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第12回③ 千手 孝太郎さん 「失敗だらけの人生」表舞台に立ち続ける医学生の情熱に迫る

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

 日本プライマリ・ケア連合学会の学生・研修医部会や、さまざまな医学生団体で活躍する千手さん。その活動の幅は学生団体に留まることなく、狂言師、ライターなど、多くの分野に広がっている。さまざまな顔を持つ行動力や、エネルギーの根源について伺った。

千手 孝太郎さん
2023年3月に関西医科大学を卒業、来年度より新潟県の下越病院にて初期研修予定。
在学中は、日本プライマリ・ケア連合学会 学生・研修医部会 関西支部代表を務め、医学生団体での活動や学会発表、学会運営、医学生ライターとしての執筆など、さまざまな活動に注力した。
また、自身の趣味が高じ、狂言師としても活動している。

刺激的だった中高6年間

 医学生の6年間で、学会などの医学的活動から狂言師や執筆まで、さまざまな取り組みを積極的に行ってきた千手さん。大学進学前から「自分のフィールド」を意識して活動してきたという。

 「高校では生徒会活動に力を注いでいました。職員の方や生徒がどうすれば気持ち良く楽しく過ごせるかを考え、例えば食堂のメニューを美味しくするためにコンペを開催したり、夜遅くまで学校があったので夜食メニューを作ったり、学園祭の日数を増やすための予算を通してもらったり。」

 インタビューを通じて、繰り返し「自分にとって面白いフィールドを選びたい」と話していた千手さん。中高時代を過ごした学校は大いに肌の合うフィールドであったようだ。

 「自分の通った中高は、本当に面白いところでした。『世界を見ろ』という学園長の考えから、研修で諸外国に行き現地の中高生と交流するなど、刺激的な6年間でした。また『To Be Myself』という校訓があり、毎週『なりたい自分とは何か』を考え、そのために必要なプロジェクトマネジメントやタイムマネジメントを書き起こすという時間がありました。多感な時期に大いに影響を受けました。」

教室に貼られたあるチラシが運命を変えた

 そんな千手さんは、なぜ医師を志すようになったのだろうか。

 「人と関わりあうのが好きで、元々は一番身近で関われる学校の先生になりたいと思っていました。しかし祖母が亡くなり、初めて人の死を経験した時、おばあちゃんっ子だった私は途方もない無力感を感じました。その中で医師も人の人生に関われる仕事だと感じ、医師を志しました。」

 しかし漠然とした医師への憧れ、学業面の苦しさから「教育学部に進もうか」と考えた時期もあったという。半ば医学部を諦めていた中で出会ったのが、教室の後ろに貼られていた勉強会のお知らせだった。ここで彼が「運命を変えた」と語る「総合診療」という言葉に出会う。

 「総合診療医の先生が、実際の症例を挙げながら、疾患だけではなくその人に関わるさまざまな要素に触れ、その患者さんがどうすれば幸せに過ごせるかを考えていく勉強会でした。その先生がおっしゃった、総合診療医は『人を診る』という言葉に衝撃を覚えたことは今でも忘れません。」

 「自分はこれになるんだ」「ビビッときた」と熱く語る千手さん。そこから勉強に本腰を入れ、念願の医学部へとステージが移っていく。

搬送患者がきっかけで
地域の教育問題を考えた

 医学生の間も教育への関心は消えず、アルバイトという形で小学生から大学生まで教科を問わず幅広く教えてきた。また、母校でのキャリアや性教育に関する講演会、医学生向けのコーチング活動などにも関わっている。

 その中で、医療現場において改めて教育について考えさせられる機会があったという。

 「地元は教育熱心な地域で、私もその環境で育ちました。ある時病院見学で地元の病院を訪れると、『子どもの受験が失敗した』ことで自死を図ったお母さんが搬送されてきました。人の考え方を豊かにするための教育があらぬ方向に進んでしまっており、このままでは教育が本来の意味をなさなくなると焦りを感じました。」

 自分の地元で「教育」に対する問題を突きつけられた千手さん。総合診療医を目指していくにあたり、「子どもたちを支える大人」にとってもより良い教育現場を作りたいと考え、来年度から初期研修と並行して、教育学部への進学を決めている。

 医師としてだけではなく、もう一つの夢だった教育者としての火も絶やしていない。

狂言の舞台、ライター活動。
アートで心を豊かにする

 教育が人の心を豊かにする一方、自らの心をも豊かにするものの代表として「アート」がある。
 千手さんにとってのアートの一つが「狂言」だ。幼い頃から、祖母に連れられて狂言を見ていく中で、その独特の世界観に魅了され、大学進学後は自ら舞台に立つようになった。

 狂言の重要な要素に「ことば」がある。千手さんは「言語感覚もアートだ」と言う。これは狂言の「ことば」に限らない。ライターとしての活動も、人に読んでもらう文章を書く「アート」活動である。

 「文章を書く時は、いつも魂を込めています。幼少期に課題としてあった読書感想文も、夏休みの1カ月間をかけて、毎日本を読んで感想を書いてを繰り返し、推敲してましたね。どんな人種であれ人は言葉を介さないと、届けたい想いをそのまましっかりと伝えきれませんから。」

県庁主催のプログラムに参加
「まちづくり」に関わりたい

 千手さんは、医療を「人がその人らしく生きてゆくことを支えるもの」と考えているという。ここにはもちろん、教育もアートも関わる。

 「医療と教育とアートがつながることは、あらゆる世代の人がその人らしく生きる基盤をつくることだと考えています。その先にはそれぞれが住む地域が広がっていて、『まちづくり』につながっていくのではないでしょうか。」

 将来的にはまちづくりの上流にある行政と関わりたいとも考えている。初期研修は新潟県で、地域医療も経験しつつ、県庁が主催するイノベーター育成プログラムにも参加する。行政の近くで多くのことを学べる機会だが、ここでも「縁」があったという。

 「実は中学受験も大学受験もマッチングも落ちました。失敗だらけの人生だったと思います。でも縁あってたどり着いた場所で、数多くのことを経験させてもらっています。選んだ道を正解にできるよう、自分の気持ちにふたをせず、自分の考えをちゃんと発信できる人でいたいですし、それを拾ってもらえるよう表舞台に立ち続けていきたいと思います。」

 千手さんはたびたび、自分のことを「人間くさい」と言っていた。まずは自分に対して素直であろうとする姿勢こそが、彼自身の「人間くささ」への気づきをもたらしてきたのではなかろうか。

「自己中」「わがまま」が原動力

 「面白いフィールド」を探し、さまざまな活動に携わった千手さん。しかしまだ「何もできていない」という。

  「何かを成し遂げるというのは『社会にインパクトを与える』ことだと考えています。さまざまな活動をさせていただいていますが、まだ何も社会貢献できていません。今は多くのものを吸収して、自分の中で噛み砕いている最中です。」

 その中で「人生をかけてこれを達成したい」ものは「まだない」という。

 「強いて言うならば、関わるすべての人が幸せだと感じられるために少しでも影響を与えられれば、とは思っています。自分の年代や状況によってやりたいこと、やるべきことは常に変化していくでしょう。だからこそ自分と社会との関わりの中で、どんな逆境でも泥臭くもがいていくことが、私らしさだと思っています。」

 彼は、自分と社会とを見つめながら、「やるべきこと」を見つけようとしている。この原動力は何なのだろうか。

 「自分は欲求に忠実なんだと思います。面白そうな活動をやっているのをみると、『面白い活動の場に自分が参加できない』というのが悔しくて仕方がないんです。偉くなりたいわけではないですが、『目立ちたい』という欲求もあるでしょう。ただ自己中やわがままが原動力であることを、恥ずかしいとは思いません。」

 千手さんにとって、自分が面白いと思うことを続ける「わがまま」は「社会へのインパクト」につながっている。その強い原動力で、これからもさまざまなフィールドに挑み続けるのだろう。

取材・文:広島大学医学部5年・広島大学大学院医系科学研究科博士課程3年 相京辰樹

本記事は、「m3.comの新コンテンツ、医療従事者の経験・スキルをシェアするメンバーズメディア」にて連載の記事を転載しております。 医療職の方は、こちらからも是非ご覧ください。


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