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失われた30年間 - 独占生出演 飯星景子さん 統一協会と決別(ルックルックこんにちは、日本テレビ、1992年11月5日放送、有田芳生氏と紀藤正樹氏が出演)

(日本テレビ ルックルックこんにちは 1992年11月5日 午前8時30分)

失われた55年間1967年(昭和42年)7月7日付の朝日新聞(夕刊)に『親泣かせの「原理運動」』と題した記事(マスメディアが初めて統一教会と原理研究会を取り上げた記事)が掲載され、以降、他の新聞や雑誌も報道するようになり、統一教会と原理研究会の実態が知られるようになったことを紹介しました。失われた45年間(1)失われた45年間(2)では1977年4月に衆議院の法務委員会で二度にわたり統一教会や原理研究会について真剣な討議が行われたことを紹介しました。

社会党や(統一教会に敵視された)共産党は勿論、大勢のジャーナリストや弁護士や宗教家や政治家が統一教会、原理研究会、国際勝共連合、他と対峙し続けたようですが、右派の政治家や活動家の庇護も受けながら教団は成長を続け、1992年を迎えます。

NHK ニュース(1992年8月25日 午後7時)
NHK ニュース(1992年8月25日 午後7時)
NHK ニュース(1992年8月25日 午後7時)
NHK ニュース(1992年8月25日 午後7時)

YouTube に掲載されているNHKニュースは、初期のオウム真理教(空中浮遊や国政選挙活動の頃)に関する報道と同様に、驚くほどのどかで簡潔な内容ですが、新聞や雑誌や民放テレビ各局のワイドショーは(興味本位で腫れ物にさわるような歯切れの悪さはあるものの)膨大な紙面・誌面と放送時間を割きながら真摯に報道し続けたようです。

Hiroko Yamasaki told reporters in Tokyo in 1993: ‘Everything was a mistake.’

当時、桜田淳子、山崎浩子(勅使河原秀行の相対者、後に脱会し結婚はせず。)、徳田敦子と並んで世間を騒がせたのは飯星景子でしたが、京都大学法学部を卒業し読売新聞社会部で記者を務めた後に作家に転じた父君の必死の説得が実り、脱会したそうです。

脱会した後(記者会見を開いた後)ワイドショー(日本テレビ ルックルックこんにちは 1992年11月5日 午前8時30分)に出演した映像が YouTube に掲載されています。番組の司会者(岸辺シロー)とアシスタント(米森麻美アナウンサー)は故人となりましたが、コメンテーターとしてお馴染みの顔ぶれ(有田芳生 元 参議院議員(70歳)と紀藤正樹弁護士(間もなく62歳))が出演しています。番組の中盤まで浅見定雄 東北学院大学(名誉)教授が解説していたため番組の終盤までお二人の発言はありませんが、当時の雰囲気を知るためにも視聴する価値はありそうです。


(前略)

ホランさん:

旧統一教会に疑問を持つような心理状態ではなかったのでしょうか?

飯星さん:

そうですね・・・お風呂に入ってると思ってください。そこにスポイトで一滴ずつ赤い染料を落とします。今日一滴入れただけでは色は変わりません。では1か月後はどうですか?少しピンクかもしれない。でも毎日入っているうちにピンクが普通だと思うようになるんですよ。それがいつの間にか真っ赤なお風呂になっていて、でも本人はもうそれがお風呂の色だと思うようになってしまっている、そういう感じです。

(中略)

ホランさん:

旧統一教会について目にする機会も増えたと思いますが、どのように感じますか?

飯星さん:

旧統一教会の不変さを感じますね。私は統一教会は宗教だとは思っていません。カルトだと思っています。信教の自由と言いながら辞める自由がないじゃないですか。自分の意思で何かを決定するという権利を奪い、人権を奪い、家庭を崩壊させ、出る自由もなく、心も時間も拘束する。私はそれは宗教とは思いません。

(後略)



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