どどたん先生の実況中継:病理医が臨床医に何を求めてるか

はじめのはなし

これから話をすることはかなり主観が入る,というよりも病理医の間でも見解が違っているので断定的に言うのは難しい.まずここは病理医自身が臨床医とどういう関係だという認識をしているのか,ラフな歴史的背景を含めて話をしてみよう.

むかしむかし,病理医は...

まだ 1900 年代なかばまで,病理医は病理学者であった.主として研究者として働き,その中で片手間あるいは研究の延長線上で診断病理に従事していた.そのため診断をもっぱらしている病理医のことを病理屋さんとか検査屋さんと呼んでいたこともあった(というか今でも呼んでいる人はいる).

その時代を背景にし,アメリカを中心に診断病理を専門にする外科病理という分野が台頭してきて,もっぱら病理診断を業務の中心にしてくる人が出てきた.外科病理というのは恐らく手術材料(や病理解剖)を中心とした診断学だったからで,今では外科のみならず内科系診療科や生検も見ているので診断病理とも言う.

病理医の中での上下関係

今でも病理分野で研究をする人は診断をする人のことを(心の底では)見下している.どどたん先生はもっぱら診断を中心にやっているから研究者の人からすると,下道ということになる.ちなみに臓器ごとにも上下があって(笑),例えば血液や軟部腫瘍,脳腫瘍なんかは上で,消化管は下とみなされているようだ.

その理由は消化管は誰でも見れるから(嘘).臓器ごとの上下はまぁその話をしてくれた先生の自虐的な要素も多いから話 1/5 程度で聞いておくこと.ある層の人達は病理医は研究者,学者であるべきで,臨床医は学者に対して下からお願いをする立場であるべきだ,という考えを持っている人たちがいる

病理医は診断屋さんになりさがってしまったから臨床医から同じ立場に成り下がってしまって,あれしろこれしろと指図されてしまうのだ,という主張.臨床医側からするといろいろ反論はあると思うけれども,このように考える病理医(病理学者)が一定数いることは認識しておくと良い.

ということはさておき,ここで言っておきたいことは,臨床医からみた病理医というのは単一の集団ではなく,結構ヘテロないろいろな考えを持った集団で,その病理医の見解というのを一つの意見に集約することは難しい,ということ.

その証拠に意見がまとまらないもんだから診療報酬を含めた我々の立場は一向に上がらない.由々しき事態ではあるけれども,集団の性質上仕方ないと思っている.

病理医自身が臨床医に何を求めているのか

さてその現状を認識した上で,病理医自身が臨床医に何を求めているのか,という話になるのだけれども,その前にどどたん先生がこの病理医というヘテロな集団の中でどういうスタンスなのかを簡単に示しておこう.

どどたん先生としては病理診断は臨床診断を行う上での強力なツールと考えていて,自分たちは診療支援部門だと考えている.目的がはっきりしていれば,どんな検体でも受け入れるべきだと考えているし,時間外の迅速であっても(体制と手当が適切になされていれば)やるべきだと思っている.

普段から時間外の迅速をやりたくないと言っているのは,時間外の手当も出ないのにボランティアを強制されているからであって,本来の業務としてはやるべきだと思っている.総じて研究者よりも病理屋さん,あるいは検査屋さんに近い立ち位置である.

臨床医自身が病理医に何を求めているのか

その立ち位置のどどたん先生からすると,病理医が臨床医に望むことはなんですか,と言われても困るわけでむしろ「臨床医が病理医に望むことはなんですか?」と聞きたくなる.支援する側が要望する前に支援される側が何を欲しているかを表明しないと支援のしようがないから.

その観点からすると,例えば病理検査申込書をきちんと記載してくれないと,我々は「臨床の先生はこの検体に対して知りたいことは特にないのか,じゃあ一般的な良悪性だけ書けばいいか」ということになる.

はっきりいうと後で訴えられたときや問い合わせされるのは面倒だから「怪しいな」と思ったらカルテ見る.例えば乳癌の手術検体で何も記載がなくても明らかに化学療法後の像を呈していたら,化学療法の有無を調べてきて,化学療法後の判定をしている.逆を言うと怪しくなければカルテを見ない.

「臨床医が病理医に望むことはなんですか?」というのは実は臨床医にとってはハードルの高い問題だと認識している.それはなぜか.実際問題として,多くの臨床医は検体を出したときに「規約記載」と「良悪性」以外に疑問点を持っていないことが多い.とりあえず検体を出せばなにか答えが返ってくるだろう,そしたらまた考えよう,と考えてる臨床医がいかに多いことか.「皮膚腫瘍」とか「皮下腫瘍」だけで鑑別診断ができていない臨床医が組織型以上の要望を出すことは難しいのではと考えている.

ここで言っておきたいことは,検査部門全般に言えることだと思うんだけど,検査の質は臨床の質に相互依存するところがあって,臨床医が病理診断に対して不満に思っていたとしたら,その半分~ 1/3 くらいは自分の臨床の質を見直す必要がありそうだ,ということ(残りは診断医自身の問題でもある).

病理医自身が臨床医に何を求めているのか(再掲)

そういう諸事情があることを背景を頭の片隅においた上で,病理医であるどどたん先生が臨床医に望むことを簡潔にまとめると,

・何を考えているのかをきちんと明らかにしてほしい
・病気についてきちんと勉強してほしい

この 2 点に集約される.まず 1 つ目から見ていこう.その前に

また昔話に戻ります

昔話に戻るけど,「病理医に対して変な先入観を与える原因になるから臨床情報はなるべく簡潔であるほうがよい」という考えが昔はあった.でもそれは医療技術自体がまだ発展途上で,病理診断に求められるものが多くなかった時代であって,多くのことが求められる今の現代的な診療にはそぐわない.

だって,20 年前の診療を今やっていたら,こいつバカかと思うでしょ?術前化学療法や分子標的薬という概念自体がまだなかった時代と今は違うわけでその分変わらないといけない.なぜ申込書の記載方法だけが,数十年前と同じでよいかという理由はない.

臨床医自身が何を考えているのかを明らかにすること

「何を考えているのかをきちんと明らかにしてほしい」という要望は難しい要望だと自覚している.それは先程も言ったようにわからずに病理検体を出してくる臨床医がそこそこいるから.

とりあえず取ってきました,よろしく,みたいな.もちろん臨床病理相関をして初めてつく診断もあるから,それはそれでいいんだけど,少なくともどこまで考えて,何がわからないのかを明確にしてほしい.

そしてわからない場合はなるべく必要度の低いと思われる情報もなるべく丁寧に記載してほしい.たまに「そんな情報も必要なんですか?関係ないかと思ってました!」と言われることもあるけど,その病気が何たるかを分かってないのに,なぜその情報が不要って言い切れる?

臨床医自身が病気についてきちんと勉強すること

で 2 点目は「病気についてきちんと勉強してほしい」ということ.生検で珍しい病気を診断しても,手術検体のときには「…」と言われたので取ってきました,という子供のお使いレベルの申込書をたまに見る

恐らく勉強すれば治療方法や予後,あるいは鑑別診断についてもいろいろ出てくるはずなのできちんと勉強してプロらしく書いてほしい.病気について勉強してほしい,というのはもう一つあって,例えば大腿骨頭は左右の記載がないと,我々は提出された骨頭から左右を同定できない.申込書に記載すべき事項なんてものは病気について詳しく勉強すれば,自然と出てくるもの.

というのは言いすぎだけど,病気に対する理解が深まるほど,病理に対して何を見てもらいたいのか,何を期待するのか,というがより具体化するはず.レジデントのときはその実感を掴むのが難しくて,上級医の指導を仰ぐことになっているんだけど,その上級医がちゃんとできていないからしょうがないね.

申込書を書くことは臨床医自身の思考過程を整理すること

この記事では基本的に申込書をベースに話をしている.なぜかというと,病理医と臨床医の(唯一ではないにせよ)最も頻繁に接するところが申込書だから.それ以外にも電話やカンファレンスのやり取りで話をすることもあるけれども,全体の割合からすると少ない.

tfujisawa 氏が以前から言っているように,自分のやっていることを言語化できることが大切で,それは病理医だけではなく,臨床医自身にも当てはまる.

病理の申込書というのはこれまで自分のやってきた検査や治療,そして今後の見通しを言語化する作業に他ならないわけで,意識してやらないと意外と難しい.

とある先生は病理の申込書は他科への受診依頼と同じだと言っている.確かに本質的には同じものであり,よろしくお願いします,ではなんの役割も果たしていない.

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