姐「たしかにこのあたりは変わったけどなぁ、変わってへんところは全然変わってへんからええねん」

そのことである。
「変わってへんところ」で呑みたいわけだ。
木屋町はもういかぬ。
かといって、祇園も違う。
祇園は、どこにでもある歓楽街に成り下がってしまった。
先斗町でさえ、若者に迎合してかつての情緒を失った。

高瀬川に沿って、木屋町四条をさらに下がっていくと、ぱったり人通りが絶える。
このあたりはその昔、善良な市民が足を踏み入れてはいけない区域だった。
その一角の隠れるようなたたずまいのお店に入る。
うまい酒を出すのだそうな。

ゆったりしたソファに腰掛ける。
異常なほど居心地がよい。
注文するまでもなく、店長が一升瓶を何本ももってきた。
客の顔を見た店長が数種類の銘酒を選び、試し呑みして一番気に入ったものを呑んでください、ということらしい。
店長のプレチョイスはことごとく超辛口である。
日本酒を白ワイン用のグラスに注ぐのがこのお店のお作法であった。


四条大橋を渡り、川端通りを南へ。
四条と五条の間、松原あたりで東に入ると、そこは宮川町だ。
細い路地の両側に、お茶屋さんが整然とたたずむ。
この場所は、ある時代で時が止まっているようだ。
京都の旦那衆は、低俗化した祇園を離れ、ここ宮川町に流れているという。

路地を歩いているいまも、お茶屋さんの中の明かりが急にふっと消えることがあり、怪しからぬ雰囲気をただよわせている。
ここは歩くだけ。
私たちが入れるところではない。


四条方面に戻り、鴨川の東でさらに 2軒まわる。
ここには、終電などというものはない。
市民の人家がタクシーで 1500円圏内にあるのだ。

会社など辞めて、京都でまた大学にでも通おうか。
全部リセットして、心のおもむくまま、自由に生きようか。
そう本気で思わせてくる、京都には魔物が棲むのか。


もう何時ごろかわからなくなっている。
スマートフォンのなかったあのころ、私たちはそれほど時間に支配されていなかった。

あや姐の家に戻ってきた。
一升瓶と大ぶりの器で呑みなおす。
肴はいらない。
それより・・・
 
あれほど呑んだあや姐の十指に少しの乱れもなく。
京の町家にショパンのノクターンがしみ入る。