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1本のサイリウムの話。~富士葵 2ndソロライブ『シンビジウム』現地ライブレポート~

■はじめに

こちらの記事は、2021年6月18日に開催された富士葵さんのソロライブ『CYMBIDIUM(読み:シンビジウム)』のライブレポートです。

※曲順や演出、MC中のセリフなどを忠実かつ中立的に書かれているレポートが読みたい方は、まず下記の記事を読まれることをお勧めします。

既に忠実なライブレポートがあるので、今回は私自身の目と耳と心で感じたことを、ありのままに書こうかなと思います。今回の葵ちゃんのライブに、現地やオンラインで参加したり、上記のレポートなどを読まれた上で、会場で何気なく揺れているサイリウムの持ち主たちにフォーカスを当てた「ライブレポート風の読み物」のような形で楽しんで頂ければ幸いです。

・今朝の話

富士葵の2ndソロライブ『シンビジウム』から一夜が開けた。
外は梅雨に特有のしとしと雨が降っていて、窓からは雨の匂いと共に涼しい空気が入ってくる。目を閉じればそのまま心地よい眠りに就けそうだが、まぶたの裏に昨夜の光景がフラッシュバックして、たまらずゆっくり身体を起こした。

二の腕と腰が痛む。喉が乾いたので立ち上がろうとすると、膝周りと太ももの筋肉が悲鳴を上げる。この感じでは握力も無くなっているだろうから、ペットボトルやインスタントコーヒーのキャップを開けるのは諦めて、ティーパックの紅茶に熱いお湯を注いだ。

温かいマグカップを持つ手のひらが少しヒリヒリするのは気のせいではないだろう。昨日は親友の結婚式での記録を超えて、人生で一番拍手をしたように思える。

そう、昨日は全力だったな。ライブがあった日はいつも全身がボロボロなのだ。

ところが今回は一箇所だけ違和感を覚えた。喉が全く枯れてない。
普段ならライブで力の限りコール&レスポンスをし、その後は打上げの飲み会からの明け方までカラオケ三昧で、翌日は声が出ないほど喉がガラガラのはずなのに。

今回のライブは緊急事態宣言下のもとで行われた、声出し禁止のライブだった。「不満なんて一切無かった」と言えば嘘になる。
自身の声で「ありがとう」と叫びたかったし、用意してくれたコール&レスポンスにも全力で応えたかった。MCでの小ネタに逐一ツッコミや相槌を入れたかったし、誕生祝いやサプライズ告知には全力で「おめでとう」と言いたかった。

それでも、これら満たされないものを補って余りある程に、昨夜のライブには心を動かされた。あの日に切った心のシャッターを、紅茶が冷めるまでの間、一枚ずつ丁寧に光に透かしていった。

・ひょっこり現れた人の話

イベントや重大発表などの大きな動きがあると、何ヶ月もの間Twitterの更新がなく音信不通だった人が、ひょっこり現れることがある。ライブ前日のTwitterにも何人か「今まで低浮上だったけど…」と数名の懐かしいアイコンがタイムラインに並んでいた。そのうちの一人と、偶然にも当日、最寄り駅の構内バッタリと会うことができた。
駅のトイレに向かう途中に、数年前のイベントのTシャツを着た彼を見つけた。前日に「昔のイベントTシャツで行きます」と呟いていたし、当時の彼の笑顔も写真で何度も見返していたから間違えようがなかった。
数年前にタイムスリップしたような気分で声をかけると、彼は当時のままの笑顔で、でも少しバツが悪そうに話した。
「結構前からあまり熱心に応援できていなくて、それでTwitterも低浮上になって。でも葵ちゃんのライブがあるって聞いて、居ても立ってもいられなくて、これまでの曲を全部聴いてから来たんだ」
都合のいい話かもしれないけれど、と付け加えていたような気もするけれど、それよりも先にこう思った。
「そんなこと、言わなくたっていいのに」
仕事やプライベートが忙しくなったとか、それらしい理由なんていくらでも並べられるはずなのに、彼は(おそらく勇気を出して)打ち明けた。彼なりの禊やけじめの意味もあったのかもしれないし、葵ちゃんの歌を聴いて心境の変化があったのかもしれない。
そこに自分が介入できるものは無いと思い「また元気な顔を見られて嬉しい、今日はよろしくね!」と、本心から出た言葉をかけてその場は別れた。その後のライブが、彼にとって良い思い出になって欲しいと願う。
そしてきっと、彼以外にも、様々な勇気や覚悟や後ろめたさを抱えながら、ここまで来た人が沢山居るのだろう。そんなことを考えながら、一人ぷらぷらと会場を目指していった。

・列整理で隣になった人の話

葵ちゃんのイベントがある際、自分自身にあるルールを設けている。それは「待機列で近くなった人に話しかける」というものだ。最初は単にTwitter見てるだけじゃ手持ち無沙汰だし、せっかくなら好きなもの共有したいという思いからだった。それにしたって「今この場所にいる」という強烈な共通言語があるのだ。それだけでもう「同じクラスで部活も一緒」くらいには話しかけるハードルも下がる。あとは身につけているグッズや天気の話などをきっかけに、芋づる式に話は広がっていく。自分の好きなことを話すのが嫌いな人はそうそう居ない。そんなことを3年以上も続けていると、もう何の抵抗もなく話しかけられるようになっていた。
話題そのものは本当に他愛のないものだった。晴れて良かっただとか、パーカー同じですねだとか、最近関東に越してきて念願の初生ライブだから楽しみだとか、それくらいだ。もう顔もはっきりとは思い出せないけれど「同じ気持ちでライブに臨んだ人がいた」という記憶だけどこかにあればいいのかなと感じた。

・開演までの話

二列になって検温と手指の消毒を済ませ、慣れない操作で電子チケットをもぎった先でドリンクを受け取る。映画館の扉を簡素にしたような赤いドアをくぐると、そこはもうライブ会場だ。
薄暗がりに目が慣れると、背面に座席番号の書かれた椅子がずらりと並び、一席飛ばしで座面には「使用禁止」の貼り紙。耳には葵ちゃんの生放送の待機BGMをはじめAoi ch.関連の小ネタがちらほら聞こえる。そして本来なら味わえるはずの機材やスクリーンの放熱臭や、ドライアイスで焚いたスモークの涼しげな匂いなど、ライブ会場でしか味わえないそれらは、マスクのおかげで殆ど感じることは出来なかった。
しばらく待つと、ひとつ空けた隣の席によく見知った顔の人が座った。「世間は狭いねー」なんて言いながら、軽く言葉を交わす。会場内をウロウロしながら「この席だとこんな感じで見えるんだなぁ」と想像を膨らませていた。途中で知り合いに声をかけたりかけられたりもしたが、会場のアナウンスで過度の会話などは推奨されていなかったので、和やかな会話の中にも謎の緊張感が見え隠れしていたように思う。
開演3分前。ドア向こうの通路は電気が消えて、自動販売機の薄明かりだけが床に反射している。念のためトイレに向かうと先客が一人いた。トイレの手洗い場も、見知らぬ人に軽く話しかけるには悪くない場所だと思う。手を洗い終わるまでの数秒だけ「楽しみですねー」とか「最初の曲どれが来ますかねー」「なんか緊張してきましたよー」とか話しかければいいだけなのだ。そんなこんなで「なんか緊張してきましたねー」と話しかけてみたら「えっ?あっ、ええ」といった反応で「やらかしたか」と思いきや、どうやら機材関係のスタッフさんのような装いに見える。すぐさま「今日は宜しくお願いします」とお辞儀して一緒に通路に出た。その人はやはりというか、会場後方へと歩いて行った。やらかした。でも制作に携わった方に直接敬意を表せたのは良かった。
席に戻って両手にサイリウムを持つ。色はどちらも紫色。もうすぐ、始まる。

・カウントダウンの話

開幕はアルバム『シンビジウム』収録曲それぞれの歌詞を繋ぎ合わせた葵ちゃんのポエトリーリーディング。以下の歌詞が出てきた際には、背景に過去の動画がうっすらと流れていた。

「君との絆」:活動最初期の企画動画と『なんでもないや』
「大切な存在(もの)」:羽化、Fight!のライブ映像、ドレス衣装の動画
「えがいている未来」:面白系の動画と銀盾動画と2018年版の『なんでもないや』
「たくさんの花束」:葵ちゃんのオリジナル曲のMV全て
「形のない人生(いのち)」:シンビジウムMVの倒れ伏す葵ちゃん
「何度もキミの声がしたんだ」:Eidos MVの手を差し伸べる人型の何かと、振り返るシンビジウムMVの葵ちゃん

そうして最後に表題曲『シンビジウム』のサビの歌詞が読まれ、カウントダウンが始まる。
「どうか、沈まないように」

歌詞の一部をピックアップするこの演出は、過去に『シンビジウム』のクロスフェード動画で見た記憶がある。その動画では、収録曲にまつわる印象的な歌詞が一対ずつ紹介され、最後に「富士葵、魂の応援歌」のフレーズと共にアルバムタイトルが表示される。
そのフレーズが脳裏をよぎったので、映像を見ながら「そうか、これから始まるのは葵ちゃんの魂を込めたライブなんだな」と今更ながらに理解した。

・スタートダッシュの話

カウントダウンが進む中、誰も席を立たない。
正確には自分と他3~4人以外は誰も席を立っていない。
「あれ、今日ってスタンド禁止だっけ。いやそんなことはないって確認したはず……いやでも……あれー!?」と混乱しながらカウントダウン中は慌ただしく立ったり座ったりしていた。
そんなこんなで始まったライブ1曲目は『シンビジウム』。決して飛び跳ねるような曲ではないのだけど、スタンド可のライブで座りっぱなしというのも聞いたことがないので立つことを選択する。相変わらず混乱しつつも頭の9割と2本のサイリウムは、ステージで歌う葵ちゃんに向いていた。「葵ちゃんがいる…音響すげえ…かっけえ…」くらいしか考えてなかったと思う。
この曲はラスサビで花びらが舞うシーンがあるので、落ちサビになってからは右手のサイリウムを下ろしつつ色をピンク色に変えて待機する。そして、ラスサビの「どうか」から紫とピンクの両手持ちで振った。最後の声の伸びに感動しながら曲が終わり拍手をする。でも頭の中では「次に誰も立たなかったらどうしよう」とそわそわしていたが、それは2曲目『Eidos』で杞憂となった。葵ちゃんの元気な自己紹介に後押しされて、みんながパラパラと立ち上がる。Aメロが始まる頃には、殆どの人が元気にサイリウムを振りながらジャンプしていた。
両手に青のサイリウムを持ちながら「葵ちゃん、煽るの上手くなったなぁ」と感じる。みんなが声を出せない代わりと言わんばかりに「はい!はい!はい!はい!」と笑顔で腕を上げたり、1番サビ最後の「アオイままでいてよ」は以前葵ちゃんが「ライブでみんなと声合わせて叫びたいねー」と話していたそのままに、メロディーを全て無視して「アオイままでいてよー!」と叫んでいた。自分の声を葵ちゃんが代わりに発してくれたように感じられて、それが凄く嬉しかった。そして少し先の未来、声出しOKのライブになった時には、絶対にやる演出として心に深く刻みこんだ。

曲が終わり、会場は青と紫の混じったサイリウムが揺れる。その勢いのまま、3曲目はデビュー曲『はじまりの音』の軽快なピアノとドラムのリズムが耳を打つ。今までのイメージカラーである青と、今回のイメージカラーの紫が埋め尽くす会場で葵ちゃんは叫ぶ。「今日のZeppTokyoが、葵にとって、そしてみんなにとって、また新しい『はじまりの音』になりますように。よっしゃいくぞー!」
ここからの記憶があまり無い。ただ夢中でジャンプしてサイリウムを振ったことは体が覚えていて、3曲目が終わりMCに入る頃には着ていたパーカーを脱いで肩で息をしていた。最後まで体力もつのだろうか。たぶん、無理だ。


・映像めっちゃ凄いの話

曲を終えてからのMCは息を整えるには十分な長さで、次の曲『コヨーテ』に移る。民族音楽を思わせるイントロと同時に、照明がオレンジ色になる。自分も『コヨーテ』には夕焼け・赤褐色の荒野を歩く旅人・焚き火での野営のようなイメージを持っていたので、元々の予定通りサイリウムをオレンジにする。この辺りで「色に迷ったら照明に合わせるのもありだな」と思った。そしてアイリッシュ系のダンスを踊る葵ちゃん。最初こそ「すげー!ひらひらして可愛い!」と思っていたけど、この歌の世界観(もう会えない誰かと「さよなら」を言い合うために旅を続ける)と、スクリーンに投影される幾つもの影を眺めているうちに、とても神秘的なものに見えた。全く詳しくはないのだけれど、自然の神様なんかに捧げる舞踏を見ているような、不思議な体験だった。曲の終わりにばっちり決めポーズをして舞台袖にはける葵ちゃん。

少しして『Anitya』のピアノのイントロが流れる。サイリウムは青に変えた。スクリーンには小さな舟に乗った葵ちゃんがドアップで映し出される。「MV的な演出かな?」と思いきや違った。客席にカメラが切り替わると、スクリーンにはサイリウムを振る自分たちが映し出され、更その上空の辺りに葵ちゃんが浮かんでいた。すぐさま振り返ってその場所を注視する。葵ちゃんは居ない。もう一度スクリーンを見やる。さっき振り返っても居なかった場所で、葵ちゃんが歌っている。おそらくこれが宣伝文句のひとつ『ARライブ』なのだろう。通常のライブなら演者がトロッコや地下移動でバックステージに出現することはよくあるが、この手のライブでの演出としてはおそらく初の試みなのだろう。とても新鮮でワクワクしたけれど、会場ではスクリーンと後方、どちらにサイリウムを振れば良いのか戸惑っている空気が見て取れた。自分はずっと後方に振っていた。会場のファンが葵ちゃんの居る方にサイリウムを振ることで、初めてこのAR演出が完成すると思ったからだ。現地で応援する人は、ライブを客席から彩る演出の一面も担っている。そう思うと、葵ちゃんが乗っている舟の底で揺らめく水模様と、その下で青く揺れるサイリウムの群れは、まるで海を渡る小船のようだなぁと、今回のライブのメインイラストを思い出していた。

・愛の話

一瞬の暗転の後、次曲『Q.E.D.』の歌い出し。今までの曲は抽象的な世界を歌ったものが多かったけど、この曲は「現代社会を生きている」感がとてもリアルで、スクリーンの背景もネオンのゆらめく繁華街へとチェンジした。自分もサイリウムをネオンを意識した濃いめのピンクや紫に。世界が変わると重力も変わるみたいで、葵ちゃんが煽ってきた「手拍子~!」を全力でやったら肩の疲労がえげつないことになっていることに気付く。 でも、まるでストレスを発散させるようにぎらぎらと歌う葵ちゃんを見ていたら「負けてらんねえな」という謎の対抗心が芽生えてきて、全力でサイリウムを振っていた。

曲が終わるとネオンの灯りも消えて、スクリーンに同じ建物が映し出されたまま次の曲に移る。ファーストアルバムから『まだ希望に名前はない』だ。先程の『Q.E.D.』であれだけ騒がしかったネオンの街並みは、イントロが始まった途端になりを潜めた。代わりに出てきた朝焼けが、うっすらと建物の輪郭を描きだす。そのとき急に、今までの葵ちゃんのイベント後に、ファンの仲間達と朝まで飲んで騒いで、電車の始発時間ら辺で店を追い出されたのを思い出した。スクリーンに映るまだ眠っている街並みは、あの日、眠い目をこすりながら見た景色と同じだった。サイリウムを振りながら「またみんなと朝まで遊びたいなぁ」と懐かしさに少しだけ胸が痛んだところでサビが来た。歌詞の意味は全く違うのだけれど、葵ちゃんから「大丈夫だよ、きっとまた会えるよ」と言われているような気がして、少しだけ泣きそうになってしまった。歌っている間ずっとスクリーン越しに降っていた雨は、最後の最後に止んだ。空の切れ目からは、優しく陽が差していた。

雨上がりの街並みの背景はそのまま、次は『ヨスガノカケラ』のイントロが流れてきた。葵ちゃんの前口上では「葵にとってのみんなのように、大切な人のことを想って聴いてくれると嬉しいです」とメッセージがあった。そうしてAメロが始まった時に、ある変化に気付く。木だ。小さい木が、葵ちゃんの後ろで成長している。それとは対照的に、周囲の建物は色褪せていき、段々と朽ちて、苔むした外壁に植物が絡みついていく。まるで太古の遺跡のようだ。サビが来る頃には最初は小さかった木は高く広々と枝葉を伸ばし、腰をかけて休んだり、雨や日差しから優しく守ってくれるほどに大きくなっていた。どれほど長い時間を経て周囲の環境が変わり、沢山のものが手からこぼれてしまっても、葵ちゃんの後ろに佇む木だけは、地面に大きく根を張って、優しく彼女を見守っている。これが元々は誰に向けて書いた曲なのかは、ファンクラブ限定の生放送で語られたので知っている。それでも、このライブの中で木の葉の一枚分でも葵ちゃんの憩いになれているのなら、それだけで自分が今ここに立っている意味があるなと、心からそう思えた。最初は青で振っていたサイリウムは、木漏れ日の中で歌う葵ちゃんを見て、自然と緑色に変わっていた。

歌が終わり、アウトロ部分で葵ちゃんが客席と配信画面の向こうに「ありがとう」と語りかける。こちらも「ありがとう」と叫びたい気持ちをグッと堪えて、精一杯の拍手とサイリウムでそれに応える。気持ちと体力的にはライブの終盤のような雰囲気だが、MCの感じだとどうやら折り返し地点らしい。

・青空の話

葵ちゃんのMCが終わると、ステージに赤い緞帳が降りる。葵ちゃんはその後ろで自身の早着替えの実況中。次に備えてサイリウムを青と紫にしていると「次は、カバー曲ゾーンです!」との元気な声が。最初に思ったのは「お、カバー曲やるんだ」という単純な驚きだった。今回はアルバム収録曲に沿ったコンセプトを固めてきたライブで、セットリストについてもきっとオリジナル曲のみで編成されていると予想していたからだ。それじゃあ何の曲をやるんだろうと思うのも束の間、聴き慣れたイントロが聞こえてきた。間違いない。UNISON SQUARE GARDENの『シュガーソングとビターステップ』のドラムだ。葵ちゃんのカバー曲の中でも指折りで好きな曲だけれど、オリジナル曲が増えた今後は、ライブで披露されることはないんだろうなと諦めていた。その曲が聴けると分かった瞬間、一気にテンションがおかしくなった。混乱しながらサイリウムの色を変えようとボタンを押すが、何色にするか全く考えていなかった。たまたま両方が赤色で揃ったのでステージを見ると、葵ちゃんが「着替えたよー!!」と羽化の制服衣装で戻ってきた。いつもと違うのは、メイクがステージ映えするよう、ばっちり施されていたことだ。(ちなみに自分がサイリウムと格闘している最中に、葵ちゃんが舞台袖から「チラッ」と言いながら顔を覗かせていたらしい。全く気づかなかった。)

アップテンポで難しい曲にも関わらず、手足を伸ばしながらステージ全体を使ってパフォーマンスをする葵ちゃん。間奏での煽りやMCにも、息切れの気配がする。それでも歌自体は元気いっぱいで、客席のテンションは高いままだ。最後の決めポーズも満点で締めて、次の曲が始まる。
何度も繰り返し聴いたイントロ。次はニコニコ超パーティーで披露したDECO*27の『ゴーストルール』だ。さいたまスーパーアリーナでの大歓声に包まれた記憶が蘇る。迷わずサイリウムを青に変える。上部スクリーンには当時の映像が流れて、ほぼ同じ振り付けで今の葵ちゃんが芯のある声で歌い出す。
サビのアクセントの具合を聴いて「葵ちゃん、やっぱ疲れてるよな」と思う。無理もない。前述の通り『シュガーソングとビターステップ』はアップテンポでパワーを使う曲で、更にこの『ゴーストルール』も、ただカラオケで歌うだけで相当にも呼吸と体力を消耗する。それを2曲続けて、しかも、ステージいっぱいに駆け回りながらのパフォーマンスなのだ。
ニコニコ超パーティーの時の『ゴーストルール』は、3分少々の出番に全てを込めた、葵ちゃんの全身全霊のパフォーマンスだった。例えるなら陸上の短距離走のような、鮮烈なインパクトのあるステージだった。対して今日のライブは、2時間に及ぶ長丁場の、疲労の第一波がピークに達する頃のものだ。短距離走のような煌めきでは無いけれど、それでも葵ちゃんは力強く、輝いていた。溢れ出る気迫や所々で加えられるアレンジの凄まじさは、あの頃には無かったものだ。今日まで走り続けてきた葵ちゃんだからこその、今この瞬間にしか見られない成長途中の輝きだった。超パーティーが短距離走ならば、この葵ちゃんは、駅伝ランナーの区間新記録の激走を讃えているような気分だった。このまま走り続けていれば、いつかあのニコニコ超パーティーすらも超えるパフォーマンスを必ず見せてくれる、そんな期待に満ちたステージだった。

『ゴーストルール』の最後の節を歌い終わった時、葵ちゃんはもう肩で息をしていた。疲れていることを悟られたくないのだろう。できる限り音を立てずに吐いた細い呼吸音すらも、大型スピーカーを通じて、かえって耳を震わせる。

「どうしてこんなに無理をするんだろう」
ステージ後方で水を飲む葵ちゃんの背中を見つめながら、そう思わずにはいられなかった。そして今日という日を思い出す。東京都の緊急事態宣言下においては、イベントの開催は21時までと決まっている。19時に開演した葵ちゃんのライブは、何があっても2時間で終わらせないといけないのだ。もしかしたら、本来ならもっと余裕があったのかもしれない。葵ちゃんの体力を回復させるための映像演出や、1stソロライブのようなメッセージムービーや、現地や配信組との交流を計るMC等があったのかもしれない。それでも「配られたカードの中で最高のものを」という覚悟で作られたのが、今日のこのライブなのだとしたら。葵ちゃんの体力と引き換えに、想いを込めた歌を、できるみんなに限り届ける。このライブは、そういった限界への挑戦の側面もあったのかもしれない。ただでさえ失敗は許されないライブを、更に綱渡りで行くことのプレッシャーは計り知れない。それでも葵ちゃんはマイクを手にステージに戻ってくる。10秒も休んでいないじゃないか。それまで暗転したステージは、歌い出しと共に抜けるような青空へと変わる。amazarashiの『空に歌えば』の歌詞が流れる。イントロの最後で葵ちゃんが力強く片手を上げて叫ぶ。
「それゆえ、足掻け」

歌声に息切れの名残りが乗っている。「はい!はい!」と煽る声にも疲れが見える。マイクを下ろした瞬間に大きく息をしているのが分かる。それでも、葵ちゃんの汗と泥に塗れたような歌声は、どこまでも熱く、胸を締め付けてゆく。ラスサビの直前、30秒近くにも及ぶ濁流のようなポエトリーリーディングが始まる。きっと、何度も何度も練習し、失敗してきたのだろう。それを葵ちゃんは、この大一番で完璧にやりきった。その瞬間、声にならない声を、泣きそうになりながら心の中で叫んだ。独白を終えた葵ちゃんは、イントロの歌い出しに掲げた手でスクリーンの暗雲を切り裂く。その先には、どこまでも続く青空が広がっていた。そうして最後に再び叫ぶ。
「それゆえ、足掻け」

・You&Meの話

一瞬の暗転の後、フラフラの葵ちゃんが現れる。だらりと持ったマイクを顔まで持ってくるも、一度は顔から離す。まだ整っていない呼吸の音が聞こえた。再びマイクを持って、努めて元気な声で「いえい!」と一言。おそらく酸素が足りなくて「いえーい!」と伸ばせなかったのだろう。それでも長めのMCパートに入ったおかげで、ようやく葵ちゃんも十分に休息できたような気がする。次は葵ちゃんのライブでのコール定番曲『エールアンドエール』だ。「すぐ始まるから準備しててねー」と言われたので黄色いサイリウムを振りながらすぐに立つと「おっ、いいねいいね~!」と葵ちゃんの声が。同じタイミングで立った人に向けたものだとは思うけれど、こういう、ちょっとした動作がリンクするのも今の時勢ではとても嬉しかった。今回は声を出す代わりにステージを左右2チームに分けて、三三七拍子を打つのが目玉の演出だ。腕も足も少しは回復したけど、きっとイントロでまた限界になるという確信がある。「それでも笑顔でジャンプし続けよう」と、そんな決心をするまでもなく、自然と体が動いてしまうイントロが流れてきた。

この曲は頭を空っぽにして、心から楽しんだ。ステージ上を動き回りながら踊る葵ちゃんや、それに負けじと飛び跳ねるみんなと、何度もハイタッチをし続けているようなテンションで、腕や肩の痛みすらもいっそ笑えてきた。客席を見渡す。青や黄色のサイリウムが、かつてない勢いで湧き上がっている。みんな、マスク越しでも分かるくらいの笑顔だった。

・道の途中の話

曲が終わり拍手が鳴り止まないうちに、ドラムの軽快な四つ打ちのリズムが流れる。衣装チェンジのBGM代わりのようだ。手拍子をしながら葵ちゃんの登場を待っていると、今度はライブ衣装の葵ちゃんが、再びスクリーン越しに見てステージの後方に現れた。『Anitya』の時と同じAR演出だ。先ほどとの違いは、葵ちゃんの乗っている舟がステージ付近まで細長く伸びていることだ。ここで『秘密を聞いてよ』の歌い出し。Bメロに入ると、葵ちゃんが少しづつ歩きながら、左右の客席に向かって手を振っていた。「なるほど、これは花道なのか」と、そこで理解した。アイドルライブのファンサービスよろしく、花道を歩きながら手を振る葵ちゃん。しかしながら、会場の大部分は前方のスクリーンに向かってサイリウムを振っていた。葵ちゃんから「みんなー!こっち見てー!」の一言でもあれば変わったのかもしれないけれど、曲の兼ね合いもあるしなかなか難しいのだろう。それでも客席カメラが捉えた数人は、ばっちり花道で「ずっと、ずっと!」と叫ぶ葵ちゃんに、何度も手を振っていた。きっと次回のライブにAR演出が入るのなら、客席の誘導も含めてより素敵な演出になるんだろうなと思った。葵ちゃんも、自分たちも、まだまだ成長途中でいいのだ。青いサイリウムの海に浮かぶ舟は、葵ちゃんを乗せて次の曲へと移る。

・海へと漕ぎ出す話

舟から降りた葵ちゃんは再びステージに降り立つ。自身が作詞作曲をした『8分19秒』のイントロが流れる。気が付けばライブも終盤。葵ちゃんは「今この一瞬一瞬を、最後まで駆け抜けていくぞー!」と強く叫びながら、残された時間を全力で歌う。この曲の持つメッセージは『シンビジウム』とよく似ていると思う。『シンビジウム』が「キミ」に向けた歌だとしたら、この『8分19秒』は、葵ちゃん自身に向けた歌だ。「はい!はい!」と煽る姿も、客席はもちろん、ステージに立つ葵ちゃん自身をも鼓舞しているように見えた。
Aメロが始まる。真っ黒なスクリーンの上半分には、四角く切り取られた色彩のない景色が映る。憂鬱な通勤電車。無機質なビル群。足並みを揃える、顔のない人々。自分はこの景色たちを、よく知っている。今日このライブが終わったら、否が応にもやってくる日常だ。変わらない日々。変えようとしないのは、自分自身なんだと分かってはいるのだけれども。
落ちサビへと向かう間奏で葵ちゃんが語りかける。

「誰にでも、周りの人が羨ましくなることとか、あると思います。それでも葵は、自分の気持ちに正直になりたい。そんな姿が、みんなの道標になるといいなと思って、歌います」

答えはいつも人基準で
足りないことに怯えて
手にしたものさえ不安になって
誰かの正解(コピー)を
生きていたんだ

――瞬間、光が溢れる。

比喩ではなく、それまで真っ黒だった背景と上半分にあった格子窓のようなモノクロの景色が、ラスサビと共に暁の空に切り替わった。水平線の向こうからは、眩いばかりの陽光が真っ直ぐこちらに差し込んでいる。薄くたなびく雲間からは、光の粒子が立ちのぼる。きっと空を飛べたら、こんな景色を目にするのだろう。『Eidos』の夜明けよりも更に白み始める大空を背負い、葵ちゃんが最後のフレーズを歌う。

僕に残された 8分19秒
消えゆく命(ひかり)を 燃やして
大胆な自分に 振り回されてみたい
残された僕を 限られた僕を
生きていくんだ
囚われた僕に 縛られた僕に
甘き死よ来たれ

割れんばかりの拍手が会場を包む。それは、息を切らした葵ちゃんのMCが始まっても、ずっと鳴り止むことはなかった。

・心のシャッターの話

今回のライブでは、葵ちゃんは「大切なことは歌の中で」と言わんばかりに、MC中は終始おどけた感じでいる。新しくできた振り付けに喜んだり、ライブTシャツの色の分布でケラケラ笑う姿を見ながら、ふとそんなことを思う。その代わりに、曲の間奏やアウトロなどで、自分たちに沢山のメッセージを贈ってくれた。次の曲へと向かう気配がする。そこで葵ちゃんは少しだけ真面目な声で言った。「みんなに、愛をこめて」

小さな雨粒が葉っぱを揺らすように、ピアノの音がぽつりと鳴る。雨の中で傘も差さずに立ちすくんでいるような、か細い葵ちゃんの歌声が聴こえる。一人、また一人と、ゆっくりと座席から立ち上がる気配がする。会場一面に揺れる薄紫色のサイリウムを見ながら、葵ちゃんが話す。
「いよいよ、最後の曲になりました。聴いてください」

「『紫陽花が泣いた』」

最後の曲という響きとAメロの歌い出しで、ふいに昨年の事務所独立からの日々がフラッシュバックした。必死に涙を堪えながら、声を震わせて独立のことを話した一年前のあの日。不安とプレッシャーの中で、それでも、応援してくれる人たちに伝えたい、新しい世界があること。あなたと私の生きることの意味、幸せの答え探しの旅を一緒に歩んでほしい。そう告げたこと。その終着点が、今、この瞬間にあるような気がした。
サビが始まる。雲ひとつない夜空に、星が瞬いている。たくさんの優しい光に囲まれて、旅の終わりに葵ちゃんが歌っている。
アンコールがあることなんて分かりきっている。まだまだライブは終わらない。それでも、涙が止まらなかった。ちゃんと目に焼き付けたいのに視界がぼやける。マスクの中はぐしゃぐしゃで、涙と鼻水で蒸れて息がしづらい。でも、そんなのはどうでもよかった。「おめでとう」「大変だったよね」「頑張ったね」。そんな想いが、とめどなく溢れてくる。

2番に入った。シャツの袖で涙を拭いてからふと隣を見ると、開演前に軽口を交わし、それまでずっと一緒に全力で飛び跳ねていた彼は、サイリウムを胸に当てたまま、じっと動かず葵ちゃんを見つめていた。

人の心には、大切な瞬間を保存するためのシャッターが付いている。思わず息を飲むような大自然や、巨匠の手による名画を前に立ち尽くす人がいる。彼らはカメラのレンズ越しからではなく、全身を使って、目では見えない、耳では聴こえない瞬間を、決して忘れないよう心に焼き付ける。今の彼は、きっと全力で、心のシャッターを切っているのだろう。今日のこの景色を、この想いを、いつまでも忘れないように。
自分も同じだ。両手に持ったサイリウムに万感の想いを込めて、ステージで歌う葵ちゃんに向かって振り続ける。やり方は違えども、今この瞬間を大切に想う気持ちは同じだった。
きっとこの会場の誰かも、配信で見ている誰かも、みんながみんな、それぞれのやり方で心のシャッターを切り続けている。沢山の祝福の花束に囲まれて、葵ちゃんが歌い終わる。長い長いアウトロの中で、葵ちゃんがライブのお礼を述べながら、自身の想いを語る。

今日、ずっと夢に見てきたことの一つが叶いました。
葵のことを応援してくれるみんなの前で、叶えることができました。
『キミの心の応援団長』として活動を始めてもうすぐ4年。
楽しかったことが、たっっっくさんありました。
でも、壁にぶつかったことも、沢山ありました。
そんな時、気づけばみんな一人一人に応援されて、
今日まで、歩んできました。
だから、葵もみんなに恩返しがしたいから、
ずーっと、ずっと、1年後も、10年後も、
葵の歌と一緒に、まだまだ新しい景色、見に行こうね。

そして最後に、満面の笑み。
「本日は本当に、ありがとうございました!」
そう言って深々とお辞儀をした葵ちゃんは、いつまでも続く拍手の雨の中、舞台袖へと歩んで行った。この先、1年後も、10年後も、傘に当たる雨音を聞きながら紫陽花を眺めるとき、この景色を思い出すんだろうなと感じた。

・夢の時間は終わらせない!の話

拍手のしすぎで手のひらが麻痺して、分厚い手袋をはめているような感覚になる。普段のアンコールならば「アンコール!」と声を上げてサイリウムを振るのだけど、今回ばかりはそうもいかない。打ち鳴らす拍手のリズムも、普段なら「『アン』コー『ル』!」の部分だけ叩くのに、今回は「『アン』『コー』『ル』『!』」といった感じで倍のスピードだ。それでも、絶対に休まないと心に誓い、歯を食いしばる。これから始まるアンコールは決して予定調和などでなく、自分が葵ちゃんにまた歌ってほしいからやっているんだと強く念じる。
ステージ中央にグランドピアノが現れる。舞台袖からライブTシャツに衣装チェンジした葵ちゃんがやってくる。喝采や「おかえり」の声の代わりに、さきほどよりも大きな拍手が会場を包む。

順当にいけば今回のアルバムでまだ歌っていない『チョコレート』の弾き語りだろうか。歌詞やピアノに座る構図的にはRADWIMPSの『愛にできることはまだあるかい』でも嬉しいな、などと考えながら、サイリウムを青と白に変える。葵ちゃんが椅子の位置を調節して両手を鍵盤に置く。会場が静寂に包まれる。目を瞑って一呼吸。優しいピアノの和音でイントロが始まる。『チョコレート』だ。

天井からは一本のスポットライトだけが、葵ちゃんに向かって伸びている。それ以外は何もない。音符たちに乗せて、ノートに書かかれたメッセージを読んでいるような、素朴で、優しい時間が流れる。自宅やスタジオのピアノで何度も練習したのだろう。譜面にはきっと、葵ちゃんにしか解読できない走り書きがいくつもあって、鼻歌まじりにそれを眺める姿に思いを馳せる。
飾らない心と歌声に、恋や熱狂ではない、大切な人への懐かしさや愛おしさで、胸の奥がじんわりと温かくなる。

曲が終わる。拍手は、ピアノの余韻が引いてから湧き上がった。ゆっくりと椅子から立ち上がった葵ちゃんは、「ひい、緊張した~」とでも言っているかのような、はたまた照れ隠しをするようなニカッとした笑いを浮かべてから両手を少し上げて、また舞台袖へとはけていった。

そして始まる、2回目のアンコールを求める拍手。体感としては1回目よりも短かった気もするが、ダブルアンコールは予想していなかったため腕も肩も限界だ。だがそれも、くぐもったドラムの音と『MY ONLY GRADATION』のオープニングに合わせるようゆっくりと歩を進める葵ちゃんを見て全部吹き飛んだ。握りしめた拳を高く掲げて歌い出す。

手に入れろ 僕だけの色

会場のボルテージが一気に上がり、七色のサイリウムが一斉に弾ける。自分はジャンプしながら、サイリウムの色を赤と青に変えた。

「改めましてアンコールありがとーう!夢の時間はまだ終わらせない!」

そう叫ぶ葵ちゃんは、吹き上げる炎のような歌とパフォーマンスで、会場を熱狂の渦に巻き込んでいく。縦横無尽に走る原色のレーザービームが、アンプを震わせるギターのうねりが、胸の鼓動を加速させていく。燃えるような身体で踏ん張りながら、離されるものかと全力で追いすがる。爆発的な熱量が、そこら中で生まれていた。

その熱を全て燃料にした、魂の叫びにも似たフェイクが入って『MY ONLY GRADATION』が終わる。割れんばかりの拍手。たとえ声出しOKだったとしても、きっと言葉にならない雄叫びしか出せなかったと思う。

・新しい景色の話

まだ息の整っていない葵ちゃんが、マイク片手に嬉しそうにMCを始める。久しぶりの弾き語りのこと、誕生日のサプライズが用意されていたこと、 9月に初めての公式ファンブックが発売されること、新しい音楽レーベルの第一弾所属アーティストに大抜擢されたこと、そこで今、3枚目のシングルが制作中なこと。葵ちゃんはMCの途中で、何度も何度も「楽しいなぁ」「終わりたくないなぁ」と、笑いながらもこの時間を惜しんでいる。

いよいよMCも終わるかというとき、葵ちゃんが少し考えてから口を開く。「今日も思ったんだけね、やっぱり『葵とみんな』ってなりがちなんだけど、みんな一人一人の心に『ちび葵』みたいなのを置いといてほしいんだ」と、胸に手を当てて、何かを渡すような素振りで語りかける。

真の意味で30万人以上いるファンを全て見ることは、誰であっても不可能なことだ。それは葵ちゃん自身が誰よりも分かっているはずだ。独立発表の時にも似たことを話していた。それでも「あなた」を思いながら作詞をした歌や、「あなた」が少しでも楽しい気持ちになれるような動画を通じて、今後も寄り添っていきたい。それが、葵ちゃんの出した答えの一つだった。
自分は随分と前から、もう葵ちゃんの「応援」が無くても大丈夫だと思っていた。葵ちゃんの歌と生き様から沢山のものを受け取って、人生の岐路でも勇気を出して一歩を踏み出すことができた。今はそれを、別の誰かのために使っている。でもそれは、もうずっと前から、自分の心の中に「ちび葵」が住んでいたからなのかもしれない。少し憂鬱なことがあったり落ち込んだ時でも、今までの葵ちゃんの歌や、沢山のイベントのことを思い描くだけで、前を向いて進めるようになった。昔ぽっかり空いてしまった心の穴は、今はもう葵ちゃんとの思い出で満たされている。それはもう、何があっても消えることはないだろう。大切な存在は、この胸の中に生きている。

「一人一人、応援してるからね!」葵ちゃんが大きく手を振る。
「大丈夫。ちゃんと伝わってるよ」の代わりに大きな拍手で応える。

「これからも、着いてきてね!」
ジャンプしながら両手を高く上げて叩く。
手首に掛けたサイリウムが何度も顔面を直撃する。
まあいいや。今はどうでもいい。
欠片でもいいから、この気持ちが届くならそれでチャラだ。

ステージが暗転する。誰もがライブの終わりを予感する。それでも、誰もがみな、晴れ晴れとした顔をしていた。『ユメ⇒キミ』のイントロが流れる。
1stライブで約束した新しい景色が、眼前に広がる。

ユメ⇒キミ 繋いだMelody 未来がそっと光る
まだ見つかってない 声に出せない
感情(おもい)が自分を超える
誰でもない僕の手に 何かが生まれ宿る
羽ばたきたい 煌めきたい
終わらない希望 見つけに行こう

三原色のスポットライトが、葵ちゃんと自分たちを、無限の可能性で照らしだす。きっとこの先、沢山の嬉しいことや辛いことがあるだろう。
それでもまたいつか、ライブの最後でこの曲が流れるたび、それら全てが、かけがえのない旅の軌跡になっていく。

ラスサビの歌い出しで、銀テープが空を舞っているような気がした。
そんな妄想をしていたせいで、葵ちゃんが「You Make Me High!」と煽ってくれたのにジャンプをし損ねる。その分、すぐ後の「You Make Me Fly!」では今日一番のハイジャンプをした。こんなにも楽しいことがあるだろうか。アウトロで葵ちゃんが魂を込めて語りかける。

今日、こうして一緒に過ごした時間が、
葵とみんなの思い出に、葵とみんなの糧に、
葵とみんなの羅針盤に、そして葵とみんなの、
これからも続く終わらない物語の、一ページになれば嬉しいです。
最後は敢えて、この言葉で締めたいと思います!……せーのっ!

「「「よっしゃいくぞー!!」」」

この言葉を唱える度に、葵ちゃんと一緒にここまで来て良かったと、心から思う。挫けそうなとき、一歩を踏み出したいとき、勇気を貰える魔法の言葉だ。心の中で呟けば、どこからだってスタートを切ることができる。
満面の笑みでぴょんぴょんしながら手を振る葵ちゃん。立っているステージは段々と見えなくなっていく。精一杯の「ありがとう」を想いを込めながら、葵ちゃんが見えなくなっても、ずっとずっと拍手を贈り続けた。

・ライブを終えての話

会場内のナレーションが、ライブの終演を告げる。帰りは混雑緩和のため、規制退場となった。後ろの方から順番に退場案内がされる。自分といえば、ひとことで言えば「抜け殻」のようになっていた。精も根も尽き果てたというか、椅子に腰掛けたきり腕は上がらないし足も動かない。ライブTシャツは汗でずっしり重くなっていた。自分の列が呼ばれた際も、ちょっと気合いを入れないと立ち上がれないほどだった。隣りにいた彼と感想を言い合おうと思ったけれど、受け取ったものが多すぎて「めっちゃ良かったね……」「うん、めっちゃ良かった……」くらいしかお互い言えなかった。
退場案内の係員に紛れて、Aoi ch.の生みの親とも言える方が、関係者出口の辺りでお見送りをしていた。葵ちゃんの独立後も外部のイベントで見かけたという話は聞いていたが、実際に会うのは独立後からは初めてのことだ。 伝えたい感謝の気持ちが山のようにあるけれど、21時のイベント制限のことや、見送り後の関係各所への挨拶回りや、撤収に伴う膨大なタスクが一瞬で頭を過ぎってしまったので「本当にありがとうございました!」とお辞儀だけして出口に向かった。

お台場の空には星が出ていた。建物とマスクに遮られて海の匂いは感じられないけれど、まだライブの余韻が冷めない体を、夜風がそっとを包み込む。途中、遠方から車で何時間もかけてやって来た友人を見つける。彼は腰をさすりながら「行きはもう踏んだり蹴ったりだったけど、今日ライブに来れて本当に良かったよ」そう笑顔で話していた。最寄り駅のバス停の辺りには、ライブTシャツを着た数人がバスを待ちながら、控えめに輪を作っていた。その輪に加わろうかとも思ったけれど、少し言葉を交わしてから「ちょっと一人、海辺でたそがれてきます。またね!」と言ってその場を後にした。

思い起こせば、葵ちゃんのイベント後に一人でいることなんて、今まで一度もなかった。最初のお台場でのイベントですら、当日に意気投合した人たちと電車や居酒屋で、おっかなびっくり、でも本当に楽しく葵ちゃんのことを話しながら帰った。生誕祭や1stソロライブでは打ち上げの手伝いのため、目が回る忙しさの中で笑いながら過ごした。自分と同じように、好きなものに夢中になれる彼らのことが好きだ。今の状況が落ち着いたら、きっとまた大勢で打ち上げなどを企画するのだろう。そう思ったら、一人静かにライブの余韻に浸ることができるのは、これが最初で最後な気がしてきた。それに気付いてしまったので、少しばかりの名残惜しさを引きずりながらも、意を決して一人きりの夜の海辺を目指した。

・地続きで見る夢の話

ドラマチックな展開にはまるでならなかった。みんなと別れて気が緩んだのか、いきなり左側の背中と、あばら骨の辺りの筋肉がつった。息もできないほどの大ダメージでしばらく立ち止まったまま動けずにいたら、今度は右脚のふくらはぎがつった。浅い呼吸でよたよたと進みながら、遠くに見える海で黄昏れるのは諦めることにした。そうしてすぐ近くにある、紫陽花の咲く公園で休める場所を探す。幸いにもすぐに、大きめのベンチが見つかった。倒れ込むようにしてベンチに腰掛ける。その衝撃のせいで足の裏がつった。たまらず靴を脱いでしばらく痛みが引くのを待って、更に1分くらいかけてポケットからスマホを取り出す。Twitterには沢山の感想が並んでいて、更新ボタンを押す度に、追い切れないほどの新着ツイートが舞い込んでくる。

一旦スマホから目を離して、少し遠くに見える観覧車を眺める。つい先ほどまで、あの観覧車の下で葵ちゃんのライブがあった。心の底から楽しかったし、たくさん心を動かされた。でも不思議なことにライブ中の記憶があまりない。どの曲を歌ったとかは何となく覚えているのだけれど、そこでどんな演出があったのか、自分が何を思い、感じていたのかが、薄ぼんやりとしている。

しばらく考えて「そうか、これが『夢心地』ってやつか」と、新しい感覚を言葉にしてひとまず納得する。

確かに夢のような時間だった。でもそれは、現実と地続きになっている夢だ。ライブの最後を「よっしゃいくぞー!」で締めた葵ちゃんは、また明日から、次の旅路を見据えて準備をするだろう。キミの心の応援団長として、想いを届けるアーティストとして、一度きりの人生を歩むただの人として、葵ちゃんは「富士葵」という名のステージで歌い続ける。

――それなら、自分は?
答えはとうに分かりきっている。

ぱん、と太ももを叩いて立ち上がる。
軽くストレッチをして、汚れたスニーカーを履き直す。
歩き方は知っている。あとは自分で、歩くかどうか。
綺麗な紫陽花が続く道の先に、駅の灯りが見える。
大きな一歩は踏み出せない。今はまだ、少しずつ。
足取りは重い。それでも息を整えて、少しでも先へ。
「躓いてもいいんだよ」と、心の中で声がする。
その声を支えに、地続きで見る夢を一人で歩く。
大切なものは、この胸の中に生きている。

・1本のサイリウムの話

朝に淹れた紅茶はすっかり冷めてしまった。雨は相変わらず降り続けている。体の節々の痛みも、あと数日はしっかり尾を引くことだろう。
あんなライブがあった翌日のくせに、休み明けの仕事のことを思うと溜息が漏れる。それでも無理に強がらず「まぁいいか、どんどん漏らすか」と思えるようになったのは、間違いなく葵ちゃんのおかげだ。

テレビをつける。今日もまた数え切れない出来事が、トレンドワードと一緒に、生まれては消費されて、消えていく。そんな世界で生きる自分たちだ。楽しいこともあれば、そうでないことも沢山ある。
Twitterを開いてタイムラインを眺める。

満員電車が憂鬱な人、リモート授業の音質が悪い人、ある日を境にぱったりと自身のことを呟かなくなった人、お気に入りのお店が閉店してしまった人、初めての子育てに格闘中の人、仕事のミスで自己嫌悪になっている人、人間関係が嫌で家から出たくない人、競馬で大損した人、「どうせ自分なんて」と塞ぎこんでいる人、受験勉強で息が詰まっている人、大切な人が遠くに行ってしまった人。

沢山の人が、思い思いに昨日の感想を呟いていた。
感想は呟かず、自分の胸に留めている人も多いみたいだ。
枕元に放り出していたサイリウムをつけてみる。
昨夜自分の分身として葵ちゃんを応援していたそれは、
明るい部屋の中で見ると思いのほか味気なかった。
ああ、戻ってきたんだな、と感じる。

あれだけ眩かったサイリウムも、明るい場所ではその輝きを見失う。
それでも根元を見れば、七色の光が確かに灯っているのが分かる。
大切にしよう、と思う。
また、次のライブでも輝けるように。
遠くの葵ちゃんからから見ても分かるように。
途中で電池切れを起こさないように。

手にしたサイリウムを振ってみる。
小さな葵ちゃんがプリントされたそれは、
青い軌跡を描きながら、終わらない物語の旅に出る。

■あとがき

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
少しでもライブの熱気や、葵ちゃんから受け取ったもののお裾分けができたのなら幸いです。

ライブの配信アーカイブは7月4日(日)まで、何度も視聴が可能です。
今のところ円盤化の予定は無いため、気になった方はぜひとも観てみてください。チケット代以上の価値があると、心から言えます。

ファンが言うと説得力が半減するのは重々承知ですが、本当にオススメなんです。ライブのダイジェスト映像は葵ちゃんのYouTubeの公式チャンネルで無料公開されているので、こちらもぜひご覧になって下さると嬉しいです。


四年近く葵ちゃんと一緒に歩いてきて、分かったことが一つあります。
それは『自分の人生の主役は、自分自身』ということです。

葵ちゃんを応援することは、巡り巡って、自分自身を応援することに繋がります。なぜなら「歌や活動を通じて、みんなを元気にする」という葵ちゃんの夢には、もれなくそれを応援する「私(あなた)」自身も含まれるからです。

私が「葵ちゃんを応援してきて良かった」と思うのはどんな瞬間だろうかと思い返すと、葵ちゃんが夢を叶える瞬間に立ち会ったり、歌や活動を通じて心を動かされた時でした。
それでは、葵ちゃんが「みんなを応援して、活動を続けてきて良かった」と思うのは?答えはきっと、似ているんじゃないかな、と思います。私たちが夢を叶える瞬間に立ち会ったり、近況報告などを通じて、葵ちゃんの応援が届いたと実感できた時なのではないでしょうか。

そんなわけで、葵ちゃんに「活動を続けてきて良かった」と感じて貰うためには、何よりもまず自分自身が元気になって、一度きりの人生と向き合わないといけないと思います。でも葵ちゃんならきっと「いやいや、もっと気楽に見てくれていいよ」と、笑いながら言うような気もします。

一口に「元気になる」と言っても、大きく一歩を踏み出すことだけではありません。俯いていた人が少しだけ前を向いたり、膝を抱えている人が寄り添うことを拒まないでいてくれるだけも、きっと葵ちゃんにとっては「応援」の成果の一つなのだと思います。
そういう「心でだけ視える灯り」を生活の折々で葵ちゃんに報せることが、ライブで振ったサイリウムや拍手の代わりに、私たちが日々できる応援の形の一つなんじゃないかなと思っています。

もちろん、活動を維持・拡大するための直接的な支援は本当に大事ですし、そこの部分で日々支えている方々を、私は心から尊敬しています。そして、葵ちゃんがスパチャ読みで丁寧に名前を呼ぶのは、金銭そのものではなく、そこに込められた応援の心を受け取ろうという姿勢からなのではないかなと思います。ふと、活動当初からスパチャのことを必ず「お祝い」と呼んでたエピソードを思い出しました。

さて、もはや「紅茶が冷めた」どころではなく、バキバキだった筋肉痛もすっかり回復してしまいました。一日で書き終わるはずのものが、アーカイブを見直していく内にあれもこれもとなってしまいました。ライブ本番中は「すげー!」「マジかよ!」「やべえ…」「うおおおお!」くらいしか感じていなかったので、いざそれを文字に起こしてみようとすると、こんなにも多くのものを受け取っていたんだなぁと、改めて葵ちゃん本人と、ライブに携わって下さった全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして願わくば、ここまで読んでくださった皆さんの「心のシャッター」の話を、葵ちゃんに届けて欲しいです。私は勢いで2時間あるライブの全てを書いてしまいましたが、それはアホの所業だと身に染みてわかりました。(でもたぶん次も書くと思います)
皆さんにもきっと、ライブのどこかで、心を奪われるような瞬間があったと思います。その一秒にも満たない一瞬を、ぜひ「# 富士葵シンビジウム」のハッシュタグで、葵ちゃんに届けて欲しいです。きっとその瞬間のために、何ヶ月もの時間と、莫大なお金と、ありったけの心を、葵ちゃんたちが注いでくれたと思うからです。

葵ちゃんの旅は、まだまだ終わりません。7月上旬には「ブイアワ」に出演し、9月には新曲付きの公式ファンブックも発売されます。更に新レーベルで鋭意製作中の3rdシングルの情報も順次公開されていくことでしょう。

そして、そう遠くない未来、葵ちゃんの3rdライブが開催されるでしょう。その時には、皆さんと一緒に1本のサイリウムになって応援できることを、心より楽しみにしています。

改めまして、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

2021.6.25 どぅー

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