『 ハリー・オーガスト、15回目の人生』(角川文庫)

■良かった点
 戦前生まれの主人公は「カーラチャクラ」と呼ばれる転生者で、20世紀の大半を生き、死ぬ度に人生をやり直すことになります。人生の度にいろいろな職に就き、国をめぐり、人に出会い、歴史的事件を目撃することになります。数あるループものでも、人生を丸ごと繰り返すというのはあまりないと思います。
 これらを詰め込むには、作者が相当の勉強をしたに違いありません。こうして本作は時間的にも空間的にも大きな広がりをもっており、ループものという設定を存分に活かせていると思いました。(対照的に、日本では何年も前からループものが流行っていますが、箱庭的というか閉塞感が際立っているものが多いと思います。)
 さらにこの転生者たちが人類史上ずっと存在しており、彼らが秘密クラブを創っているところが非常に面白い設定だと思いました。この設定により、彼らは幾世代をも越えた伝言ゲームができることになります。こうして、作中時間は主人公の人生を越えるものではないにもかかわらず、その世界観はさらに広がっていきます。そして主人公は、未来から「世界の終わり」を告げるメッセージを受け取ることになるのです。

■ストーリーが面白いかというと……
 力作であることは間違いありません。まず、ある人間の一生「以上」を書ききる力量が求められます。さらにその人が埋め込まれている歴史の流れ、その一つひとつの時点における社会情勢を把握していなければなりません。非西欧の社会・文化についてはステレオタイプな印象が否めませんが、なにはともあれ本作はそれを成し遂げたといえます。
 しかし、地に足が着いている分、ストーリーは中だるみがあり、全体的に地味です。歴史を変えないことが転生者たちのモットーであり、歴史を変えてしまう敵役を止めることが物語の目的になってしまうので、あまりワクワクしないわけです。
 しかも冒頭で主人公の勝利宣言がなされ、敵役もすぐに登場するので、予定調和的な物語を見せられることになります。それでも過程が楽しめればいいのですが……本筋と直接関係のないシーンが多く、拷問はいったん死ぬのが分かりきっているのに無駄に長く、主人公が敵役を追い詰める終盤の展開も、特段サスペンスがあるわけでもなく……。要は主人公に対する敵役の友情を利用して騙し続け、相手が心を開いたところで破滅させるので、あまり読んでいて気持ちがいいものではありません。

■登場人物に魅力がない
 主人公にまるで魅力が感じられず、共感できる人物でもなかったのが辛かったです。まず、彼も歴史を変えないように行動するわけですが、そのくせ以前の人生で恋仲となった娼婦と自分を殺した男のことは平気で毎回殺します。また、以前の人生で伴侶となった別の女性と敵役が結婚すると、主人公はものすごく苦しむのですが、何百年も前の伴侶のためにこうも苦しむものでしょうか? 
 それに対し、人を人とも思わない敵役のほうが、人生をひたすら繰り返す宿命を背負った人間らしい態度だと思いました。というか、前述のとおり主人公も人殺しをするのは平気なわけで、ヒューマニズムという点でどっちつかずの曖昧な人間に思えます。そもそも主人公にヒューマニズムがなければ、遠い昔の恋人が殺されようが知ったこっちゃないし、人類滅亡なんて気にせず敵役に協力しつづけてもいいわけです。敵対する以上、主人公には道義心が必要なわけですが、その割にかなり俗っぽく冷淡な人間なので、よく分からんという感じです。たしかに主人公が敵役にひどい目に遭わされて「これは復讐だ」と決意する場面もあるのですが、それだけでは、人類を危機から救う話のはずがひどく小さなスケールになります。
 また、主人公の内面を掘り下げるためにか、本筋と直接関わりのない部分も多くあります。特に実父や義父と主人公の関係について、(大抵はあまり愉快でない)エピソードがしばしば差し込まれますが、それにどういう意図があったにせよ成功しているようには思えませんでした。
 他の登場人物もキャラが立っているのは件の敵役くらいで、ユダとなる人物もなぜ裏切ることにしたのか描かれていませんでした。また、ループやSF要素を除けば、地に足の着いた物語のはずなのに、主人公を拷問する人物は言動がマンガ的すぎて違和感がありました。

 
 最後にループにまつわる疑問を書いておきます。ただし、これは本作への評価には関係していません。

■疑問1.
 そもそも、カーラチャクラたちは歴史を変えないようにひっそり暮らそうと心がけていますが、そんなことが果たして可能なのか? というのは当然浮かんでくる疑問です。仮に政治や経済に深く介入しないとしても、ささいな選択の変更の集積により、超長期的にみたら歴史が大きく変わるのは避けられません。というのも、人類史上おびただしい数のカーラチャクラたちが人生を繰り返しているわけですから。歴史は絶えず書き換えられ、カオスになっているとしか思えません。

■疑問2.
 百歩譲って、取るに足らない些細な変化しか起こさずに、ここまでやってこられたとしましょう。それでも厄介な問題があります。例えば、主人公はある人生で初めてクラブメンバーに出会いますが、そのときは死を待つほかない状態であるため、来世での待ち合わせをします。そして来世で、主人公がその待ち合わせ場所に行くのはいいとしても、その世界にいる相手もなぜ〈同じ来世〉なのでしょうか?
 来世は個々のカーラチャクラの死とは無関係に、「歴史=世界の終わり」後に始まるのでしょうか? つまり、主人公のN回目の人生が終わった後も歴史は続き、いつか終わります。すると歴史=世界は振り出しに戻り、そのN+1週目のある時点で、主人公のN+1回目の人生が始まる、と。それなら、主人公と相手とが同じ来世を生きていることは確かでしょう。何をもって歴史ないし世界の「終焉」と定義できるのか分かりかねますが……それは棚上げするとしても、これならループの数は全員が同じになるでしょう。しかし、主人公より明らかに数多くループしている人物がいることから、どうやらループの数は人によりけりのようです。
 それでは、主人公のX+1回目の人生と、待ち合わせ相手のY+1回目の人生とが、同一の時間軸=世界になるのは、一体なぜでしょうか?

■疑問3.
 物語は11回目の人生を終えようとしている老いた主人公のもとに、転生者の少女がやってきて世界の終わりが早まっていることを伝えるところから始まります。つまり、未来から伝言ゲームをしてきたわけです。そのとき少女は、このメッセージは数千年の時を超えてやってきたと言うわけですが・・・
 転生を利用した伝言ゲームは、「過去→未来」か「未来→過去」かでだいぶ話が変わってくるはずです。過去→未来の場合は何てことはありません、ひとつの時間軸で最後の一人まで届くでしょう。これに対し、未来→過去の場合、幼少の転生者Aが晩年の転生者Bに伝え、生まれ変わったBが幼少のうちにまた晩年の転生者Cに伝える、というやり方になります。すると、実はいちいち転生しないといけないので、伝言ゲームはひとつの時間軸で2世代間が限度となります。すると「数千年の時を超えて」メッセージを伝えるには、相当ループしているはずなのです。
 敵役が世界の終わりを早めるような行動を始めてからのループ数は正確に分かりませんが、どう考えても合わないわけです。
 もちろんこれも、敵役が1回ループしている間に、伝言ゲームのプレイヤーたちは何十回もループしているとすれば解決しますが、それって一体全体どういう世界なのでしょう。

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