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第3回① 池田篤史 先生 

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

泌尿器科が専門の池田先生。特にロボット支援手術(いわゆるダ・ヴィンチ手術)を専門とし、2018年当時で全国68番目・茨城県2位の執刀数を所持している。筑波大学卒業後から一貫して、泌尿器科医としてのキャリアを歩む傍ら、泌尿器科関連の資格以外にも、日本医師会認定産業医や、宇宙航空医学認定医も取得した。そして現在、「膀胱鏡AI」をテーマに、日米を跨いで起業し、社会実装に向け歩んでいる。
 
ここまで聞くと泌尿器科のプロが、泌尿器科の研究で大学発ベンチャーを作った様に聞こえるが、そこまでにいろいろな紆余曲折があったという。今回はこの紆余曲折・そして英語や研究へのチャレンジの話を中心に、「英語がぜんぜんなのにアメリカで大学発ベンチャーを作るまでの話」という不思議なテーマで、そこに至る軌跡を話してくださった。

池田篤史 先生
筑波大学医学医療系腎泌尿器外科/Vesica corporation
泌尿器科専門医・指導医。排尿日誌アプリの開発を経て、膀胱内視鏡AIの研究開発に従事し、多くの学会賞を受賞。 南極医学研究においても日本宇宙航空環境医学会研究奨励賞(2020年度)を受賞。 日米の大学の支援のもと、研究成果の臨床実装化を目指して、スタートアップを設立。

<南極のために研究>

 多くの医学生や研修医にとって「何科になろうか」というのは大きなポイントだが、特に池田先生は「専門医を取得した後はどうしよう?」という疑問が大きかったという。
 
高校時代に山岳部だった池田先生。「南極に行きたい」という夢があり、2011年のある日、泌尿器科の教授に「医局をやめて、越冬隊員に応募したい」と相談してみた。そのときの教授の返答は、「行きたいんやったら、何か研究せなあかん!」だった。
そこからすぐに動き出した池田先生。2013年に社会人大学院生となり、病院のデータで研究を開始し、2014年には南極越冬隊に応募するが、なかなか採択されなかった。2度の応募も、様々な理由で落選。しかし落選しても、越冬隊員の排尿調査を委託研究で実施したり、国立極地研究所に参加したりと、南極との関わりを持ち続けた。2018年には「南極地域観測隊員の排尿状況調査」として、排尿・睡眠の症状が強い患者が、南極滞在中に症状が改善するというデータを英語論文で発表。(Low Urin Tract symptoms. 2018 Jan; 10(1):27-31.)
その後も南極に関する研究を継続し、2021年には日本宇宙航空研究医学会の研究奨励賞を受賞。越冬隊員にはなれなかったものの、研究者として南極や極地への関わりを続けていった。
 
夢を追っていた南極研究の中で、「紙でつけた排尿日誌をデータにするのが面倒だ」ということに気付いた池田先生。当時スマートフォンが普及しつつあった時期であり、「排尿日誌アプリ」でこの問題を解決しようと、実際に作成しリリース。ただスマホの普及率や需要からあまり普及せず、OSのアップデートに伴いサービスを終了することとなる。

<南極への憧れからAIへ>

このような取り組みの中で、「臨床的な課題を工学やICT技術などで改善できないか?」と考えた池田先生。最初はアプリやSNSを通じて、排尿に関する症状の季節による変動を解析しようとしたが、様々な勉強をするうちに、「消化器内視鏡のAI」があることを知り、これを泌尿器科に応用できないかと考えていく。同時期に、同じ筑波にある産業技術総合研究所の野里博和先生がこのテーマに取り組んでいることを知り、すぐにメールを送り(本人曰く「ネットでナンパ」)、共同研究を開始した。このテーマが今につながる「膀胱内視鏡AI」。実際にAIを作成し論文化、ポスター発表や学会で数々の賞を受賞してゆく。
 
次に池田先生が思ったのは、「この技術を、いち早く現場に届けたい!」ということ。
2020年に研究成果を元に国際展開をめざす医療起業プログラムであるResearch Studio 2020に参加、最初に「英語がぜんぜん」と題した池田先生ですが、「翻訳ツールなどを駆使して頑張ればなんとかなる!」と付け焼き刃でこのプログラムを乗り切ったと語る。
その成果もあり、Global Entrepreneurship Awardを受賞し、UC San Diegoへの海外派遣を獲得。ここで現地のメンターと起業を決意。米国デラウェア州に法人登記し、国際起業までこぎつけた。
2021年には東大IPCや始動 next innovatorというプログラムにも採択され、実用化のために現在も進み続けている。

<恩師の、「まずはやってみなはれ」>

常に今のテーマから課題を見つけ、次に歩み続けた池田先生。
よく研究から産業化までには「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」があると言われる。
研究を技術として開発できるようになるまでの困難を「Devil River=魔の川」、技術開発から資源を調達し、事業化するまでの困難を「Valley of Death=死の谷」、事業化から他企業との競争などを乗り越える産業化までの困難を「Darwinian Sea=ダーウィンの海」と呼ぶが、今の池田先生はなんとか「魔の川」を超え、死の谷を越えるべく「飛び跳ねた」段階。

 この思いの根底に、恩師である日立総合病院副院長の堤先生の言葉、「やりたいことがあるなら、まずはやってみなはれ!」があると池田先生は語る。実際に、野里先生にメールを送ったときも、「断られるのは当たり前だと思っていた」と振り返る。
やってみれば誰かが応援してくれる。だからこそ挑戦してほしい、というメッセージを最後のメッセージとして選んだ。
 
視聴者からは、「臨床・研究・起業・英語を全部全力でしている池田先生は、時間の捻出はどのようにされているのでしょうか」という質問があり、
これに池田先生は、「自分のやりたいことは効率がどんどん良くなる。手術も慣れればどんどん時間が縮んでいって自分の時間が増える。その時間を更に次のことに使って、更にそれも短縮して、とできることを増やしている」と答えてくださった。
 
「まずはやってみる」。その精神に満ち溢れた、ここまでの道のりを聞くことができたと思う。

取材・文:平野翔大(産業医/産婦人科医/医療ライター)

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