ほとんどブッダ、ゆえに反ブッダ

……という感覚を、今なら完全に理解できる。

ほとんどブッダであるからこそ、何も意識していなくても一挙一動がブッダに似てしまう。あまりにブッダに似すぎた他人が自然体でいるだけで、それはブッダに対するパロディであり、海賊版であり、冒涜たりえるのだ。

人はときに、ラオモト=サンとブッダの違いを認識してもなお「ラオモト=サンはブッダよりもブッダしてる!」と言うだろうし、違いに気付けない人間なら「なるほど、それもブッダだね」と受け入れてしまうこともあるだろう。

ブッダに限りなく近く、それでいて差異を持つ人間は、ただそこにいるだけで反ブッダなのだ。


……私が赤月ゆにのパロディをするとき、敢えて本家では絶対に扱わないようなもの(多くは架空の記念日)を題材にすることで、「私は本家じゃないですよ」アピールをしている。捉え方によっては本家への積極的な冒涜かもしれないが、それならそれで気兼ねなく退治してもらえるだろう。

「知っているか? "ゆに"っていうのは『唯一無二』を表す言葉なんだよ」

赤月ゆにに串刺しにされたい。(なんなら、既に釘付けである)

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