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葬送のフリーレンは大人の琴線に触れる作品だが・・・

『葬送のフリーレン』
久々に大人向けのアニメきたな、と思いながら観ています。
原作の漫画は読んでいません。アニメが初見です。
 
人の心がわからない主人公が、人と深くかかわり合う経験を通して、人間らしい感情をもつようになってゆくお話。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』と共通するモチーフかと思います。
 
魔法使いフリーレンと、かつて共に冒険の旅をしたパーティーのメンバーが魅力的に描かれていますね。
勇者ヒンメル。
僧侶ハイター。
戦士アイゼン。
魔王を倒す勇者パーティーが初期のドラクエの世界観ですね。こういったところからも、この作品が 40代~をターゲットにしていることが窺えます。
 
本編は、冒険の旅を終えてから 50年後と 70~80年後のお話を描いているので、彼らの登場シーンはおもにフリーレンの回想です。
断片的な回想シーンだけで、彼らのキャラクターと旅の雰囲気を伝える作りが秀逸です。
 
「人生ってのは衰えてからのほうが案外長いもんさ」
というセリフがありました。
このお話は、ピークを過ぎた人間が、その後の長い長い余生をどう生きるべきかを描きたかったのでしょうか。言い換えれば、人生の終え方、あるいは死んだ後に、残された人からどのように思われるのがいい人生なのか。
 
彼らが冒険の旅をしたのは 10年。
1000年生きてきたエルフ、フリーレンにとっては100分の1でしかなく、それは一瞬の時間でした。
しかし、人間にとっても、10年はせいぜい 10分の1程度でしかありません。
それが、彼らにとってかけがえのない時間だった。
「くだらない旅だったけど、楽しかった」みたいなセリフもありました。
人って、かけがえのない 10年さえあれば、その記憶を心のよすがとして、その後の余生を生きていけるのかもね、なんて思ったりもしました。
 
50年に一度の流星群。
年明けに見る日の出。
「きれいだ」という感想以外、何もないかもしれません。
でも、それを大切な人と一緒に見れば、「きれいだね」と言い合うことができ、その時間こそがかけがえのないものになる。
そういった人間の ”不思議さ” を、フリーレンは少しずつ理解していくのでしょう。
 
さて。
アニメ『葬送のフリーレン』については、回を追うごとにどんどん面白くなっていく、といった声もあるようですが、私は逆でしてね。
回を追うごとに嫌な予感がしています。(今のところ 9話まで観ました)
それは、戦闘シーンが増えてきたことです。
そういう展開になっていくの?
そもそも、そういう主題でしたっけ?とがっかりする予感です。
 
私は今さら『ドラゴンボール』が観たいわけではないのですよ。
もちろん『ドラゴンボール』シリーズが名作なのは言うまでもないのですが、いい大人が観るものではありません。
『幽☆遊☆白書』や『HUNTER×HUNTER』や、『ONE PIECE』でさえ、結局戦闘してばかりじゃないですか。
『ONE PIECE』は原作漫画を読んでいましたが、途中でやめました。だって、戦闘してばかりでワンパターンなんだもん。
 
『鬼滅の刃』は、シーズン1が最も面白かったと思っています。
でも、「遊郭編」あたりから、もう観なくていいやって感じになりました。
バトルの壮絶さとか、映像の派手さとか、作画のクオリティとか、そんなことどうでもいいんですよ、私は。
人間ドラマが観たいんです。
 
アニメや漫画で深いテーマをきっちり描くのは、世界に誇る日本のお家芸でしょう。
『葬送のフリーレン』は、これが日本のアニメだ!と世界中の人々の心を震わせるポテンシャルをもっていると思います。それがただ魔法で戦うファンタジーになったらダイナシですよ。
 
原作漫画を読んでいないので、なんとも言えないのですが、もしアニメが低年齢層の視聴率を上げるために、原作にないバトルシーンを充実させているのだとしたら、制作者のセンスを疑います。
 
かっこいいバトルシーンは隠し味程度にしていただいて、原作者が訴えたかった深くて大切なテーマをていねいに映像化してほしい。それでこそ、この作品は不朽の名作になると思うのです。