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脱法ハーブ規制についての歴史解釈

HHCの規制導入に際して、SNS上では危険ドラッグ(脱法ハーブ)の二の舞になることを危惧する声が散見されます。これが何を意味するのか、10〜20代の皆さんにはよくわからないと思いますので、ここで簡単に説明しておきたいと思います。

脱法ハーブとは違法薬物に科学的に類似した合成物質を植物片に吹きかけて作られたドラッグです。大麻に含まれるTHCと構造や作用が似ていますが、化学式が少しだけ違うため法律に抵触しませんでした。日本では2010年頃から全国的な流通が開始し、おそらく2012~2013年にそのピークを迎え、その後急速な終焉を迎えました。
私自身は使用した経験はありませんが、2010年というのは大学5年生の頃で、実際に熊本の街でもショップが存在し、法改正と同日に踏み込まれて摘発されていました。また2012年というのは研修医1年目で、脱法ハーブで痙攣した患者さんを救急で対応していたのでよく覚えています。(参考までに、私が初めてスマホを持ったのが2012年です。その頃の社会にはまだyoutuberやSNSマーケティングという概念はありませんでした。)

この脱法ハーブの取締のために、2007年に“指定薬物制度“というのができまして、様々な化合物を、この指定薬物に放り込んでいくことで、規制を強めていきました。Wikipediaによると、合成カンナビノイドについては2009年11月から2012年7月にかけて、合計5回の規制追加が行われたようです。
(それ以降も毎年複数回、指定薬物の追加は行われ続けています。https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iyakuhin/yakubuturanyou/oshirase/index.html)
2012〜2013年にかけての徹底的な規制強化の後に、脱法ハーブのブームは終息して行きました。細かいところでは間違いがあるかもしれませんが、これが大まかな“事実“です。

さてこの事実をめぐり、この世界には二つの歴史解釈が存在しています。
世の中で主流な解釈は以下の通りです。

①ある日、脱法ハーブという危険薬物が日本に持ち込まれ
②酩酊での交通事故などの深刻な社会被害が生じたため厚生労働省が規制を強化した
③取締機関の頑張りにより、脱法ハーブのブームは収束し
④日本の違法薬物問題は解決へ向かった。

この解釈では、脱法ハーブに対する薬物政策は成功であったとされます。
おそらく日本人の90%以上は、この解釈に疑問を挟まないでしょう。

しかし一部の人々は、これとは随分と異なった解釈を行なっています。

①大麻の厳罰を逃れるために生み出された脱法ハーブは、流通当初(第一世代)は大麻に類似し安全性の高い物質だったが
②厚生労働省が規制を導入したためにさらに改良が加えられ、結果として世代を経ることに危険性が増し、最終的に深刻な健康被害をもたらした。
③ブームが収束したのはユーザーが危険性ゆえに使用を控えたためであり
④代わりに大麻や睡眠薬、咳止めなどの代替品へと戻っていった。

この解釈を採用すると、脱法ハーブの規制は無意味どころか有害ですらあったという帰結に辿り着きます。

この解釈を支持する人の数は少ないものの、ストリートの生き証人達は口を揃えて“脱法ハーブのモンスター化“を唱えますし、松本俊彦先生のような一線で診療している医師も、この解釈を提案しています。関連した交通事故が2012年以降に集中しているのも、この規制による凶暴化の傍証と言えるかもしれません。

人間は客観的に正しそうなことよりも、自分にとって都合の良い解釈を優先する生き物です。そのため取り締まりを主導し、記者クラブを通じてマスメディアの論調に影響を与えることができる厚生労働省は、脱法ハーブ戦争の成功を今も信じ続けています。そういう背景で、HHCは速やかに規制されたのです。

このように、薬物戦争の背景には自分達のやってきた取締を正当化するための偏った歴史解釈が存在します。国家間の侵略戦争とも似た構図です。

教訓として覚えておいてください。
より多くの人を傷つけるのは自覚的な悪ではなく、無自覚に暴走した正義なのです。


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