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忌々しい光-心臓音のアーカイブ

書きかけだった岡山旅行の日記。
もう続きを書くことはないので投稿しておく。
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人を愛することができない。自分を大事にすることができない。それが寂しくなったとき、ボヘミアン・ラプソディを観たくなる。自分がヘテロセクシャルではないと自覚する過程は、誰でもこんなふうに傷まみれになるものだろうか。その背中を、死んでもなお見守って、オープニングを優しい音色で弾いてくれる誰かが私にもいるだろうか。


遠くに行きたくなることが増えた。海の近くに行ったら海を眺めないと気が済まないし、時々思いきり遠くに行って1人でぼんやりと景色を見ないとやっていけないことがある。
最近、不意に予定が空いた期間があり、遠くに行きたい欲求が同時に爆発した結果、当日に宿と新幹線をとって瀬戸内海を見に行った。
岡山県の宇野のあたり。

夜遅くまで海を眺めて、明日は何をしようかと調べたところ近辺の港からフェリーが出ているらしい。海の上から海を眺めるのもいいかと思って、向かうことにした。



行き当たりばったりで宿を決めたので現地で調べて初めて知ったけど、宇野港からフェリーで行ける島は瀬戸内海のアートが何とかみたいな……展示とか美術館が各所に設置されていた。
私は大学で真面目に美術をできなかったので、卒業してからその手のアート的なものへの忌避感が増していたけれど、海を見る以外に目的がほしかったので豊島に向かうことにした。

行き先を豊島に決めたのは、調べていて「心臓音のアーカイブ」というインスタレーションが気になったからだった。

1人で景色を見ないとやっていけないというのは、正確に言うと自殺をするのかしないのか、しないのであれば何故しないのかということを時々そうやって真剣に考えないと気が変になるということだ。
そしてまだ生きているということは死なないことになったのである。
もう何十回目か忘れたがまたもや死なないことに決めた夜、心臓音のアーカイブという文字列に惹かれた。多分また当分死なないだろうけど、いつ死んでも自分の心臓音は残るのだと思うと、数多の未練のうちひとつを手放せるような気がした。


行き先を決めたあと、寝る前に寂しくて宿のテレビをつけたら、NHKで大江健三郎の特集をやっていた。私はその人の作品を読んだことがなかったし、番組で紹介されていた内容だけで何かを語るのも失礼だと思うのであまりなにも言えないけど、良かった。
人間は暗い方に行かないように、暗い方に行ってしまう力に負けないように、それでも生きていかなければならないらしい。
このタイミングでこの特集を見ることになったのは何かの縁なのかなぁと思って、少し泣いた。



翌朝、季節が季節なのと小雨もあって結構寒かったが、ちゃんとフェリーの切符を買って乗船し、現地で自転車を借り、展示をやっているところにたどり着いた。
3月に沖縄に行ったときも思ったけど、普段何のエネルギーもない割にこういう時の行動力というか、1人でいきなり計画を立てて遂行する力みたいなものがどこからか湧いて出るのは面白いなと思う。

「心臓音のアーカイブ」は海沿いの小さな建物内の展示で、提供された心臓音を聴く設備、自分の心臓音をアーカイブする設備、それらの心臓音を使用したインスタレーションで構成されていた。

それなりに人の出入りもあったけど、インスタレーションの部屋に1人で入ってしばらく眺めた。知らない誰かの鼓動が部屋中に鳴り響き、その強さとリズムにあわせて電球が明滅する。
視覚や聴覚だけでなく地面からも伝わってくる鼓動は自分の心臓音とオーバーラップして、歯を食いしばっていないと立っているのが苦しくなるような空間だった。
それでもせっかく鑑賞したなら何かを得たいと思ってしまうのはなんの意地なのか。作品を長時間眺めていると意外と感想が色々出てくることを学生の時に経験していたので、他人の鼓動を全身で感じる気持ち悪さに耐えつつ、明滅する電球を眺めていた。
これって何の光なんだろうと考えた。
知らない沢山の誰かの心臓音、そのリズムと強弱に連動する光はつまり何を表しているんだろうとぼんやり考えた。

そしてふと、やっぱり自分は死ねないなぁと思った。
その明滅は私の手には負えないものだと気づいたからだ。
それは自分の意志と無関係に生きようとする内臓の脈動であり、頼んでもないのに私を愛してくれるあなたたちであり、逃げたくてたまらないと同時に縋りたくてたまらない、忌々しい繋がりの光そのものだった。

生きていなさいと諭されているようだった。どれだけ心が死にたいと言っていても、私が終わりにしない限り心臓は動き続ける。
私を取り囲む人間はみんな私を救う。全身に伝わる脈動と、誰の意志とも無関係に蠢くその光が、どうしようもなく忌々しくて、手放し難くて、まだここにいたかった。
死ねなかった。

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