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2022年4月12日(火)日芸の大学院で

アビイです おはようございます
お元気でしょうか?

4月も半ば、世情穏やかでなく、値上げ多く、
なおさら、優しい気持ちでいようと思います

最初の画像は、『ミニオンズ』のピエール・コフィン監督、
ボブ、ケビン、スチュワート・・・、ミニオンたちの声優でもあり
ブリストルの映画マスタークラスの特別講義の後、親しく話して
くださったときの1枚、周りにいるのは、居合わせた他の受講者たち
映画祭の分厚いパンフレットに、コフィン監督は、さらさらと、
イラストを描いてくださいました フランス人です
「ぼくの連絡先知ってるよね? また、会おうね、日本に行くから」
そう微笑んでくださいました

今日は、日本大学芸術学部に通っていた頃を
ふと、思い出していました
「日芸」と呼ばれ、日大の他の学部とは少し、
違う趣きがあります
日大は、各学部ごとに、東京などの各地に
散らばっているんです

最初のご縁は、理工学部で、建築学会セミナーに
通訳のコーディネーターとして入りました
ところが、学生バイトを雇ってみたところ、
帰国女子なので、元のアメリカンイングリッシュは
よく分かるのに、日本語が出てこないという・・・
そこで、臨時で、私が代わりに入って、とても
評判がよかったんです
ワシントン州立大学の教授お二人は、
「今日のヒーローは、きみだったね」とまで、
言ってくださいましたが、途中、うっかり、
カンバセーション(会話、対話)と、
カンサベーション(環境保護、保全)を
とりちがえて、一瞬、冷や汗をかきました
それでも、議題の事例になった、フランク・ロイド・ライト
Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 - 1959年4月9日)を
正しく紹介し直す役割を担えて、よかったです
今から、もう、30年前の思い出です

そう・・・、確か、それが、1992年でしたから、
通訳業30周年に、なりました

神田外語大学外国語学部スペイン語学科を卒業
専門科目は、スぺイン語に興味を失くしていたので
さっぱり、でしたが、その分、英米語科目が優秀で、
全科目で、264単位と、卒業要件の倍近く、
成績も、優が52個、学生新聞や演劇部の立ち上げで
学長から表彰されました
若い講師にねたまれ、いやがらせで、大学から
追放される寸前で、よく、がんばったな、と

そして、日大 3月受験で合格、晴れて、
1992年4月、江古田キャンパスに通う生活が
始まったんです

私が、学籍番号9208で、通ったところの正式名称は、
日本大学大学院芸術学研究科修士課程文芸学専攻

当時、この大学院は、修士課程だけ、しかも、文芸だけで、
他の、演劇、映画、デザイン、音楽専攻でも、まとめて、
同じところに通わざるを得なかったんです
そういうおおらかな時代でした
そのおかげで、そのとき、修士課程では、全部の芸術領域を
まんべんなく、ベテランの教授陣に、ほぼマンツーマンで、
教えていただけたんです
と、いうのは、私と同期は、20名、先輩方が数名、同じ講座を
受けていたんですが、出席は成績と関係ないので、だんだん、
ひとりかけ、ふたりかけ、冬になったころは、もう、私しか、
出席者がいない時間ばかりになっていたんです

人気が高かったのは、元学部長の大竹徹先生「映画論」で、
お昼、大学院生に、出前で、天丼や、おそばを、
ふるまってくださるんです そして、面白かったことを
好きなだけ話しなさい、と 
亡くなる1999年まで、お付き合いしていただきましたし
私が、映画の道に入れたのも、芸術学博士になれたのも、
全て、大竹先生が最初にいてくださったことから始まりました
田宮二郎の主演の名作封印映画『白か黒か』を大学講堂で、
ノーカット上映してくださったんです
実際に起きた事件の映画化で、圧力がかかっていたそうです
今年、2022年1月に、シネマヴェーラ渋谷で、上映されています

『白か黒か』(1959年)大映 猪俣勝人監督
大竹徹先生は企画製作プロデューサーのひとり

この大学院修士課程では、全成績「優」のパーフェクトスコアでした
芸術の道で、生きよう、と決意したんです

(つづく)

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