エロは海を超える
※今回の記事は成年向け要素というより非常にニッチな内容を含んでいますが、ふざけているつもりは毛頭ございませんのでご了承ください。
先日購入致しましたエロゲを真エンドしてきました。
ド畜生です。
さて、今回このような記事を書くことを決意したのですがその前に。
前提として。
私はエロが大大大好きでございます。
エロいのが好きというより、R-18であるコンテンツに神秘性と価値を見出しているんですね。
一般の趣味嗜好というのはありふれていて、甘いのが好きだとか、怖いのは嫌いだとか、そういった在り来たりな議論は求めていないのです。(もちろん普通の話でも奥深いところで議論したりはするけども)
自論では、エロに関する性癖は人の数だけ存在していると思っております。
※このように性癖という言葉に性的嗜好という意味は本来ないのですが、もう一般化してきているのでこちらの表現を使います
性癖というのは、その人が性的に興奮する、もはや言語化不可能な神秘的な対象を表したものだと考えています。
言語化不可能というところがミソで、それを言葉に表してしまうと、その神秘性が失われてしまうのです。
ウィトゲンシュタインの、語りえないものについては沈黙しなければならない、というやつです。
言葉で本来語りえないものを言語化すると、混乱を起こします。
ですから、言葉で表すのではなく、ただ示されているだけでよい…という話です。
性癖についても同じことだと思っています。
個々の性癖について、完璧に言語化することは不可能です。
例えば「私は身長何センチくらいの体重何キロ顔はどんなで年齢はこれくらい、そんな女性(あるいは男性)に~されるのが好き」などというふうに性癖を語るでしょうか。
だいたいこうですよね、「これすき」です。
ただこれがすき、これがすき、これがすきと示していけばよいのです。
世の中には自然そのものに性的興奮を覚えたりする人もいます。(北杜夫の『幽霊』にそんな描写があった気がします)
ただそれは、「この大自然がエロい」などという低俗なものにするべきではなく、ただ性的興奮を覚えるという事実のみを留めておけばよいのです。
…とまぁ、エロに対してこれくらい語ることがある程度にはエロが好きなのです。
本題はこれではないです。
~ここからニッチな話~
皆さん、Unbirthという単語をご存知でしょうか。
知らないと思います。
多分辞書にも載ってないでしょう。
が、意味はおおよそ予測できますね。
英語が苦手な人のために解説しましょう。
un、とは動詞につけてその「逆」の動作を表わす接頭辞です。
birth、とは生まれるという動詞、あるいは名詞です。
つまり生まれるということの逆の動作を表していることになります。
実はこれ、検索するとエロサイトしか出てきません。
当たり前です。
性癖を表すための造語ですから。
ピクシブ百科事典を参考にされたし。
女性器で相手を丸呑みにする行為…ですね。
たしかに生まれるのとは逆の動作です。
しかし、これは通常の描写では無理な性癖だということが明らかです。
ファンタジーでなくてはなりません。
この場合、例えば巨大娘(2mから惑星サイズに至るまでの大きい女性への嗜好を表す言葉)の性癖や、シュリンカー(体躯の縮小)等の性癖と不可分です。
(実は不可分でないという話もできるのですがややこしいのでしません)
というわけで聞き慣れない言葉がたくさん出てきたと思いますが要はニッチなものなのです。
先ほどのリンク先にも書いてありましたが、日本語でこれを表すと胎内回帰ということになります。
ただですね、これも先ほどのリンクを参照すればわかるのですが、Unbirthというその単語が示すところと全く重なるわけではないのです。
Unbirthはvore(丸呑み性癖)と重なる部分があるので、積極的な捕食も含まれる…ということですが、まぁ一般人から見ればほぼ同一のものと見れるでしょう(というより実際にその境地に至らないと違いがわかりません)。
この微妙な差異は先ほど述べたように言葉にするべきでないところだと私には思われます。
しかしですね、全く矛盾するようですが、言語化しようとする営みはいたく美しいものだと思うのです。
Unbirthにせよ、胎内回帰にせよ、辞書には載っていません。
形容しがたい自らの性癖を、共通理解を求める形で言語化し、それをよりどころとする…
英語圏ではbirthに接頭辞unをつける形でわかりやすく、スマートに。
日本語では胎内に回帰する、胎内回帰、と。
回帰という言葉がセレクトされているのが非常に美しいです。
もはやこの単語以外では使われないのではないのかというくらいのフィットさ。
形なきものに形を与えようとする、その行為はいかにも人間らしくて、美しい。
そしてそれ以上に、こんなニッチなものが、ジャンルとして複数の言語で共有可能ということが美しいですよね。
言語化したら神秘性を失うというのはそうなんですが、それはそうとしても誰からも理解されず、全く名を持たない以上な性癖という扱いを受けたのではどうにも悲しい。
ジャンル名というのは、僅かでもでもそれを愛するひとがいるという証拠であり、拠り所なのです。
それが国境を超え、ほぼ同一の概念として受容できるってすごいことじゃないですか。
エロパワーですよこれ。
エロが国境を破壊する原動力なのです(誇張)。
しかし事実、こういった形での海を超えた交流というのは行われているわけで。
そうしたときに、言語を介せずに交流を図るというのは至難の業ですから、共通概念としてのジャンル名は必要になるのです。
性癖を詳細に語り、文章として言語化することは愚かな行いだという認識をしている一方で、しかしそれでもなんとか形として表したい、という現れとしてのジャンル名は美しいものだと思っています。
そうした意志が、どこの国でも共通していると考えると、ちょっと外の世界に親近感が湧くような気がしなくもありません。
改めて言いましょう。
エロは世界を救う。
以上です。
なんだこれ(後悔)
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