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見るところを決めているのは自分

同じものを見てるはずなのに、母と見てるところが違いすぎ驚きました。
今朝、病院に行くときぐらいしか助手席に座ることのない母に、うどん屋の春オススメメニューのきれいな旗がみてたので、「美味しそうな写真だね」と話を振ってみたら、「えーー、私はあそこのうどんは好きじゃないんだよね〜」と言われてしまいました。

「えーー、そーくる??」と思った直後、
「あの家の庭はちょー狭いね! あんな狭い庭に自転車置くのか…」などと、なんだかちょっと嫌な感じの物言いをして来ました。

2連発の評価的な発言に、繊細なわたくし、穏便に世間話を続けるきがなくなってしまったのです。

我ながら「ちっこいことに引っかかる女だわ~」とは思うんですけど、ついつい「お母さんはさ、自分が楽しくなるものの見方したほうが、いい気分の時間が増えんじゃねーの?」とか言ってしまいましたの。

わたしはあの写真みて「今日の夕飯は美味しいうどん食べよ!」ってだけ思ったし、出勤前のお父さんたちの方は、見送りにでてお母さんステキだなぁ…としか見えなかった。マジで何をどうみようかオカンの勝手なんだけどさ、幸せな日常って、こういうちっこい気分の積み重ねで、不幸を感じるか、幸せを感じるかの違いなんじゃね?とか、さらにえらそうな説教じみたことを言ってしまいまして…(;^_^A

そしたら、うちの77歳
「あー、確かに。なるほど。そーだね」とか同意するんですよ!
反発されると思いきや、「え?どうした母?」とかわたしの方が思っていると、続けてこんなことを語り始めたですよ。

LINEでメッセージ送るのに、同じことを言うのでも言葉の違いで、印象って全然違うのだね。今までなんも考えずにしゃべってたけど、文字にすると、言葉って選ばないといけないんだなあ…って気がつけたよ。
なんてことを申すのです。

しつこいですが、この方、77歳です。
逆に今まで知らなかった方がこえーよ、とか思うわたしくもおりましたが、やっぱり知らなかったんだ…とも思ったり(笑)
このオカン、昨年12月にデビューしたスマホを使い始めたことで、はじめてコミュニケーションというものを意識的に学習しているみたいなのです。
メールとLINEの区別もついてないんですけど、「話しをする」以外のツールを手にしたことで、聞き流してしまっていた人の言葉を、文字情報として得ることで、人の思いの受け取り方が母の中ですこし変わっているように見えます。

そんなこんなの3か月で習得した学びが、言葉は選ばなきゃアカン!だったらしいです。そして、今日は、「同じものを見ていても見るところが違うって、こういうことだったんだ!」を知ったそうです。今日も、「何も考えないで生きてきちゃったけど、今からでも勉強だね」とかLINEに送ってきます。全文、ほぼひらがな ですけど(笑)

母を見ていると、「よくそれで無事に生きてこれたな」と思うほどに処世術というものを知りません。
勢いと直感と強運を武器に、「従うか・従わせるか」の世界観で生きて人ですが、ここ数年の「聴く耳」と「学習能力の高さ」には本当に心底驚かされます。
また、同居を始めて3年ちょっとですが、どんどん、学びにどん欲になっていく姿や、あの年で伸びしろを感じさせる学び方をしているところに、頭が下がります。
親から学べるってありがたいですね。

わたしみたいな繊細さんは、自分が楽しくなるものの見方を定着させていくことが、幸せで穏やかな日常をおくっていくコツの一つでもあるので、わたしも母の変化を楽しみながら、ともに心をのびやかにしていきたいと思った2021年の啓蟄でした。

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