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第20回① 安井 佑先生 2つの災害を機に在宅医療へ。地域医療を追求する医師の原点

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

 「TEAM BLUEの代表として、日々「明日の地域医療づくり」に邁進する安井佑先生。起業に至った経緯や、人生のテーマであるという「愛と勇気と冒険」という言葉に託す思いについて伺った。


安井 佑先生
東京大学医学部卒業後、国保旭中央病院での初期研修を経て、NPO法人ジャパンハ―トに所属。ミャンマーにて2年間、医療活動に携わる。帰国後は、杏林大学医学部附属病院、東京西徳洲会病院にて形成外科のトレーニングを積み、2013年にやまと在宅診療所高島平を開院、2020年には「おうちでよかった。訪看」「ごはんがたべたい。歯科」、2021年に「おうちにかえろう。病院」を開院するなど、TEAM BLUEとして「明日の地域医療づくり」に邁進する。

ミャンマーでの2年間の活動終え、「次は自分で起業を」

 「自分の人生のテーマは『愛と勇気と冒険』です。」

 そう語るのは、安井佑先生。初期研修終了後に、ミャンマーでの2年間の活動を経て、現在はTEAM BLUEの代表として「明日の地域医療づくり」に日々邁進している。2013年に、やまと在宅診療所高島平を開設し、2年後には医療法人社団焔を立ち上げた。「自宅で自分らしく死ねる。そういう世の中をつくる。」をコンセプトに、2020年にはTEAM BLUEを発足し、チームで走り続ける。

 そんな安井先生は、起業を決意した瞬間を今でも鮮明に覚えているという。

 研修医2年目、まわりの同級生が進路を決め始めるころ、「一つの診療科を極めて、専門職になることがどうもしっくりこなかった」と感じていたという。幼少期の長い期間を欧米諸国で過ごしてきたことから、先進国での暮らししか見たことがないことにどこかコンプレックスを抱いていた。

 「先進国の人々はリアルに生きていないような感覚がありました。その時、低中所得国で生きてみたい、と思いました。」

 知人の紹介でNPO法人ジャパンハートに所属し、ミャンマーにて2年間活動することが決まった。ミャンマーでは、朝から晩まで100%全力で医療に取り組んだ。起床後、掃除をしてから手術に取り組み、遅い時は深夜2時頃まで続くこともあるなど、ハードな生活であった。

 「地元の人に自分たちは何ができるのか。徹底的に考えつくした2年間でした。」

 ジャパンハートの創始者である吉岡秀人さんから直接指導を受け、一切の利己なしに利他を突き詰める世界を体験した。

 「ミャンマーで得た最大のものは、あそこまで究極の状況に自分をもっていくことができたことです。」

 ハードな生活が続いた2年間の活動を終えるころ、ふと感じたことがあったという。

 「自分の船を持ちたい」

 ジャパンハートに所属した2年間の活動はとても美しく、自身も非常に鍛えられた。しかし、どこか「他人の船」に乗っているという感覚が否めなかった。次は自分で何かをするために、自身で起業することを決意した。

東日本大震災の復興支援で在宅医療と出合う

 ミャンマーでの活動中は、口唇・口蓋裂や甲状腺腫など、外見に影響のある疾患の手術をすることが多かったという。骨折のような急性期の患者は、ジャパンハートの病院までたどり着けないことが多いという背景もある。ミャンマーで行ってきた数々の手術について、日本の最先端の治療法を学びたいと思い、帰国後は形成外科で研鑽を積んだ。

 現在の活動の主軸である在宅医療に出合ったのは、2011年の東日本大震災がきっかけだった。ミャンマーでの活動中にも甚大な被害が出たサイクロンを経験しており、自ら手を挙げ、被災地での復興支援に携わるようになった。

 被災地では、同年代の人や子どもを集めてお祭りを企画した。人を集めるために、さまざまな人に声をかけていたという。その中で、偶然にも在宅医療所の事務長と交流を深め、はじめて「在宅医療の面白さ」に出会ったという。

 思い返せば、ミャンマーでは仏教の死生観に触れる機会も少なくなかった。仏教の死生観では、「生きるか死ぬか」ではなく「生まれて死ぬ」という考え方であるため、与えられた期間でいかに徳を積むかを目標とする。

 対する日本では、死は悲劇的にとらえられがちである。だが、「日本の医療者も、最期までどう生かすかではなく、どのようにお見送りをするかを考えたほうがよいのではないか」という発想を得た。

 ミャンマーで触れた死生観と、東日本大震災をきっかけに出合った在宅医療。点と点がつながり、安井先生の思い描く「これからの医療のあり方」が次第にクリアになっていき、在宅医療の道を進み始めた。

在宅医療で人の質を掲げる「勇気」

 「日本の医療システムをはじめとして、既存のシステムや考え方に対して挑戦することこそが“勇気”なのです。」

 その安井先生の挑戦は「医療の質は人の質」という言葉に表されている。かつて日本でもいかにEBM(Evidence Based Medicine)を普及させるかが大きな課題であった。医療の主目的が「病気を治す」ことであった時代、病院はいかにEBMを実践して、よい治療を提供するかが問われる場所であった。

 しかし現在では、「高齢者にとって病気は治らないもの」に変わりつつある。治らない病気とどのように付き合い、どのように豊かな生活を送るか。医療提供者に求められていることは、「治療の話だけをする」から、ソーシャルワークを通じて「人生の豊かさにどう貢献するか」へとシフトしつつある。

 一方で、医療資格者に対してそのような教育はなされていない。

 「在宅医療というフィールドで、『医療の質は人の質』という自分の信念を実践し、それで成果をだすことができるかという挑戦であり、勇気だったのです。」

在宅医療の実践「おうちにかえろう。病院」

 TEAM BLUEの代表として、これまで数多くの事業を立ち上げ、挑戦を続けてきた。「在宅医療におけるソーシャルワークの実践と追求」をコンセプトに、一人ひとりの価値観や生き方に踏み込んだ在宅医療を実践し、人々が幸せになっていくことを実感することができた。

 次に、その在宅医療を他の人でも提供できるよう、医療人の育成に取り組んだ。さらに、これまでやってきたことが在宅医療のフィールドを超えても実践できるのか、と考え、「自宅での生活を続ける」ための入院の形を実現する病院「おうちにかえろう。病院」の開設を実現した。

 開院から3年近くが経過し、看護やリハビリなどの分野でも、「人づくり」を実践することで、自ら考え自ら行動することのできる医療人の育成ができている実感があるという。

 「現在は、できあがった新しい仕組みをスケールさせていくフェーズです。」

 まずは、現在20人ほどの常勤医師を100人に増やすべく、志のある若手医師の育成に力を入れているという。

 TEAM BLUEが取り組むテーマは「常に明日の地域医療をつくっていく」こと。国内でのスケールの先には、将来的に高齢化が進むと予想される東南アジアなど、海外進出の可能性も視野に入れているという。

「常に自分が最前線に立っている」という感覚

 「愛と勇気と冒険」をテーマに、日々「明日の地域医療づくり」に邁進する安井先生。そのバイタリティはどこから溢れてくるのだろうか。

 「常に自分がフレッシュでいるためにはどうするべきか、を考えています。」

 自分の人生の中で、常に自分が楽しいと思える最前線に立っているという感覚がなければ、人生がつまらないものに感じてしまうという。

 安井先生が人生のテーマとする「愛と勇気と冒険」については、次のように解説していただいた。

 医療の根幹にあるヒューマニズムを追求しないことには、人々は幸せになることができない。まさに、「愛」である。

 世の中にある既存のシステムや考え方のどの部分を変えようと思い、挑戦するか、それが「勇気」である。

 そして、自分が最前線に立ち、その挑戦を常に新しい場所で実践していくこと、これが「冒険」といえるだろう。

 「愛と勇気と冒険を追い求めるという文脈で、常に仲間たちと世の中づくりをし続けること。これがまさに自分の生きる道なのです。」
 そう語る安井先生の声に、力強さを感じた。

取材・文:伊庭 知里(慶應義塾大学医学部4年)

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