京王線のジョーカーと選挙

選挙が終わった。SNSのタイムラインは熱気で溢れるも、蓋を開けてみれば投票率は期待したほど上がらず、結局は与党が過半数を確保した。現状維持。

開票結果を追いかけていると、衝撃的な映像が目に飛び込んできた。迫る火の手から車内を逃げ惑う人々。京王線のジョーカーによる凶行。
これは2008年の秋葉原通り魔事件、2016年のやまゆり園事件、2019年の京アニ事件、2021年の小田急線事件の系譜に並ぶ出来事だが、残念ながらこれらの無差別殺人の頻度が高まっているように見える。

世界で一番治安がいい都市だったはずの東京で、一抹の不安を胸に抱きながら電車に乗らなければならなくなったのはなぜなのか。

私には20代から30代にかけて、リュックを背負って世界各国を旅行していた時期がある。すると地図の上では同じように見えても、治安がいい地域とそうではない場所がモザイク状に存在することがわかってくる。

それを決定するのは、経済格差と地域コミュニティの有無だ。

貧すれば鈍すと言われるように、一般的には貧困地域は犯罪が多いと思われがちだが、物事はそれほど単純ではない。たとえばキューバの首都であるハバナは中米の中でも群を抜いて貧乏な街だった。学校の先生の月給が30ドル程度だが、スニーカーが一足80ドルという話である。しかしハバナの治安は非常によく、外国人が一人で夜中に出歩いていても、襲われるという話は耳にしない。
その肝はおそらく、“平等な貧しさ“にある。米国と国交を断絶していた当時は、仮に金があっても買うべき物がないのだ。海外からスマホが持ち込まれても、ネット回線がなければただの電話機である。(当時は国で初めてのwifiスポットがハバナの中央広場にできたばかりだった。)

中米の都市部は概ねお世辞にも治安がいいとは言えないが、外国人が訪れないような田舎に行くと心配の度合いは大幅に下がる。これは“地域の目“が働いているからである。たとえ外国人相手でも人道や宗教的道徳に反する行為を堂々と働くような人間は、地域社会では村八分にされるというのはユニバーサルなルールではないか。逆に言えば、地元に暮らしている限りたとえ仕事をしていなくても、飢え死にすることはない。誰かが食べさせてくれるのである。

逆に国家としての経済水準は高いが、治安上の問題が大きいのは合衆国だ。現地で親切な人たちは、口を揃えて夜道を歩くなとアドバイスしてくれるし、実際にカツアゲされた経験もある。

持つ者と持たざる者が隣り合って暮らし、かつ持たざる者がコミュニティという命綱から寸断されたとき、地域に犯罪行為が増えるというのが私の肌感覚だ。

翻って、日本の現状を考えてみよう。

コロナ禍以前から開きつつあった経済格差は、一段と大きくなったように見える。補助金によって救済された人々と、恩恵に与れなかった人々。タクシー会社には補助金が降りているが、出来高で働く末端には届いていないというのは先日、車内の運転手から耳にした話だ。
欧米では、一般的にロックダウンと補償はセットである。国籍を持たない日本からの就労者にも持続的に給付金が支払われた。我々が日々の所得税、住民税、社会保障費、消費税を支払った対価に支給されたのは10万円とマスク2枚である。
人口あたり病床数世界一の医療制度を有する国に税金を払いながら、酸素も投与されず自宅で死んでいった人々の無念はいかほどだろうか。

そして自粛を要請され続ける日々は、人々のつながりを分断した。血縁と離れて暮らす人々にとって、仕事場や学校がつながりのほぼ全てであろう。在宅ワークになって、誰とも口を聞かなくなったというエンジニアの友人。コロナ渦以降に上京した大学生はどうやって友達を作るのだろう。オルタナティブな人間関係の場である飲食店やライブハウスは“夜の街“の名の下にスケープゴートにされ、潰れていった。

これはコロナという天災のせいだろうか?それとも政治的決断によってもたらされたものだろうか?言い換えれば、貧富の拡大と人々の孤立を防ぐために、我々の政府は最善を尽くしたと言えるのだろうか?
私はそうは思わない。あのマスクを配布するための466億円を有効に活用すれば、潰れていったライブハウスを、居酒屋を救えたのではないか。

個々の人間がそれぞれの胸に抱える地獄については、想像するしかないのだが、
彼という氷山の一角の水面下には、数多くの絶望した若者が存在している。
一人の青年を京王線のジョーカーに変えた遠因は、我々が選んだ政府による政策である気がしてならない。

私達の社会は総意として、与党を信任し現状を維持することを選んだ。
ネットニュースのコメント欄には、“他人を巻き込まず一人で死ね“という声が溢れている。
その怒りはもっともだが、一人で死ぬのでなく、共に生きる方法を考えていきたい。

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