ロジックの重視と直感の軽視

花粉症の治療薬の保険適応から外し全額自費にすべきとの提言が出た。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019082200648&g=eco
一見して、私は愚策だと思った。

しかしツイッターでは、公衆衛生を専門に勉強をしている人達が、“これは正しい判断”と口を揃えている。
データを引っ張り出して、花粉症の治療によるQOLの改善を定量化した場合、云々などと議論されているのをみて、私の頭の中とは違う回路が駆動しているなと思った。

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私が直感的に感じたのは、まず大前提として、この政策は機能しないだろう、ということだ。

外来に何年も通い続けている患者さんに対して、ある日突然、保険が効かなくなる。そういうときに、“悪いけれど明日から全額自費でマツモトキヨシに行ってね”という医者はどれくらいいるだろうか?

花粉症の治療薬は、アトピー性皮膚炎の治療薬と同じである。
皮膚を触り、患者さんにそっと眼くばせをし、アトピーの診断をつける。
その瞬間、医者も、患者さんも、病院も、みんな満足の“三方よし”の共犯構造が成立する。
つまり、この制度は抜け穴だらけなのである。

問題はそれだけではない。
仮に、この制度が機能したとして、花粉症治療の恩恵を預かっている人は、その他の疾患と比べて若い人に偏っている。

所得は上がらず、消費税は増える。
そこに追い打ちで、自分が唯一、保険の恩恵として預かっている花粉症の薬が全額負担になる。
その絶望感と経済的な負担は、システムに見捨てられたと感じさせるだろう。

“皆保険に搾取されている”と感じる人が若年層に増えることは年金に続いて、皆保険が破綻する土壌となる。(国民の4割が未納の年金はとっくにぶっ壊れている。)
みんなの保険でなく、老人と製薬会社のための保険という色彩が濃くなれば、やがて“国民皆保険をぶっ壊す”と叫ぶ候補者を生む可能性がある。

600億円の削減と引き換えに、システムに対する信用を破壊するのが長い目でみて得策とは思えない。

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そういうことを、ツイッターでぶつけたら、根拠は?と来た。
花粉症を保険適応外にしたら、”皆保険をぶっ壊す“と思う人が増えるデータや、レセプト病名を付けてすり抜ける医者が出てくる根拠を示せ、というのである。

未来の仮説だ、データがあるわけがない。

私は答えた。
根拠は直感である、と。
すると、大笑いである。

ここがこの話のポイントだ。

日本の政策を決めるテーブルに座るような”偏差値エリート“は
直感や、”データにならないもの“をゼロとして考える癖がついてるのだ。

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直感とは何か?
これまでの人生の経験全てを通して培った自分という
ブラックボックスが瞬間的に下す判断の総体である。

直感は五感による一次情報の処理と直結している。

たとえば、冷蔵庫の中の食べ物がまだ食べられるかどうかを判断するとき。
製造者のつけた賞味期限をみて判断する、これは二次情報に基づいた論理的判断。蓋を開けて匂いを嗅いで決めるのが直感。

夕食は何を食べるかというときに、昨日は肉だったから今日は魚というのはロジックに基づいた判断。
一方、なぜかわからないけれど無性にカキフライが食べたいというのは、直感。(後者では、身体がカキフライに含まれる何らかの成分を欲しているのだと思う、直感だけれど)

医療の現場も、大事なところは直感勝負である。
”検査は正常。でもなんとなく直感的に帰宅させるとマズそうだ。“
救急外来での重大な見逃しは、そういう”直感“が働かないか、直感を無視したことによって起きる。

重たいものは機械が持ち上げ、理屈の部分は、AIが補ってくれる時代である。
数字にできない直感こそが、人間に残された最後のフロンティアだと言っても言い過ぎではないと、私は思っている。

(スティーブ・ジョブスがiPodを考えたときに、アイデアは降りてきたと思うし、ピーター・ティールが出資を決めるときの最後の一押しはファンダメンタル分析ではないと思う。あとサイバーエージェントの藤田社長は雀鬼会である。)

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しかしこの直感が、学問や政策決定においては邪魔だと思う人もいるようだ。

たしかに、直感は間違うこともある。
自分にとって直感的に正しいことが他人に当てはまるわけでもない。
データと直感がずれるときは、慎重になる必要があるし、そういうときにデータと直感のどちらが正しいのか、客観的に判断する為の力が情報リテラシーだろう。データを読む力も大事である。

しかしどんな画期的な研究も、優れた直感の後追いでしかない。
優れた直感なしに、ゼロからイチを生み出すことはない。
例えば、脳梗塞のカテ治療が好例だろう。
急性期脳梗塞のカテ治療は、長い間、大規模試験で有意な結果を残せずにいた。しかし繰り返す失敗にも関わらず、“これは絶対に効果がある”という臨床的な直感が、現場のスタッフにはあったらしい。
その結果、直感が正しいことは科学的に証明され、カテ治療は今、スタンダードになっている。

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この直感の軽視、とでもいうべき風習はどこからきたのだろうか?
軽視されているのは直感だけじゃなく、“数字として測れないもの”全般なんだと思う。

その原因の一つとして私が考えているのが、机上の成功体験、だ。
私も勉強が得意だったタイプなので、わかるのだけれど、
学校のテストは、文字や数字に置き換えられた二次情報をベースに論理的思考を駆使することだけが問われる。
逆に言えば、直感が必要な大喜利みたいなのは試験に出ない。
これは脳の使う部分が全く違う。
教科書に書かれたことを覚えて、論理的に頭を使えば、”満点“がとれる。

そういう成功体験を重ね続けると、人は”データを元にロジックを駆使すれば、この世界の全ては理解可能だ”という確信を抱くのではないだろうか。

その反動として、文字や数字にならない要素やロジックの対義語である直感は不要なものとして押しやられる。

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また経験上、直感が一番冴えるのは生命の危機においてである。
インドや東南アジアをバックパッカーとして回っていたときに何度か命の危険を感じたことがある。その時に危機を脱することが出来たのは、直感としか言いようがない。
私が恵まれた環境にいるせいかもしれないが、日本にいて死にかけたことがない。それは幸せなことなのだけれど、直感に関しては不活性化されている。

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麻雀を打てばわかるのだけれど、ロジックと直感は敵対する概念ではない。
それは視覚と聴覚のようなもので、補い合う存在である。
生まれつきの盲人が、視覚がないことに不自由を感じないように、直感が乏しい人に、直感の意義を伝えるのは難しい。

これもデータはないが、日本人の大半は理屈よりも直感優位で世界をとらえている。その距離が、縮まるといいと思う。破綻する前に。

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